望郷の歌 1話 緑のトンネル
そよ、と吹き抜ける風。
頬に当たるほのかな熱。
日が当たっているのだと思ってうっすら眼を開ければ……
「うわ? これ、木?」
ここは――どこ? あたり一面、緑。緑。緑……!
僕は驚いて跳ね起き、天を仰ぎました。オリハルコンの布がずり落ちたので、あわててしっかり被り直しながら。
頭上に広がっているのは、樹木の枝葉でできた天蓋。
背の高い木々が腕を組んだように絡み合って、空をすっかり覆っています。
僕の頬を暖めていたのは、枝の隙間からところどころ差し込んでいる木漏れ日。左右に植わっている樹木は人の手で植えられたものなのか、はるか前方まで一定の道幅で並木道のように並び、長い長いトンネルを成しています。
果てしなく、彼方までまっすぐに。
「よかったペペ。起きたのね?」
背後から聞こえてきたのは、フィリアの声。
そうだ、僕らはうっそうと茂る森の中に不時着して……
振り返れば、フィリアの乗り物――鉄の鳥が、僕の真後ろに横たわっていました。木々のトンネルの横っ腹を貫くような形で。
動力機関をいじっていたらしく、操縦席にいるメニスの少女はお手上げだというようにもろ手を上げました。
「動力機関にヒビが入っちゃったわ。そっくり取り換えないと無理。でもこのあたりの土地には、修理できるような道具や浮遊石なんて、もうないでしょうね。天の島とお母様の工房以外、もうどこにも……」
ここに突っ込んだ衝撃で、僕は地に投げ出されて気絶したようです。あたりの草が少々むしってあって、僕の体の下に敷き詰めてあります。
もしかして……フィリアが草を敷いてくれたとか?
「あの、どうもありがとう」
「ああ、その草ね。心配はしなかったけど、そこに投げ出されたままは、さすがにかわいそうかなって」
心配されてない? なんだかちょっと、ズキッと来たんですけど。
「だってあなたは魔人なんですもの、どんなにぐちゃぐちゃになったって死なないから。痛みだってほとんど感じなくなってるし」
そんなにさらりと、いやな現実を指摘されても。
何も感じないけれど、もしかしてどこか怪我したかも? 二、三本軽く骨が折れてるかも?
布の中で体中を確認してみれば、どきりとすることに左の手首があらぬ方向に曲がっていました。ため息をつきながら正常な形に無理やり矯正しようとすると。
「あ。ごめんなさい、気づかなくて」
フィリアはさっと真顔になり、すばやく自分のスカートの裾を引きちぎって手首にぎちぎちと巻いてくれました。その細くて白い彼女の腕に、長いかすり傷が一本走っています。
「腕、怪我してる」
「大したこと無いわ」
「ごめん、君の方こそ手当てしないと」
僕は被っているオリハルコンの布の端をちぎって包帯にしようと思ったのですが。
「き、切れない?!」
「それ、金属が織り込んであるから引きちぎるのは無理ね。大丈夫よペペ、あなたが守ってくれたからこの程度で済んだの」
「え? 僕が?」
「ここに突っ込んだ瞬間、私を抱えて飛び降りてくれたじゃない」
とっさに反応したことで、しかもその直後気絶したので、僕は全く覚えていませんでしたが。フィリアはにっこり微笑んできました。
「ありがとう、ぺぺ」
木漏れ日が彼女の顔にさしていて、そのまっ白な顔はまるで神々しい女神のよう。たたみかけてくるような甘い芳香に、僕の頭はくらっときました。
うん。フィリアはかわいい。とても、かわいい。
甘い甘い、メニスの香り……。
気づけば。
ぼうっとする僕の左手がのろのろとフィリアの頬に伸びていて……金属の右手は彼女の腕を掴んでいて……そして僕の唇は、彼女の唇にゆっくりゆっくり近づいて――。
「あう」
唇同士が触れたかと思ったとたん。どんっと胸に衝撃が来た拍子に、視界に緑の天蓋が映りました。全く痛覚がないですが、思いっきり鉄拳を食らったようです。
みるまに固い顔になったフィリアがサッと離れて芳香が薄まっていくと、仰向けに倒された僕は我に帰ってぶるぶる頭を振りました。
「エリクさんとハヤトさん、二人とも無事に脱出できてるといいわね」
抑揚のないフィリアの声。
僕は今……何を? もしかして、無理やり口づけしようとしてた?
