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アスパシオンの弟子(コンリ版)  作者: 深海
くろがねの歌
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くろがねの歌 9話 蒼の陰謀

 僕は寺院の一階の回廊を駆け抜けて、らせんの石階段をびゅんびゅん登りました。あわてて追いかけてくるレストは、はるか後方。追いつかれる心配はなさそうです。

 ウサギの脚力のすごいこと。

 二段抜かしどころか、三段四段、あっというまに飛び越えていけます。

 最長老様の居室は、寺院の最上階にあります。薄暗い廊下に執務室と応接室、書庫に寝室が並んでいます。ひと部屋しか与えられない普通の導師とは違い、これら全部が寺院の長お一人のものです。

 僕は一番奥の寝室で、めざす人をようやく見つけました。

 金地のタペストリーが一面にかかっている寝室は、北側の岩壁が削られないまませりだしており、ゆるやかなドームになっています。

 最長老様は、金地の絹の敷布が敷かれた猫足の優雅な寝台に座り、とても辛そうに腕をさすっておられました。左腕を病んでいるのです。

 石皮病とは、患部が徐々に石のように硬くなっていく病。このままだと、いずれぴくとも動かなくなってしまうでしょう。


――「お加減はどうです?」


 寝台に飛びつこうとした僕は、せりだした岩壁の影にいる人の声を聞いて凍りつきました。

 冷たい氷のような声。ヒアキントス様です。この時間は瞑想室にこもられているはず。でも、寝室にはヒアキントス様だけではなく、北五州の大公家の後見人が全員揃っておられました。

 赤豹家のガイウス様。黒竜家のテムニオン様。そして、白鷹家のスポンシオン様。どうやら最長老様が、皆様を部屋に召集なさったようです。


「具合はかんばしくない。石皮病は不治の病であるからな」


 あわてて廊下にいったん出た僕の耳に、最長老様が硬い調子で語るのが聞こえてきました。


「さて、アスパシオンが国境の警備隊を撃破して、我が金獅子家の統べる北州に入ったとバルバトスより報告があった。ゆえにさきほど、我が金獅子家の大公に『鉄の獅子』の使用許可を出した」


 後見人たちから、どよめきがあがります。


「おお、『鉄の獅子』を使われるのですか」

「先のスメルニアとの大戦でも活躍したという、あの?」

「特例で保有が認められている古代兵器ですな?」


 最長老様が自信満々に答えます。


「いにしえのものは、いにしえのもので制するのが一番。たとえバルバトスが手こずっても、鋼の獅子どもが兵士を駆逐するであろう。すなわち、他の州に害が及ぶ可能性は全くない。そなたらは、各々の大公方に様々な通達を出されたことと思う。だが、此度のことは一切の手出しも援護も無用。我が金獅子家が独力でたちどころに鎮める。大公方には、御心安く過ごされるようにと伝えるがよろしかろう」

「わざわざのご助言、ありがとうございます。しかし此度は、白鷹家の者が、とんでもないことをしでかしたものですね」


 ヒアキントス様の冷徹な声が響いてきます。


「まっすぐ北州をめざすとは、明らかに金獅子家を狙ってのことでしょう」

――「お待ち下さい。アスパシオンは、金獅子家になんら恨みなどないはず」


 スポンシオン様が大声で反論なさいます。


「それにあれは傍流家の庶子ゆえ、白鷹家の本家とは何の関わりもありませんぞ」

「庶子だからといい逃れできるものでしょうか。白鷹ゆかりの者には変わりありませぬ。しかもアスパシオンは実は傍流家ではなく本家筋、大公閣下その人の庶子であるとの噂もございます」

