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輪廻の歌 6話 影絵

 青く澄み渡る快晴の空と、白い木立が広がる雪景色の森。

 幹が半分吹き飛んだ巨木の洞から見えているのは、きらめく冬景色です。

 洞の中に響くのは――


「そこ! 曲がってるわよ」

「はい!」


 元気のよい少女の声。


「もっと右」

「はい!」

「そこでとめて」

「はいっ!」


 僕は今、懸命にトンカチを叩いています。

 メニスの少女フィリアがふかふかの落ち葉の絨毯の上にちょこんと座り、銀色のメガホンで命じています。


「板が足りないわよ」

「もらってきます!」


 フィリアは元気です。目を覚ましてすぐに、僕と兄弟子さまを思いっきり蹴り飛ばせたぐらい。

 母親の灰色の導師が彼女に加護の韻律をかけてくれていて、本当に幸運でした。おかげで僕らの首はつながっているのです。

 吹き飛ばしてしまった少女の住まいを直す。

 それが、僕がいの一番に始めたつぐないでした。

 とはいえ家具はほとんど木っ端みじんで修理不可能なものばかり。かろうじて原形をとどめる寝台が直せるかどうかといったところ。

 幹に開いた大穴も、瓦礫をかき集めて山にした壁で三分の一埋まるかどうか……。

 僕は老木の幹の外側に回り、落ち葉に隠された大きな円形の蓋を開けました。

 そこは灰色の導師が住まう地下工房への入り口で、石階段をまっすぐ下ると暖かい空気がほわりとあがってきました。

 円形の工房はかなり広いのですが、鉄の鳥たちを作ったり修理したりする工具や金属板、材木、作業台、あやしげな瓶が並んだたくさんの棚、部屋主の家具などが所せましとひしめいています。

 聞けば少女の家具はみな、灰色の導師がここで作ったものだそうです。


「失礼します」 


 灰色の導師はまっ白な作業台にいて、とても細い金属の工具で鉄の小鳥の金属羽を広げて修理しているところでした。

 鳥の胸が開けられており、機械仕掛けの内臓がほのかに青く光ってとくとく動いています。

 感心してしばし見惚れていると、灰色の導師が美しい顔をちらとあげました。顔の片面に拡大鏡のようなものをつけています。


「木材が要るのか?」

「あ、はい、寝台の足になるものを探しています」

「見繕ってとっていけ」

「はい、ありがとうございます」


 工房の奥棚には、ほのかに光るバーリアルの籠。

 灰色の導師が、「私がしばし預かる」と宣言してそこに置きました。

 そのすぐそばで兄弟子さまがふんふんと鼻歌を歌いながら木の板にカンナをかけています。

 薄く美しい削りクズがするすると流れ出て床にふわふわ落ちています。

 なかなかの腕前。さすが十五年間、自給自足の生活をしていただけのことは……

 あれ? なんだか板がものすごく薄っぺらくなってるような……


「兄弟子さま、フィリアさんの寝台をちょっと見てくれませんか」

「あー、忙しくってムリムリ」

「じゃあ兄弟子さま、そこの角材取ってくださ……」

「あー、ムリムリ。しかしこれ、すんげーおもしれえなぁ」


 やっぱり。この人、同じ板をずうっとカンナで削ってるだけじゃないですか! 完全に遊んでるでしょう!

