輪廻の歌 3話 墜落
まさか。そんな!
我が師の体に、僕が入ってしまうなんて――!
動揺はしばらく収まらず。
落ち着くのには、かなり時間がかかりました。
なんとか思考はいつもの調子に戻りましたが、僕の全身は小刻みに震えています。
慄然とする僕の目の前で、兄弟子さまは大きな安堵の息をつき、洞窟の岩にどっかり腰を下ろしました。
「ここは湖の都からだいぶ北の山中だ。本気出して飛んだから、金獅子家の軍は追いかけてこれねえはず」
湿った洞窟はひんやりしていて氷室のよう。とても寒くてこごえそうです。
「まあ、これ以上北州が破壊されることはないだろう。バーリアルとハヤトは回収したし、バルバトスは俺様が遠くに放り投げてきてやった。他の導師たちはハヤトにやられてたな。瀕死になってたから死んだかも。ああ、ユスティアスってやつは確実にダメだった」
僕の体が、魔法陣の中に横たわっているのが見えました。
血の気が失せたまっ白な体。胸にはひとすじの深い傷。手足に浮かんでいる紫の痣……。
黒の導師の技に治癒系のものはほとんどありません。
それでも我が師はどうにかして、僕の体をよみがえらせようとしたのでしょう。魔法陣には何度も描き直されている痕跡がありました。
結局どうにもできなかったから、我が師はやむなく自分を身代わりにしたのです……。
「しっかしハヤトの野郎、俺様を認識するなり呪いを次々かけてきやがった。ほんと勘弁しろってやつだ」
兄弟子さまはこきこき首をならして肩を回しました。ぼろぼろの黒き衣から出ている手足は傷だらけ。まるで取っ組み合いのケンカでもしたかのようです。
「でも説得したらハヤトは大人しくなったし、バーリアルも外に引き出せたぜ」
僕のそばに光の結界の玉が浮かんでいます。
兄弟子さまが作ったものらしく、その中に黒いもやもやした影が渦巻いています。
「人工魂『宵の王』バーリアル。そいつがハヤトに取りついてたやつだ」
『だまれ導師。我を解放しろ』
もやもやした影からくぐもった声が漏れてきました。
『主人はどこだ? 我を主人のもとへ連れて行け!』
兄弟子さまはからからと笑いました。
「そいつをハヤトからひきはがすの、超カンタンだったわ。俺様の方が強いぜーって言ったら、ほいほい出てきやがったんで、ふんづかまえて閉じ込めた。こいつを寺院の封印所につっこめば、めでたしめでたし。あとはメルちゃん――えっと、ヒアキントスをぶっとばすだけだな」
「めでたし? どこが!?」
僕の視界がぼやけました。自分の体も洞窟の壁もバーリアルの影も、涙でよく見えません。
いますぐ、我が師の魂を連れ戻さなければ。
この体から飛び出して、あの白くて暖かいところに戻らなければ!
僕は兄弟子さまの胸倉をひっつかみ、僕の魂をこの体からひっぺがしてほしいと懇願しました。
導師見習いで未熟な僕では、まだ幽体離脱はできないからです。
しかし兄弟子さまはひどくめんどくさそうに鼻をほじりました。
「せっかく戻ってきた魂をはがして天上に戻す? それ、まじで殺人行為よ?」
「何言ってるんですか! 元の持ち主に返すだけです!」
「大丈夫だって。ハヤトはちゃんと輪廻して、なにかに転生するって」
「簡単に言わないでくださいよ! 『この』人生は! ハヤトとしての人生は、たった一度きりなんだから!!」
僕は頭にきて、思わず短い呪いの言葉を吐いてしまいました。
すると兄弟子さまはひっと声をあげて僕から離れました。
「おい! ハヤトの体は魔力が強いんだぞ。気をつけろ!」
「えっ?」
「ほらみろ! 血が出た! ひい!」
兄弟子さまは鼻を押さえてわめきました。
うわ……ほんとに鼻血が出てる……。
魔力の根源となるものはふたつ。
物質的なものと精神的なもの。すなわち体と魂です。
この二つから糸をより合わせるようにして言霊を顕現させる力が出てきます。
どちらにも全く魔力が備わっていなければ不才。韻律の行使は不可能です。
どちらか片方だけでもだめです。
両方になみなみと魔力が備わっていなければ、韻律は使えません。
つまり今の僕は、我が師の体のおかげで以前よりはるかに強い魔力を持っているということ……?