「いやそれは!」

「庶子は継承権を持たぬとはいえ、親族なれば、白鷹の大公閣下が関与なさっておられる可能性は否定できますまい」


 ヒアキントス様が刺すように追求なさるのを、最長老様が止めました。 


「アスパシオンの真意は、バルバトスが探ってくれよう。白い鷹が絡んでいるのか、そうではないのかをな」

「最長老様! 白鷹家には、邪心も野望もございません。白鷹の大公殿下は、金獅子家こそ北五州の盟主とはっきり認めておられます」


 スポンシオン様が必死に弁解し始めて。そして――


「白鷹家の第二公子にして我が弟子たるフェンが、石皮病に効く薬を取り寄せました。最長老様に、献上つかまつりたいと。どうかお納め下さい。これこそ、白鷹家の本心です」


 スポンシオン様の言う薬とは……ヒアキントス様がレストに託した、あの毒薬に違いありません。レストは首尾よくフェンに盗ませたのでしょう。 

 最長老様の声が少し和らぎました。


「それはかたじけない。ありがたくいただこう」

「ふん、殊勝なことですね」


 ヒアキントス様がわざと悔しそうな声を出しています。

 だめです! あれを飲んでしまったら、最長老様は……!

 階段の方から、僕を追ってくるレストの足音がします。

 急かされた僕は、急いで寝室に入りました。見ればスポンシオン様は、今まさに、瑠璃色の瓶を最長老様に手渡そうとしているところでした。

 美しく輝く青い瓶めがけて、僕は弾丸のようにつっこみました。


「む?」

「なっ……!」


 いきなり飛び込んできた白い塊に、その場にいる誰もが一瞬固まりました。

 僕の前足がはじいた瓶は、金色の寝台の上に落ちました。

 僕は寝台に着地するや、蹴鞠のボールを蹴るように、後ろ足で瓶を思いっきり蹴りとばしました。


 ガシャン


 薬の瓶は、大きな音を立てて床に落ち。


「ああああ!」


 スポンシオン様の悲鳴と共に、見事に砕けました。

 驚きと怒りの視線が一斉に僕に集中します。ヒアキントス様は押し黙り、冷たい表情で僕を睨んでいます。


「な、なんだこのウサギは!」


 スポンシオン様はハゲ頭をゆでタコのように真っ赤にして、怒りの形相で僕の耳をひっ掴みました。


「きゅうう!」


 手足をバタバタ動かして、僕は必死に訴えました。

 瓶の中身は、毒なのです、と。これはヒアキントス様の陰謀なのです、と。

 でも人の言葉を封じられているので、哀れな鳴き声しか出てきません。


「どこぞの使い魔か? なんということをしてくれたのだ!」


 すると、ヒアキントス様が仰いました。一分の動揺もなく。


「申し訳ありません、それは私が街の役人から預かったウサギです。飼い主が亡くなりましたので私が引き取り、使い魔として仕込んでいたところです。とんだ粗相をいたしましたね」

「粗相どころの話ではないぞ!」

「ですが、このウサギはとても賢いようで、」


 ヒアキントス様は口元を引き揚げて、にやりとされました。


「匂いにとても敏感なようですよ。特に、毒薬にはね」  


 最長老様の顔がみるまに般若のようになりました。他の後見人の方々が、ちらちらとスポンシオン様を窺い見てヒソヒソし始めます。


「ま! まさか、そのようなことは、ない!」


 スポンシオン様の顔からみるみる血の気が引いていきます。


「言いがかりもはなはだしい! このウサギは、こちらで処分させてもらう!」

――「待て。ウサギは、わしが預かる!」


 最長老様が轟くような声でぴしゃりと仰って、スポンシオン様から僕をひったくりました。


「みな、下がられよ。床にこぼれた薬はそのままにしておけ。すぐに調べるでな」



 