 兄弟子さまに文句を言おうとすると。


――「母様、お茶を淹れたわよ。台所はかろうじて壊れずにすんでよかったわ」


 フィリアが湯気立つカップを盆に載せて工房に降りてきました。

 灰色の導師はちらと顔をあげ、小鳥の内臓のネジを工具で器用に巻きながら言いました。


「修理の具合はどうだ?」

「かなり微妙ね」

「では、とっておいた家具の図面をアスパシオンのペペに渡そう。寸法がキッチリ書いてあるからそれでやれるはずだ」


 にらむような母娘の視線がこちらに……。

 あわてて僕はしゃきっと背筋を伸ばしました。


「誠心誠意やらせていただきます!」





 それから数時間後の夕刻。


「ちょっと、どうみても傾いてるわよ? これじゃベッドじゃなくて滑り台よ?」


 僕は呆れ顔のフィリアの前に力なくつっぷしていました。

 生活道具を作る寺院当番をもっと真剣にやっておくべきだったかも。

 大工仕事がこんなにむずかしいなんて。図面通りにいかないとか、どういうことなの……。


「これじゃ使えないわ。母様の工房で寝るしかないわね」

「す、すみません。申し訳ありませんっ!」

「フィリアちゃーん」


 工房から兄弟子さまが上がってきて、崩れた洞のむこうから少女を呼びました。なんだか居心地悪げにそわそわしています。


「ありゃあ、寝台の修理うまくいかなかったか。でもさぁ、申し訳ないんだけど、今夜は上で眠ってくんない?」

「はあ?」

「君のお母さんが俺様と夜通し語り明かしたいそうで。そのお、二人きりで」


 少女も僕も怪訝な顔をしましたが、兄弟子さまはそそくさと地下工房に行ってしまいました。

 そしてその晩。


「母様にも言われたわ。上で寝なさいって。二人で語り明かすってどういうことかしら」


 メニスの少女は仕方なげに工房から持ってきたマットレスを洞の一番奥に敷き、暖かい灯り球を周囲に何個も置きました。

 僕はその反対側、ぽっかりあいた幹の穴のそばで滑り台のような寝台を背もたれにして毛布にくるまりました。灯り球をひとつ恵んでもらいましたが、吐く息はまっ白でかなりの寒さ。晴れた宵空が頭上にあり、無数の星がまたたいています。


