輪廻の歌 4話 誘惑の声
ちりちりり
広い広い洞窟のような大樹の洞の中。
鉄でできたムクドリたちが、ぴんと張られたつる草にとまって機嫌よく鳴いています。
ちりちりり
突き出たでこぼこのくぼみにも、たくさんの鉄の鳥。
洞の入り口から鳥たちがせわしく出入りして、様子を見に来ては帰っていきます。
鳥たちの間でまた、「号外!」が広がっているのでしょう――。
鳶色の髪の少女が、菫の瞳でむっつりとこちらをにらんでいます。
とても広い樹の洞の中で、はるかむこうの木の椅子に座ってじいっとにらんでいます。
朽ち果てて久しく、しかも外側がカチカチに凍っている巨木。大人が二、三十人ほど手を繋いでようやく一周するほどの太さ。
そんな大樹の洞の中は巨大な洞窟のようになっており、柔らかな落ち葉が敷きつめてあって、橙色の光を放つ灯り球がいくつも置かれています。
球は光だけでなくほんわり熱を放っており、おかげでとても暖かい空間になっています。
家具めいたものが、はるかむこう側の壁際に見えます。
緩やかに湾曲した卓や椅子。本棚に寝台。タンスのようなもの。
洗濯物は、ついたてで隠されたところに干されているようです。
意識不明の兄弟子さまを抱える僕、そしてバーリアルを封じた籠は、この洞に入ることを特別に許されました。
そう。少女の家に。
心優しい美少女は、裸で極寒の外にいるのはかわいそうだから、と僕らを哀れんでくれたのでした。
すっぱだかのおじさんへの嫌悪より、同情が勝ったのでしょう。
とても暖かいせいか、落ち葉の絨毯の間から大量のキノコや草が生えています。
あ、花まで咲いて……。
「動かないで。そこでじっとして!」
「は、はいっ」
少女が命じたので僕はびくっとかたまり正座し直しました。
目の前には一線に並べられた木の枝。そこから先へは入ってくるな、だそうです。
僕のかたわらには兄弟子さまが目を固く閉じて横たわっています。呼吸はしているのですが、死んだように眠ったまま。
兄弟子さまの黒き衣も僕の草の服も籠の中。籠に蓋をするようにバーリアルを封じたため取り出せなくなってしまいました。
そのため少女はこの洞に入るなり、二人分の服を僕らに投げてよこしてくれました。
灰色に染められた寝間着のような貫頭衣です。
サイズは……全然合いません。肩幅がキチキチ。腰もキチキチ。なぜか胸はスカスカ。
どうみても女性用。ですが丈はすごく長く、少女のものではないようです。
僕は苦労して兄弟子さまに衣を着せてやりました。
少女は椅子に座って本をぱらぱらめくっていたのですが、当然こちらが気になるらしく、兄弟子様をちらちらうかがってきました。
「どうなの?」
「昏睡してます。魔力を使いすぎたんだと思います。それに、腕にすごい傷のあとが。治ってるんですけど、なんだか一度千切れたみたいな感じで……」
「その籠の中からケタケタ嫌な笑い声がするけど、それはなんなの?」
「バーリアルです。前に説明したと思いますが、古代兵器で鉄の兵士を操る魔王です」
「説明したのはもっと背の低い少年だったわ。あなたはだれ? あの少年はどうしたの?」
「ややこしいんですけど、僕があのときの少年です。この体は僕の師、アスパシオンの体なんです」
我が師が僕の身代わりに天上へいったことを話すと、少女はたちまち眉根を寄せました。
「私てっきりあの少年……ええとあなたは、その変態の弟子だと思ってたわ」
「いいえ違います。この人はちょっと変わった……友人というか、我が師の兄弟子なんです」
僕はひきつりながら眠る兄弟子さまを見ました。
変態。そうですね。初めて少女に会った時も裸攻撃してましたね、この人。しかも確信犯で。
「黒の技の禁呪を使ったのね。まだそんなことができる導師がいるんだ」
「禁呪、なんですか?」
「やってはいけないことよ」
「僕もそう思います。戻したいんです、我が師をこの体に」
やはり我が師はかなり無茶なことをしていたようです。
「でもお師匠様をその体に戻したら、中のあなたは死んでしまうけど。それでいいの?」
「構いません。我が師の人生を奪うなんてそんなことできません。でも兄弟子さまはそうさせてくれなくて……」
「私の母様なら、あなたの師匠を引っ張ってこれるかもしれないわ」
そういえばこの少女の母親は、鉄の鳥たちを作っている不思議な人。
古代の技術を知っていて何百年も生きているとなれば、相当の韻律使いに違いありません。
「でも母様は森を見回ってて留守にしてるの。帰って来るまであなたも休んでるといいわ。顔が真っ青よ」
洞の中にはかまどもあるようです。
ついたての向こうから少女はほかほか湯気を立てるきのこのスープを二皿持ってきて、木の枝の線のところに置いてくれました。
「そっちの人にもあげて」
僕は兄弟子さまの上半身を起こして、木の匙でスープを飲ませました。
兄弟子さまは飲みこんでくれたものの、その目は開かれませんでした。
「よく休ませて。知ってると思うけど、魔力の回復には眠らせるのが一番よ」
『人間。おろかな人間』
どこからか……つぶやき声が聞こえます。
『我の声が聞こえるか? 師の体に入った少年よ』
僕は目をこすりました。お腹が暖かく満たされてうとうとしていました。
籠の中のバーリアルの声のようです。
『起きたか?』
灯り球の光が落とされていて、少女は寝台で眠っています。
無警戒?