 それから最長老様は、僕を結界をかけた籠に入れて閉じ込め、銀の匙やいろんな薬品を持ち出して、床の薬を調べられました。


「やはり毒か……白鷹家め」


 僕は必死にきゅうきゅう鳴いて訴えましたが、獣の言葉は全く通じず。

 あろうことか最長老様は、スポンシオン様のことをすっかり誤解してしまいました。


「皆の前で締め上げねばなるまいな。さて、ヒアキントスのウサギよ。お手柄だったな」


 最長老様が僕の籠を覗き込んだその時。寝室の入り口から、


 ヴン


 と、空を斬る音がしました。


「ぬ?」


 眉根を寄せて長老様が振り向くと。入り口から、大きな白い鳥が飛んで入ってきています。

 鷹です。

 それは巨大な翼を広げて襲い掛かってきました。

 恐ろしく獰猛なその爪で。





 そのまっ白い巨大な鷹は、最長老様の顔めがけていきなり突っ込んできました。

 寺院の長は目をくわっと開き、すかさず防御の結界を唱えたものの。相手のあまりの素早さに、その韻律の声は、途中で途切れてしまいました。

 最長老様は床に押し倒されながら、するどいくちばしで目を突かれ。頭をしたたかに打ちつけられ。そして思い切りずぶりと、首をわしづかみにされました。

 床に敷かれた黄金色の絨毯を、顔から流れる血が真っ赤に染めていきます。

 鷹は仕上げにわざとバサバサ激しくはばたいて、白い羽を床に落としました。この恐ろしい所業は、毒薬と同様、白鷹家のせいとされるのでしょう……。

 あまりの光景に、僕は思わずギュッと目をつぶりました。


『無駄です、ウサギよ。人語を封じているおまえは無力』


 鷹から、あの冷たい声が聞こえました。それはまさしく、ヒアキントス様のもの。

 こんな大きな鳥を使い魔として飼っている導師はいません。ということは……。


『おとなしく私の籠の中に戻りなさい』


 うっすら目を開けると、勝ち誇った鷹の顔がすぐ目の前にありました。

 その目は不気味なぐらい真っ青に輝き、血だらけのくちばしを今にも突き刺してこんばかり。

 これは使い魔ではありません。この鷹は、ヒアキントス様自身が変身しているに違いありません。

 まるで氷のように冷たい鷹の息が、僕の頬にかかってきました。


『ウサギよ、私の言うことをききなさい。でないと、あなたの秘密をバルバトスにばらしますよ』


 秘密?


『破門されたアスパシオンの部屋のものに加えて、死んだあなたの持ち物も、私がすべて整理と処分をしました。共同部屋にあるものは、何から何まで。この意味がわかりますか?』


 僕は氷の呪文にかけられたように固まりました。  

 枕の中に隠していたトルからの手紙。

 あれを見つけられてしまったに違いありません。

 ああ、リンの言う通り、早く処分していれば……。


『メキドに親書を送るとはずいぶん賢いウサギですね。私が今、バルバトスにあの手紙の事を伝えたらどうなると思いますか?』


 どうなるって……バルバトス様は烈火のごとく怒り狂って……。

 

『そう、あの人はまだメキドのことで憤っています。ですからきっと私にあなたを即座に殺すように命じ、あなたの師もその場ですぐ殺すことでしょう。バーリアルに自分の首を締めろと命じればよいのですから、実に簡単です。しかしいまやあの人は、それで困ることはありません。おあつらえむきの次の依り代が、そばにいるのですから。我々は少しシナリオを変えるだけでいいのです』


 次の依り代とは……正義感あふれるユスティアス様のこと?

 僕はぶるぶる震えました。頭の回るヒアキントス様のことです。どんなことが起こっても、都合のいい筋書きに書き換えてしまうにちがいありません。僕が乱入して毒薬の瓶を落とした時のように。


『賢いウサギを殺すのはしのびません。私の使い魔になり、忠実に尽くすと誓うなら、私は口を固く閉じ、しかもあなた方師弟の命を助けてやりましょう。ウサギよ、我がもとに降るのです』

 

 これは真っ赤な嘘だと思いました。

 この人は手の内から逃した僕を脅して、籠の中に戻したいだけ。

 よしんば本当に僕をしもべにしたいと思っていても、結局は僕ら師弟を利用しつくした後で容赦なく処分するに決まっています。

 それが少し早いか遅いか、それだけの違いです。おそらく一週間も違わないでしょう。

 あの銀の籠の中に戻って、一体なにができるでしょう? 

 そしてこの鷹に逆らった場合は、一体なにができるでしょう?

 僕はなんとか心を落ち着かせ、二つの可能性を両天秤にかけました。

 起死回生の芽があるのは、どちらでしょうか?