う、うわまずい! フィリア、すごく怒ってるかも。
「周りは森で歩きにくいから、とりあえずこのトンネルを進むのがいいかも。人の手で植えられた木のようだから、きっと人里に行き着くと思うわ」
暖かみのなくなったフィリアの声にうろたえながら、緑のトンネルをよくよく眺めてみれば。はるか彼方まで続いている道はずっと同じ幅。草に覆われた地べたを手で探ってみると、細長くひらたい鉄の棒が左右に二本、平行にえんえんと横たわっています。
「これって……」
「きっと線路よ」
「線路? 草に埋もれてるし、かなり錆びてるってことは」
「古代のものね。たぶん、メキドの樹海列車の線路跡だと思う」
「列車……あ、本の中で見たことあったかも。想像図だけど」
寺院の図書館にあった、『古代乗り物図鑑集』。
そこに大昔の「列車」という乗り物の空想図が載っていたような。二本のレールの上を車輪が回転して進むもので、たしか動力はエレキテル。レールの中に流れるエレキテルに車体が反応して動く仕掛けで、大勢の人を乗せて走っていたとか。
「お母様が言うには、街という街がその列車で王都と結ばれてたんですって。国の端っこから王都まで、あっという間に着いたんだそうよ」
「へええ、すごい! っていうことは、このトンネルのどちらかの方向をずっと行けば――」
「王都に行き着くかも」
ここに落ちる途中でかいま見えた王都は、樹海のはるか向こう。かなり距離があります。でも、ひたすらこの線路を歩けば――
俄然、僕の心中には赤毛のトルに会いたい気持ちがむくむくと湧いてきたのですが。
布をひっかぶったおのれの身なりと痛みを感じない手首を見るなり、その気持ちは急速にしぼんでしまいました。
こんな姿で会いにいこうなんて。
優しいトルのことだからきっと泣くだろうし。僕らのごたごたに巻き込んでしまうだろうし。
「会わない方がいいかも……」
「え? だれに?」
「あ、えっと、メキドに友達がいるんだけれど、その子はこの国の――」
その時ぷおーっと、けたたましい音がトンネルの奥から鳴り響いて、僕の声がかき消されました。
「ちょっと……今の、何?」
「ま、まさか」
その音はもう一度、かなり近い距離のところで鳴りました。なにやらキンキンしゅかしゅか、気体が吹き出るような音も。手に触れている錆びた鉄の棒が小刻みに震動しています。
その音を出すものが、トンネルのはるか彼方に姿を現しました。
先が三角に尖った流線型の大きな鉄の塊。その乗り物らしきものが、かなりの速さでこちらに近づいてきます。
そんな。
今もまだ、列車が?!
僕らは一瞬顔を見合わせ……
「大変!」「どかさないと!」
次の瞬間あわてふためいて、緑のトンネルにでんと横たわる鉄の鳥にはりつきました。
早く外に押し出さないと、ぶつかってしまいます。僕らは必死に『鳥』を押しました。
「う、動かない!」「かなり重いから、む、無理かも」
そこのけといわんばかりに、ぷおーぷおーと鳴り響く警告の音。
みるまに近づいて来る鉄の塊は長い図体で、二本の鉄の棒にはまるような溝のある大きな形の車輪が両脇についており、木材やら箱やらを大量に積んでいる荷台が後ろにえんえんとつながっています。両脇の円管からふしゅーふしゅーと勢いよく蒸気が出ています。
先端のとがった部分の上には、まるでひとつ目のような巨大な球がひとつ。その上に鉄兜の小柄な人がひとり、どっかり胡坐をかいています。
鉄の鳥をどかそうと奮闘している僕らに気づいたその人は、甲高い声で怒鳴りました。
大きな丸い目を剥いて、大きな皮手袋をはめた手をぶるんぶるん振り回しながら。
「ちょっと! どいてよこら! ぶつかる!」
燃えるような赤い髪の……女の子?