「も、もしかして! 幽体離脱できるかも!」
「あー、ムリムリ。ペペの魂の魔力は、その体とバランス取れてないから」
僕は兄弟子様を無視して氷のような岩の上にドカッとあぐらをかき、瞑想を始めました。
心をなんとか落ち着けて、天上へと飛び上がるイメージを思い描き。一気にするりと上へ――上へ――上……う。ううっ。
「うまくできません……」
がっくりうなだれる僕。肩をすくめる兄弟子様。
「ムリだって、ペペ。導師になっても実はできない奴なんてごまんといるんだから」
「いますぐ教えて下さい!」
「ぺぺ、ハヤトは操られていたとはいえおまえを殺したんだ。その償いをしたんだから受け入れてやれよ」
「償いなんていりません!」
「ハヤトを無理やり引き戻したって、あいつは納得しねえぞ? おまえの体はもう完全にダメなんだから――あいつはまたガンコに同じことをするだけだ」
――『少年の体をよみがえらせればよかろう』
突然。僕のそばに浮かぶ光の結界の玉から、不気味な声が響きました。
「ば……バーリアル?」
『死した体を治すなど簡単なことだ』
「だまれ」
兄弟子さまがすっと目を細め、黒くもやもやした影を睨みつけました。
「ペペに余計な知恵をつけるな」
『余計ではなかろう。死者など簡単によみがえる』
「今の時代、その方法はほとんど失われてる。白の技なんかあとかたもない」
『嘘をつくな、強い導師』
光の結界の玉から、せせら笑いが漏れました。
『白の技の真髄は、決して滅びることはない。導師の中に入った若い魂よ、取引をしようぞ。我がその真髄を教えてやる。代わりに我を外へ放せ』
「ぺぺ、こいつの言うことを聞くんじゃねえ。誘いにのるな」
ひょうひょうとしていた兄弟子さまの声が、ひどく厳しいものに変わりました。
僕は眉をひそめました。
いつもふざけて余裕をかましている兄弟子さまが、こんな真面目な顔をするなんて。
まさかバーリアルの言うことは……本当のこと?
「その方法」というのが、今なお存在する?
ぐらぐら揺れ始める僕の心に、兄弟子さまの言葉が刺さりました。
「ぺぺ、ハヤトもこいつに誘惑されたが耐えた。おまえも耐えろ」
『ふふふ、導師よ、もうろくしたな。六枚翼の時代のおまえなら、我などひと薙ぎで消し飛ばしたであろうに』
「だまれ。おまえみたいな危険な人工魂を輪廻の流れに乗せちまったら、けったいな魔王として転生しちまうだろうが。だから成仏させないで封印してんだよ」
『しかしおまえは我を閉じ込めるだけ。我の言葉は封じられぬ。おまえは転生してひどく弱くなった。そう、おまえは、弱い奴だ』
「バーリアル、挑発はやめような?」
兄弟子さまはひくりと口の端を引き上げ、光の結界玉を手に乗せました。
とたんにその手からバリバリと雷光が放電し、玉の中の影にまとわりつきました。
『ぐあああああ! おのれ! おのれルーセル……!』
兄弟子さまは疲れたような顔で仰いました。
「ぺぺ、おまえの体はここに埋めていく。北の塩湖へ行くぞ。ヌシに会ってから寺院に殴り込むからな」
「い。いやです! お師匠さまをこの体に戻しますっ!」
「ったく。めんどくせえ。ほんっとめんどくせえ!」
兄弟子さまが舌打ちした瞬間――「ぐ……!」
バチリとひどい衝撃を全身に受け、僕はその場にくず折れました。
「ごめんな。俺様、ハヤトに泣いて懇願されたのよ」
ドッと倒れこんで気が遠くなる僕を見下ろしながら、兄弟子さまは申し訳なさそうに囁きました。
「『どうかぺぺのことを頼む』ってな」
『師匠! これおいしいっすね。なんですか?』
『ほうほう、雲のウィンナコーシーじゃ。うまいじゃろ』
『うまいっす! 最高っす!』
ここは……
白い雲間?