いいえ。
境界線の枝が置かれたところに、結界が張られています。
淡く白い弾力のある壁。物理的なものを遮る、空気を圧縮したもの。
音を遮断する結界は導師見習いでも比較的簡単に作れますが、これだけ厚く物を遮る壁を作るのは至難の技。少女は相当な韻律使いのようです。
あ。そういえば、いまだに彼女の名前を聞いてなかったような……。
――『少年よ。我を出せ』
籠の中のバーリアルが囁き声で語りかけてきました。
『おまえの体をよみがえらせる方法を教えてやる。だからここから出せ』
僕はため息をつきました。
「まだそんなことを。僕の体はもう埋められちゃったんでしょうに」
『埋めてないぞ。兄弟子とやらはだいぶ疲れていたからな。穴を掘って埋めるのをあきらめて、洞窟の中で草をかぶせてそのままだ』
「なんですって?」
『おまえの体は岩の上で凍りついておるだけよ。我が教える方法を行えば、すぐに生き返る』
「あなたのいうことは聞きません」
『師を助けたいだろう?』
「う」
バーリアルはネコなで声で囁いてきました。ねっとりと、甘い声で。
『おまえがおのれの体に戻れば、師の魂はたちどころに戻る』
「嘘でしょう?」
『嘘ではない。体と魂の絆はそうそう切れるものではない。邪魔するものが入っているから、離れているだけだ』
邪魔するもの……それは僕の魂。
僕がこの体からいなくなれば、我が師は天上から戻ってくる?
『体と魂の絆はたとえ切れてもすぐに復活する。おまえの体が元通りになれば、おまえはたちどころに体に戻れるぞ』
しゅうしゅうと反響する甘い声。
柔らかい吐息を何重にも重ねたような心地よい囁き。
『しごく簡単だ。すぐにできる。だれにでもできる』
聞いてはいけないと思いながら、僕は思わず乞うていました。
「そ……その方法を先に……」
おろかにも。
「その方法を先に教えてください。そうしたらあなたを放すかどうか考えます」
『かしこい。かしこいぞ、師の体に入った少年よ』
籠の中のバーリアルはしゅうしゅうと息をたっぷりふくんだような声で褒めてきました。
『そなたはおろかではない。我はそなたのしもべになろうぞ。そなたこそ我が主。我が王』
甘ったるい声がざわざわと僕の体にまとわりついてきました。
『特別に教えてやろう。だが我を放す約束を必ず果たすと誓ってくれ』
「な、内容次第です」
『大丈夫だ。必ずそなたはよみがえる。そなたの師は戻ってくる。ほらそこに。そなたの師の魂がある』
「えっ!」
僕は思わず振り向きました。なにか光のもやのようなものが空中に見えます。
あれはまさかお師匠さま? わかりません。灯り球の残像かもしれません……。
『さあ誓え。我に誓え。我を放すと』
「だから、内容を判断してからです」
内容を聞くだけ。そして「ダメだそんなの」とつっぱねればいいのです。そうすればいいだけです。
『誓え。かしこい主』
「ち、誓い……ます。それが実現できる内容なら」
甘ったるい声がやさしく笑いました。
『いい子だ。かしこい子だ。教えてやろう。白の技の真髄を』
次の瞬間。
かぐわしい芳香があたり一面に漂いました。
花のような。果実のような。甘い甘い、優しい香りが。
『この匂いを知っているか?』
「これは……メニスの……」
鳶色の髪の少女の香り。メニスの匂い。
僕は鼻を抑えました。なぜこの匂いを今感じているのでしょう?
少女はすごく離れたところで眠っているのに。
『癒しの白き技は。すべてメニスより生まれた。遠い昔、人間より先にこの星に来たやつらの寿命がとても永いのは、やつらが癒しの技を持っているからだ』
「なるほど……」
『白の技とはメニスの技。生き物を癒す白き衣の導師は、みなメニスであった』
「でも、今はいない。白き衣の導師は存在しない」
『我が生まれた時代にすでにメニスは姿を消した。人の目から隠れて生きている』
甘い香りがどんどん強くなっていきます。
バーリアルの甘い声もほとんど息のような音だけになっています。
なんだか、頭がくらくらしてきました。
視界がなんだか変です。
『なぜなら人間が求めたからだ。永遠に生きられるその技を。死者をよみがえらせるその技を』
「その技は……メニスが知っている?」
『いや。メニス自身が持っている。その体のうちに。メニスの甘露。中でもその白き血液は。何者もよみがえらせる力を持っている』
僕は思わず頭を抑えました。なんでしょう、この頭痛は。
いつもの。思考が。でき、な……
「まさかメニスが隠れた理由は……」
『メニスは狩られた。人間に狩られた。甘露を求める人間に。黒の技を持つ人間に。韻律の護りを崩し去れる者どもに』
バーリアルが告げた。甘い囁きで。恐ろしい言葉を。
『かしこい少年よ。すぐそこにいるぞ? メニスの娘が』
むせかえるような甘い香りが俺の全身を包んだ。
いつもの思考ができない。俺を包んでいる幕。盾のような役割をしているあの鎧。
俺は今、きれたときのようにむき出しにされている。
やばい……
この香りは籠から出ているのか? まさかバーリアル自身が出している?