「暁の明星。竜の涙。真珠の首飾り……」


 ふっと口から星座の名前が出てきました。

 僕が寺院に入りたてのころ、岩の舞台で我が師が教えてくれました。夜空を指さし、目を輝かせて。

 我が師の専門は星見。つまり星占いですが、ついぞ真面目に占ったことはありませんでした。

 今考えれば長老たちに目をつけられぬようにするため、わざとその能力を隠していたのでしょう。


――「戦神の剣の柄が燃えてるわね」 

「え? あ、フィリアさん?」


 ふわっとした甘い香り。気づくと、メニスの少女が毛布を肩にはおってそばに来ていました。

 宵空を見上げるその顔は仄かに悲しげでした。

 戦神の剣の柄とは、赤い巨星を中心とする十字型の星座のこと。

 エティア王国の建国英雄、戦士スイールの剣に見立てられています。その剣の柄には、大きな赤鋼玉が嵌められていたのだそうです。


「あまり良くないしるしだわ」

「星見ができるんですか?」

「あら、あなたはできないの? 導師の基本だと思ってたわ」

「おはずかしながら……」


 ため息が僕の……我が師の口からもれました。

 我が師が役立たずを装っていたのは仕方ないことだったかもしれませんが、少しぐらいは教えてくれてもよさそうなもの。

 やはり我が師は、超めんどくさがりなのかも。


「日頃から見るようにするといいわ。とても役に立つから。慣れると、今年の気候とか読めるようになるわよ」

「星を見て気候がわかるなんてすごいですね」

「星じゃないわ、空の色を見るの。星の輝きの色は星自体の発光だけじゃなくて、この星の大気の色で変わるのよ」 

「なるほど、空気の色か」  

「この星の息吹が不穏になれば星は濁ってみえる。平和になれば美しく輝く」

「今は……濁ってる?」


 僕が星空に目を凝らすと。メニスの少女はきれいな菫の瞳をふせました。


「ええ。竜の涙が本当に涙のように見えるわ」





 翌日僕はフィリアの寝台を解体して、導師がくれた図面とにらめっこしながら

再修理に挑みました。

 大工道具を使うのもなんとか慣れてきて――


「いびつだけど、足の高さは揃ってるわね」


 その日の夕刻にはフィリアが渋々納得してくれる出来栄えになりました。

 しかし兄弟子さまは、相変わらず工房に入り浸りです。

 夜は夜とてまた灰色の導師と「夜通し語り明かす」からと、上にくる気配がありません。

 その夜フィリアは洞の一番奥に寝台を置き、僕自身は洞の穴を埋めるべく積み上げた瓦礫の山に寄りかかりました。

 ありがたいことに、フィリアは洞の大穴に継ぎはぎした灰色の布を壁掛けのようにかけて、外気が吹き込むのを防いでくれました。


「母様の衣だけど、古くてもう着ないから使っていいって。だから縫い合わせたの」


 そういえば僕らにくれた灰色の衣も、灰色の導師のものでした。

 年がわからぬ容姿のまま、老いることなくずっとここで暮らしている人。

 一体、何百年? そして娘のフィリアはいくつ?

 最低三十は越えていると兄弟子さまは言っていましたが、メニスの少女は本物の僕と同じ十代半ばぐらいにしか見えません。

 女性に年を聞くのは気が引けて、僕は質問の言葉を飲み込みました。

 灰色の布のすきまから星が見えます。フィリアがそっと空を垣間見てまた悲しげな顔をしました。  

 星見の結果は、やはりかんばしくないのでしょう。


「この布、ちょっと幅が足りなかったわね。隙間風が入っちゃう」

「すみません、あったかくしてもらって」

「か、勘違いしないで。私の方にまで風が入ってくるから寒いの」


 フィリアの顔が真っ赤になったのをまじまじ見てはまずいと思い、僕は自分の足元に視線をずらしました。


「そ、そうですか」

「工房からあったかい灯り球をもっと持ってくるわ」

「あ、僕がもらってきます」


 ほわりと暖気が上がってくる工房の中は、灯り球の光が落とされてほとんどまっくらでした。

 奥棚のバーリアルの籠がうっすら光っています。

 灰色の導師と兄弟子さまは?

 工房の奥に淡い光を放つ灯り球がひとつ。そのそばの、薄い垂れ幕がかかってるところにいるようです。

 二人の影が橙色の淡い光によって垂れ幕に映し出されていて、まるで影絵のように見え――。

 ……。

 ……。

 ……は?

 と、とりあえず。あらぬ形にひっついてる二人の影絵は見なかったことにしてと……。

 僕がどぎまぎしながら近くにある灯り球を拾おうとしたとたん。

 垂れ幕の向こうから、ばっちーんという景気のいい音が響き渡り、兄弟子さまらしき影絵がはじけるようにうしろへのけぞりました。


「ひいいいい!」

「真面目にやれ!」

「すみませんっ!」

「手加減無用だ」

「でもそしたら旦那さま、すぐ負けますぜ?」


 旦那さま?


「黙れ。この百年間娘を相手に修行してきたんだ。そうそう負けぬ」

「でもすごろくは運の要素があってですね」

 

 すごろく? まさか盤すごろくをやってる? ああ、だから頭寄せてたんですね。

 び、びっくりしました。ふう。


「しかし一万歩譲って人間はともかく、なぜ男に転生した?」

「さぁ? なんでかわかんねえわ」

「ケンカを売ってるのか?」

「売ってねえよ」

「百年も娘をほったらかしてふざけるな」

「し、仕方ねえだろうがっ。俺様はもう死んでこの森の地下で眠ってるんだから」


 娘? この森の地下で眠ってる? 