白い髭の翁が雲の中にいます。
ふわふわの雲にちょこんと座ってニコニコ顔。
雲のテーブルの向かいには、虹色の人の形をしたものがいて。雲の椅子に座していて。カップの形をした雲を持ち、ふうふう息をふきかけて雲を飲んでいます。
あれは……僕の創造主と……我が師?
『師匠! これなんっすか?』
『ほうほう、雲のワタアメじゃ。屋台ちゅうもんでよく売られるんじゃ』
『おお! これが! 俺、これ一度食べてみたかったんすよ。お祭りとか、行ってみたかったなぁ』
『うむうむ。そなた、城住まいでは庶民の祭りは体験できなかったろうの』
ピンクや青や黄色。色とりどりの綿菓子のような雲を、幸せそうにほおばる我が師。
そんなわが師をとても優しいまなざしで眺める白髭の翁。
『いやでも師匠はやっぱすごい!』
『副業で屋台をはじめようかとおもっとる。魂たちの休憩場所になればよいかと思ってのう』
『それいいじゃん! 俺、師匠の屋台手伝おっかな』
『そうじゃのう、そなたの魂はしっかり人の形をとれるからの、ここにいようと思えばいくらでもおれるじゃろう。まあ、しばらくゆっくりしておいで』
『うひ。じゃあ、お言葉に甘えてぬくぬくのんびりしよっと。師匠、お酒ってある?』
『もちろんじゃ。星屑の露でできとるもんだが、ちゃーんとあるぞ?』
『じゃあ俺が一献注いでさしあげまっす』
『おうおう、なんとそりゃあうれしいのう』
二人は雲に座って楽しそうに語らい。雲を食べて。飲んで……。
「う……ううっ?」
まぶたの裏がとても明るくなったので、僕は呻きながら目を開けました。
今のは? 夢? それとも……?
気づけば、瑠璃色の大鳥がまっ白に凍った空を飛んでおり、僕はその背に乗せられていました。
おのれの手足は、ふわふわの白い獣足。
目方の軽いウサギに変じられて搬送されているようですが。
「動けない……?」
籠の上にしっかり縄でくくりつけられています。
真っ白な空はキンキンに凍っており、雪がちらちら。
大鳥は、どんどん北へ向かっているのでしょう。
魚と酒がすっかりなくなった籠の中には、畳まれた黒き衣が二着と、明るい結界玉がひとつ。
結界玉はバーリアルを封じているもの。この玉の光が急に強くなったせいで僕は目覚めたようです。
『飛ぶ速度がのろいぞ。歩いているようだな』
黒いもやもやの魔王は、不気味な声をあげていました。
僕が気を失っている間にも絶えずぼやいていたらしく、結界玉の力を強化した兄弟子さまはイライラと瑠璃色の翼を動かしています。
『やはりおまえは弱い、導師』
「へいへい」
『なんだこの結界は。ぬるいぞ。我はまだ喋れる』
「へいへい」
『おまえの弟子が起きたようだが、ほうっておいていいのか?』
「へい……へっ?」
「この人の弟子じゃありませんっ」
僕はウサギの鋭い前歯で縄をガジガジかじりながら否定しました。
「僕は、アスパシオンの弟子です!」
「ちょっとぺぺ、なにしてる」
「とりあえず体の自由を確保します」
「おいやめろ」
「体を自由にしたいだけです」
「やめろって!」
僕は無視して我が身を縛る綱を噛みちぎりました。
すると。
ぶちりと綱が切れると同時に、籠ががっくり傾きました。
「え」
「あちゃあ。だからやめろってー!」
「えええええーっ?!」
もしかして、籠をくくりつける縄で僕も一緒に縛ってたんですか?!