「きゃああああ! ちょっとおおおお!」
鉄兜の少女は悲鳴をあげながら足元の大きなレバーを両手で思い切り引きました。
巨大な車輪が恐ろしい金属音を立てて回転をゆるめると同時に、あたりに火花が飛び散りました。まるで空にはじける花火のように。
しかし乗り物の勢いはまだ速く、すぐに止まれそうにありません。みるみる僕らの目前に迫ってきます。
「だめだ! フィリア離れて!」
僕は躊躇するフィリアの腕を掴み、道の端に飛び込むように転げました。
その瞬間。
「私の鳥が!」
目の前に迫る乗り物から、長い鉄の腕のような太い鉤爪が二本、いきなり左右から飛び出して。行く手を塞ぐ『鳥』をがしっとつかみ。
そして――
「と、鳥が! そんな! いやああああ!」
フィリアの絶叫と共に……鉄の鳥はぎゃりぎゃりと恐ろしい音を立てながら、鉄の乗り物に押しやられていきました。
車輪が出す火花よりももっとたくさんの、赤や黄色の火花を撒き散らして。
――「ふうん、あんたたち、ずいぶん北から来たんだねえ」
しゅかしゅか噴き出す蒸気。回転する巨大な車輪。流れていく緑の視界。
きんきんと金属音を立てながら「運搬車」が緑のトンネルを走っていきます。
先頭の操縦席で胡坐を崩して振り返ってくるのは、円い鉄兜を被った少女――。
「まあ、あんたたちの乗り物は気の毒だったけど。あとであたいの組から回収隊を出すよ」
残念ながら。運搬車の鉤爪に掴まれた鉄の鳥はおそろしい勢いでおしやられ、まっぷたつに折れてしまいました。
フィリアは修理不可能な残骸と化した鉄の鳥に茫然。
僕は今にも卒倒しそうな彼女を支え、運搬車を急停止させた鉄兜の少女にぎゃんぎゃん怒鳴られながら、なんとか弁解。
おかげで僕らは、王都まで乗せて行ってもらえることになったのですが。
「あの乗り物の残骸をもらっていいよね? それで乗車料金はちゃらにしてあげるからさ」
「だめ!」
先頭車のすぐ次の車両の上に僕と並んで座るフィリアは、歯を食いしばって鉄兜の少女を睨みました。
真っ黒い鉱石の山は座り心地が悪くてお尻が痛みますが、ぜいたくは言えません。鳥を壊されたフィリアはそこで両膝を抱え、まっ白な甘露の涙を浮かべて悲しんでいました。どう慰めたらいいか分からず、僕はおろおろするばかり。
かたや運転する小柄な鉄兜の少女は、ぷうと頬をふくらませました。
「助けてやったのに、拒否らないでよね。ほんとならあたいのポチを進路妨害した罪で、組合管理官に突き出すとこなのにさ」
「ポチ?」
フィリアは今にも掴みかかりそうな顔で鉄兜の少女を睨みました。
「それ、この蒸気で走る車の名前?」
「そうだけど?」
「もっといい名前つけてあげなさいよ。こんなにかっこいいのに。アルゲントゥム・アラルムとか、そんな感じの」
「アル……? なんじゃそりゃ?」
「私の鳥の名前よ。神聖語で銀の翼って言う意味」
「神聖語ぉ? なにそれインテリくさっ。あんた人から頭いいとか言われる部類の人間?」
鼻白む鉄兜の少女にフィリアはうつむいてつぶやきました。
「ニンゲンじゃないし。そんなこと言われたことなんかないわ。ニンゲンの友達なんか……いないもの」
「なんか大事に育てられましたって感じだね。ま、どうでもいいけど、あたいの
ポチがかっこいいのは当然よ」
鉄兜の少女は前を向いて胡坐をかきなおし、誇らしげに背筋をしゃんと伸ばしました。
「なんせうちの爺ちゃんが作ったからね。へへ」
鉄兜の少女によれば。この運搬車は遺物ではなく数十年前に作られた新しいもので、古代の線路を利用して、鉱山の街から王都へ物資を運んでいるのだとか。
大昔にここを走っていた乗り物は消えて久しく、どんな形でどんな風に動いていたかは分からないそうです。
「爺ちゃんはこんな感じのやつが走ってたんじゃないかって、このポチを作ったんだ。戦で焼けた街を復興させようってんで、うちの組合、このところ大忙しなんだよね。王様が資材を買ってくれるからさ、鉱石だけじゃなくて山の木とかも切り出して、がんがん運んでるってわけ」
緑のトンネルはえんえん途切れることなく続き、ようやく抜けたと思ったら、今度は山中の暗いトンネルの中へ。運搬車の先頭のひとつ目が点灯して、黄金色に輝きだしました。
「トンネルの壁に紋様がある……レリーフ?」
「古代のもんだよ。大昔には、その壁の模様が光ってたらしいよ。今はまっくらだけどさ」
「へええ」
感心する僕の隣でフィリアがぽそりと言いました。
「統一王国様式の紋様ね。その雷紋はエレキテルを使うものに使われる認識標よ」
「あんた物知りね。みたとこ、あたいと同じぐらいなのに」
「お母様に教えてもらったの」
「おかあさま? うへ、すんごいお上品な呼び方」
肩をすくめてふんと鼻を鳴らす鉄兜の少女は、僕と同じ十代半ばぐらいでしょうか。フィリアもそのぐらいの見かけですが、成人しているので軽く三十は越えていると兄弟子様が仰ってましたっけ……。
本当のところ彼女がいくつなのか知りたい気はしますが、なんだか怖くて聞けません。
『ニンゲンの友達なんか……いないもの』
どれだけの年数、フィリアはあの灰色の導師と二人きりで過ごしてきたのでしょう。っていうか。彼女の中で僕は友達じゃないってこと?