いや、これは幻覚! バーリアルが出す声音のせい……!
「うう……!」
ぐわんぐわんと視界が揺れている。そばに横たわる兄弟子さまが何重にも見える。
まずい。思えばこいつは、あの我が師に取り憑いた奴。
初歩的な結界では、奴を封じ込めるのにはきっと不十分だったんだ。
『あの娘が張った結界など、今のそなたには簡単に崩せるものだ。さあ、』
甘い囁きが俺の脳を刺す。
『結界を破れ。かしこい子よ。甘露を得よ。そして誓いどおりに我を放すのだ』
「い、いやだ」
言葉とは裏腹に俺の体が勝手に動いた。
視界がぐらぐら揺れる中。
俺の……我が師の右手が突き出されて、勝手に韻律が口から放たれた。
『その言葉は無に帰した』
とたんに右手から大いなる言霊の力がほとばしり。
白い結界に亀裂が入って、あっという間に溶け落ちていく。
『かしこい子よ。さあ、甘露を得よ。白き血をそなたの冷たき体内に入れれば、そなたはよみがえる』
歯軋りすらできない。甘い声に囚われた俺の……我が師の体は、勝手に動き出した。
止めようとしても止まらない。
落ち葉を踏みしめ。キノコを蹴散らし。けなげに咲いた花を踏みつけ。ずんずん、鳶色の髪の少女が眠る場所へ近づいていく。
少女は湾曲した木の寝台の中ですやすや眠っている。
結界が破られるとは露ほども思わずに。
鉄の鳥たちは……一羽もいない。自分たちの寝床に飛んで行ってしまったようだ。
『さあ、殺せ。メニスを殺せ。屠って血を吸い尽くせ』
まさかバーリアルは。かつてメニスを狩ったことがある?
いや、狩った人間に使われていた?
そんなことを思う間に、俺の両手が少女の首に伸びた。
「だっ……だめだ! くっ……!」
少女の首に手がかかりかけたその刹那。
長い灰色の衣の裾をふんづけて、俺の体がつんのめった。そして。
びりっ
大きな音を立てて、灰色の衣が裂けた。
「ぐ……ぐ……ああああああああ!」
俺が搾り出すようにあげた悲鳴に、少女がハッと目を覚ましてくれた。
よ、よかった! なんとか危機回避できた! で、でも。
「っきゃああああああああ!」
腰がキチキチだったんだよな。胸はスカスカだったけど。肩幅も合わなくて。
腕を伸ばしていたから、もう見事に背中からべりっと衣が破けてしまっている。
当然、上半身は――。
「ごっ……ごめっ……!!」
ああああ、上手く喋れなくてすまない! これには事情が!!
「夜這い!? これ夜這い!? いやああああ! 変態いいいいい!」
「ちっ! ちがっ……ぐふっ!」
少女の白い足が僕のみぞおちに入る。続いて毛布がバッと襲い掛かってきて、毛布ごと俺は蹴り倒された。怒り狂った少女が俺をすまきにしようとした、そのとき。
『光弾を放て、かしこい子』
バーリアルの声が頭に刺さってきた。
とたんに俺の腕は勝手に動き、にょきりと右手を外に突き出して韻律を唱えた。
『雷放て我が右の同胞!』
少女の悲鳴が毛布越しに聞こえた。
くそ! 今の韻律は高位呪文! お師匠さまが俺を鍾乳洞から助けた時に使ったやつじゃ?
なんでこんな韻律を!
『やったぞ、かしこい子。とどめを刺せ』
俺の左手が勝手に毛布をはだける。ちらりと見えた後方に、籠の上に浮き上がった青白い光の玉が見える。
ああやはり。俺の結界が破れて、バーリアルが出てきてしまっている。
今の韻律を唱えたのは、きっとこいつだ。俺の口を借りたんだ……!
すぐ目の前には、まっぷたつの寝台。少女は直撃は避けたようだが、その衝撃で気を失って倒れてしまっている。
『さあ、とどめを!』
「い、いやだ!」
俺の右手が。またにょきりと突き出された。
「いやだ……!」
口が無常に動いて――
『雷放て右の同胞』
まばゆい光の矢が、ほとばしった。
倒れている少女めがけて。一直線に。