 フィリアが前に言っていたのはたしか、森の地下で眠っているのは大鳥グライアの女王で……

 灰色の導師はその女王から鉄の鳥の面倒をまかされたと……


「これではずっと私が母親役をせねばならないではないか」

「そんでいいだろうが。メニスの純血種なんだから父親でも母親でもどっちでも

ノープロブレムだろ。両性具有なんだからよ」

「大問題だ!」


 どがしゃんと、すごろくの盤上で一斉に石が弾む音がしました。


「我がうるわしき六翼の女王が、なんでこんなむさい男に!?」


 え。


「こんなちんけな人間の男が、あのグライアの女王? 私がこの手で神獣に改造して生まれ変わらせ、かの六翼の鳥人となった、世にも美しき我が最愛の妻? ふざけるのもほどがある!」

「あ、アミーケちょっと落ち着こう。な?」

「約束が違う! 今度は絶対メニスの美少女に転生し、私と永遠に添い遂げると誓ったはずだ!」

「あー、そうだったっけ?」

「なのに百年も行方をくらまし、やっと目の前に現れたと思ったら……」 


 灰色の導師の影がわなわなと震えています。

 兄弟子さまの影が面倒くさげに頭をぼりぼりかいています。

 信じられない話に僕は息を呑みました。

 二人の話しぶりからすると、フィリアを生んだのは灰色の導師ではなくグライアの女王。

 導師は本当は父親? で、その鳥の女王の生まれ変わりが……兄弟子さま?!


「そういえばいまわのきわに、そんなこと言ったような気もするわー」

「気もするだと?! 一体何年、その言葉をよすがに私が生きてきたと? ちくしょう! やはりおまえが死んですぐに、わが変若玉オチダマで生き返らせるべきだった!」


 二人の会話に固まっていた僕はハッとしました。

 生き返らせる。死んだ者を、生き返らせる。灰色の導師にはそれができる?


「今からでも遅くない。おまえルーセルフラウレンの体に戻れ。我が妻の体はちゃんと保存してある。本気で生き返らせるから、とっととそのむさい体から離れろ」

「ええええー、めんどくせえええ! 大体、変若玉オチダマって……」

――「どうかお願いします!」


 垂れ幕をかき分け二人の前に飛び出し、僕は夢中で叫びました。


「お願いします! どうか僕の体を生き返らせてください! 僕の師を、アスパシオンをこの世に戻すために!」

 

 灰色の導師と兄弟子さまはぽかんと僕を見上げました。

 僕が乱入したところは、灰色の導師の寝台の上でした。

 灰色の敷き布が敷かれた上にすごろくの盤が置いてあり、二人は向かい合って座っていたのですが。気づけば無我夢中の僕は、灰色の導師にずいずい詰め寄っていました。


「どうか頼みます! なんでもしますから! なんでも!」

「ぺ、ぺぺ?!」


 指にむにっと食い込む柔らかい感触。


「う? うわあああっ?!」


 あわてて美しい人から離れてみれば。銀髪の美しい人は怒りを帯びた紫の目で僕をきつく睨み下ろしてきました。

 一糸まとわぬ姿で。


「ひ?!」


 僕は一気に血がのぼった鼻を抑えてしゃがみこみました。

 

「おろかなウサギ……我が胸に触れるとは無礼な奴。生き返らせろ? なんでもする? ほう? 本気か?」

「は、はい!」

 

 何とか答えると。灰色の導師は目を細めて僕の肩を掴みました。


「ウサギよ。おまえはどれぐらい本気だ?」 


 甘ったるい香り。頭が疼くほどのかぐわしい芳香……。

 頭がくらくらする中で、僕は必死に答えました。


「なんでもします……なんでも! だからどうか力を貸してください。僕はどうなってもいいんです。でも今のままじゃお師匠様が……あの人がこの体に戻ってこれないんです。だから!」

「アミーケ、だめだ! 無視してくれ」

「だまれ! おまえは口を出すな」

 

 兄弟子さまにぴしゃりと言い放ち、美しい人は鋭い眼で問うてきました。


「ウサギよ、では聞く。我が奴隷となれるか?」

「ど、奴隷?」


 美しい人の体はほんのり光を帯びて輝き、まるで神々しい女神のようでした。


「未来永劫、我が奴隷となれるか?」

「ぺぺ! 早まるな!」


 しばしの沈黙の後。僕は答えました。

 震えながら。


「……なれます」

 

 でも。一瞬も迷わずに。


「奴隷に、なれます」



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