 バーリアルの破壊力の度合いは、乗り移った者の力に左右されます。

 ユスティアス様はかなりお強いですが、おそらく我が師の方が魔力は相当強いでしょう。

 もし僕の秘密がばらされたとしても、バルバトス様はぐっとこらえて、当分は我が師をバーリアルの依り代として使うはずです。北州を十分に破壊するまでは……。

 僕はそれに賭けることにしました。そしてなぜ鷹が、急いで取引を持ちかけてきたか気づきました。

 僕が入っている籠にかけられていた結界が消えています。

 最長老様は絨毯の上に倒れたまま、ぴくとも動きません。鷹の恐ろしい握力で首を締められて、窒息させられてしまったようです。術者の意識が無くなったために、籠にかけられた韻律が消えたのです。

 つまり。僕は今、「逃げ出す」ことができるのです。


「きゅううう!」


 僕は意を決して籠から飛び出しました。

 誰かにこの事実を知らせようと思いました。

 でも、一体誰に? 

 優等生のリン? 彼なら僕が変身しようとして部分的にウサギになったことを知っています。

 彼に気づいてもらえれば、なんとかなるかも……!


『私にこのような手間をかけさせるとは……』


 必死で廊下へ逃げ、階段を転げるように降りる僕を、鷹が悠然とはばたいてついてきます。一階の回廊まで逃れた僕の背中を、鷹の爪がガリッとかすりました。

 ウサギなんて、鷹にとってはいい獲物でしかありません。

 救護室の前にきましたが、リンの姿はありません。共同部屋にも。中庭にはレストの姿があって逃げ込めません。

 ああ、早計だったでしょうか。

 僕は寺院の出口に追い込まれ、やむなく湖の岸辺に逃げました。

 ああ、魚になれたら。水の中に潜れたら。すぐに鷹を振り切れるのに……。

 僕は寺院の外周を闇雲に走り、つきあたりの岩壁を、空しくがりがりひっかきました。きいきいとあわれな声しか出せない僕に、蒼い目の鷹が優美に空を斬って迫ってきました。

 万事休す――

 と、その時。がむしゃらに後足で岩壁を蹴り上げたとたん。ぼろっと、その部分が崩れて、ぽっかりと小さな穴が開きました。人間がひとり、ぎりぎり入れるような隙間です。これ幸いと、僕はその穴に入り込みました。鷹も後に続いて入ってきます。


『この穴は……!?』


 鷹が驚いています。僕もびっくりしながら暗い穴の中を突き進みました。

 獣の目ゆえか、周りがとてもはっきり見えます。穴の形はとても整っており、自然にできたものには見えません。入り口部分のもろさから見ても、人の手によって作られた抜け穴のようです。暗い穴はだんだん広がっていき、そしてだんだん下っていきます。

 これは……どうやら地下に通じているようです。

 穴の先は予想通り、寺院の地下の広大な鍾乳洞に繋がっていました。ヘロムという鉱石を採取する広間のような所に出たので、僕はホッとしました。弟子たちが数人、鉱石を採取しに来ていて、ランタンの灯りが所々に見えたからです。

 この場所はよく知っています。なんとか鷹をまいて、また寺院へ戻れれば……

 と思いきや。気が緩んだ僕は一瞬の隙を突かれ、鷹の爪にぐわっと掴まれました。鷹はヘロムの採掘場から飛び去り、もと来た穴を戻ろうとしました。ぎゅうぎゅうと、恐ろしい握力で僕を握りしめてきます。

 僕は必死でもがきました。

 もがいて、暴れて、そして鷹の足に思い切り歯を突き立てました。すると鷹はぎしゃあと甲高い悲鳴をあげ、僕を離しました。

 僕はしっとりした鍾乳石をころころ転げて、はじっこに開いていたとても小さな穴に転げ落ちてしまいました。

 そこは滑り台のような急斜面の穴で。

 いつまでもいつまでも、僕は転げ落ちていったのでした。

 暗闇の奥底へ……。


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