僕はバーリアルが入った籠と一緒に空中に投げ出されました。大鳥が文句を言いながら追いつこうと飛んできます。
ところが。
突然、大鳥のはばたきが止まりました。
「あ、兄弟子さま?!」
瑠璃色の巨体が目の前を落ちていきます。大きな鳥のまぶたが力尽きたように閉じられています。
まさか気を失った? どうして……!
「兄弟子さまー!」
『くはははは!』
一緒に落ちゆく籠から、バーリアルの勝ち誇った笑い声が聞こえました。
『弱いくせに、神獣のように力を使うからだ! もうただの人間なのに! おろか! おろかぞ!』
僕らはどんどん落ちていきました。眼下の、薄く氷の張った寒々しい湖へ。
見るからに心臓麻痺になりそうな、冷たそうな青白い水面へ。
水中に入れば溺れる前に凍死してしまうかも……!
僕があわてて籠に入り込むと同時に、籠はどぶんと湖に着水しました。草で編んだ籠はうまいこと浮かんでくれましたが、続けてざぶんと水しぶきをあげて落ちた大鳥は湖の水底へ……
「兄弟子さまあああ――!」
ぶくぶくと空気の泡が水面にあがってきます。しかし鳥の姿はあがってきません。
一瞬躊躇しましたが、僕は思い切って湖へ飛び込みました。冷たい水をがむしゃらに掻いているうちにウサギの毛がなくなり、体が大きくなり、手足が人間のものになってきました。
まずいです。術がとけたということは、兄弟子さまの意識が消えたということ……。
視界のおぼろげな水中で、僕はなんとか兄弟子さまを見つけました。
人間の姿にもどっており、完全に意識を失っています。
刺すように痛くて冷たい水を必死に掻いて、なんとか岸辺にひきあげると。
いまいましいことにバーリアルの入った籠はすでに岸辺に流れ着いていて、高らかに僕らに嘲笑を浴びせてきました。
『くっははは! 六翼の神獣も人となれば型なしだな』
「し、神獣?」
『光の使者ルーセルフラウレン! 鳥人を改造して作られた神獣!』
僕はハッと気づいて急いで籠に這いより、中を覗きこみました。
兄弟子さまの意識がなくなったために結界が消え失せています。
やばい! 蓋をしないと!
『ひと目見て分かったぞ。六枚の翼をもつ鳥人は唯一人、奴だけだ。よもや奴が人間に生まれ変わるとは。くっははははは……は?』
ふううう。あぶないところでした。ひどく初歩的な韻律でしたが、我が師の体に備わる力のおかげで、とても分厚い結界で籠を覆うことができました。
『おのれ! 出せ!』
わめく魔王を背に、僕は急いで兄弟子さまのそばに這い寄り、その頬を叩きました。
息をしていません。だいぶ水を飲んだかも。
僕は迷わず兄弟子さまの鼻をつまみ、口に息を吹き込みました。
――「きゃああああ!」
そのとき。すぐ後ろで甲高い悲鳴があがりました。
「なにこれ! なんなの一体!」
おそるおそる振り返って見ますと。
大きな桶をたんがえた鳶色の髪の少女が、顔面蒼白で僕たちを指さしあわあわしていました。
菫色の瞳が大きく見開かれています。
あれ? この少女、どこかで……
「あっ! あなたは!!」
「あんたたち、うちの洗濯場で何してるのおおお!」
「えっ?」
見りゃわかるでしょう、僕は今、瀕死の兄弟子さまに人口呼吸を……
あ。
そういえば僕も兄弟子さまも変身が解けてて……外見はいいおじさんで……
すっ裸……
う、うわあああああああ!!!!
「すっ! すすすみません! 無我夢中で気づきませんでし――」
「いやああああ! 気持ちわるいいいい! 来ないでええええ!」
鳶色の髪の少女の手から、力いっぱい桶がぶん投げられました。
「あぐっ!」
桶は見事に僕の顔面を直撃し、桶の中からばらばらと洗濯物がふりかかってきました。
僕はもんどり打って倒れました。
甘い甘い香りのする、女の子の服の中に――。