あ。
「僕はもう、人間じゃないのか……」
「え? なんか言った? ぺぺ?」
「いやその。なんでもないです」
穿つように僕を睨んでくるフィリアの美しい顔に明るい日差しがあたりました。運搬車が長くて暗いトンネルを抜けたのです。
「うわ、深い!」
目の前に現れたのは赤い岩肌の渓谷。長い鉄橋が架かっているその下は、深緑の樹海。
「メキドは森の国。いや、森に食われてる国かな」
鉄兜の少女が指さす橋の向こう側には、王都らしき大きな都が見えます。
うっそうと茂る緑の森に半ば埋もれている、まっ白な漆喰壁の高層の建物のつらなり。映し見の鏡で見た通りの、ひときわ高い円錐形の王宮がはるか彼方にそびえています。
「あ! 蝶ちょ」
鉄兜の少女が、鉄橋の上を飛んでいるものを指さしました。
茶色のごつい手袋をはめた手を空に伸ばして無邪気に笑っています。
空に舞うそれは蝶の群れで、輝く羽は真っ青。まるで蒼い宝石のよう。
「タママユ蝶だわ」
ずっとうつむいていたフィリアが顔を上げました。
「きれい……あの蝶、ひとつの繭の中で一斉に羽化するのよ」
「あんたほんとすごいね。知らないものはないんじゃない?」
鉄兜の少女が振り返って呆れたように言いました。
美しい蝶に目を奪われていた僕は気づきませんでした。
その時少女がにやりと口の端を引きあげたのを。
橋を渡りきった蒸気車はすぐに森の中に呑み込まれ、再び木々の枝葉合わさる緑のトンネルを進みました。線路はどんどん下へ降っており、突然洞窟のように暗いところにがらりと変わりました。
地下へ潜ったのです。
見上げれば天井は、巨大な木の根がからみあっているもの。左右に緑に光る灯り球がぶらさがって 停車駅まで連なるトンネルを照らし出しています。
「ほら着いたよ。たった六刻で王都にとうちゃーく! あたいのポチってすごいよね」
蒸気車が大量にふしゅうと蒸気を吐き出して停まり。鉄兜の少女がひらりと飛び降りたところは――
「人がいっぱいね」「物もいっぱいだ」
灯り球に照らされている、広間のような広大な空間。
大樹の根が天井を這うそこは、物資の山や荷車や人々でごった返し、とてもにぎやかでした。そこここから威勢のよい声が飛び交って、運び込まれた物資を運んだり、商取引をしている人々であふれ返っています。
「あんたたち金ないんだろ? こっちおいでよ。いいとこ紹介したげる」
鉄兜の少女が、蒸気車を降りたフィリアの腕を掴んで強引にぐいぐい引っ張りました。
「あ、待ってください!」
僕の目の前を鉱石袋を山と積んだ荷車が横切っている間に、二人の少女の姿は
はるか先。
しかも忙しげな男がどんとぶつかってきた拍子に、オリハルコンの布がずり落ちてきて。あわてて被り直しているうちに――。
「フィリア! くそ! どこに?!」
みるまに遠のき小さくなった少女たちの姿は、一瞬にして飲み込まれてしまいました。忙しく行き交う人の波と喧騒の中へ……。
僕はほどなく、激しく後悔することになったのでした。
この時。
メニスのフィリアを見失ってしまったことを――。




