27. 一年前の乙女涙の島
※ 美樹ちゃんが、私に『乙女涙の島伝説』を教えてくれる回です。
◇ ◇ ◇ ◇
空を飛んで乙女涙の島の岸辺に着地した私と美樹ちゃん。少し高台に小さいが白い平屋建の家がありました。
(ここはあたしの家が経営してる湖の家だよ)
──湖の家?
(うん、入ろう)
といって美樹ちゃんは家に入ったので、私もついて行きました。
◇
室内は、観光用のダイビングや釣りをするための備品が、雑多に置いてありました。その部屋とは別に、奥には綺麗な個室部屋がありました。
(わあ、なにも変ってない、嬉しいな、あ、奥の部屋はあたしん家専用なんだよ、精霊さん、あたしは潜る時、いつもここで過ごしてたんだ!)
──へえ、そうなんだ。
と、美樹ちゃんは嬉しそうに、私を手招きして、ズンズンと床を踏みしめて奥へ行きます。
今日は美樹ちゃんの一周期で、観光用の部屋は閉店という紙が貼ってありました。そのため客人は誰もいません。
わたしと美樹ちゃんは、上杉家の調理場のテーブルの木の椅子に腰かけました。
(ああ、懐かしいなぁ。この場所。あ、精霊さんもこっちにきて座って!)
いわれるままに、私も椅子に腰かけました。
美樹ちゃんがいうには──。
この鏡湖は最大水深が二百メートルほどで、日本でも有数の古い湖といわれているんだとか。
湖ができたのは約数十万年前、鏡湖にぽっかりとできた無人島がこの乙女涙の島。陸地から南方四百メートルほどの離島で、この島までボートや遊覧船ですぐ着ける。
美樹ちゃんなら、天候が安定してれば自力で泳いで島へ渡れるんだと。
織田君たちがいった通り、美樹ちゃんは人魚みたいだ、と称してたのも納得です。
( 精霊さん、この乙女涙の島の真下にはね、湖底より、さらにずっと奥深く人間が近づけない摩訶不思議な古代湖の通る穴がある、といういい伝えがあったんだ、でも云い伝えなんかじゃなかった!本当だったんだ)
と美樹ちゃんは、昔からこの島にまつわる古代湖の伝説を話し始めました。
(そこには何十万年前からいる古代魚たちがたくさん泳いでいて、古代湖の精霊たちが美しい人魚に変身した姿で、夜な夜な番をしているそうな。──なぜなら、この島に人間を近づけない為に。時には寄りつく漁師たちがいたら、精霊たちは妖女に扮して漁師を美しい歌声で惑わせて、海の底へ引き摺り落としていたんだって!)
──へえ、ちょっとゾッとする話ね。
(いやだな、他人事みたいに。その湖の精霊があなたのお姉さんたちじゃない!)
──え、そうなの?
私は驚きましたが、でも……確かに巨大アンコウ時代、私が湖底にいた頃、湖上と行き来していたネクトン叔父さんと、私が話していた遠い記憶を思いだしました。
『とても可愛い人間をひとり見つけて、自分のものにしたくて湖中に引きずり込んだ』って、すぐ上の姉さまがいってたっけ。
(そうだよ精霊さん、思い出した? 一年前、確かにあたしは昼間、詩織と織田のキスしているのを林で目撃したわ。その時はショックで、追いかけてきた詩織を振り切ったあたしは、とてもむしゃくしゃして、潜りたくなってボートを漕いでここに来たんだよ!)
──そうだったんだ、詩織ちゃんは、きっとキスの弁解をしようとしたのね。
私は詩織ちゃんの哀しげな表情が思い起こされました。
美樹ちゃんは事故にあった、あの日の状況を私に説明していきます。
※ ※
精霊さん、この乙女の涙島付近の水深は鏡湖でも一番深かったし、水が透明だったから子供の時から、あたしのお気に入りの場所だったの。
あたしは必ずここに来るとバックに日記帳を入れて、この机でいつものように日記を書いた後、ウェットスーツとゴーグルとフィンを付けて、さっきの岩場から何度か潜水したんだ。
最初はとても気持ちよかった。
太陽はギラギラと眩しくて、空も快晴で水も真っ青に澄んでいた。
あたしの詩織たちへのイライラしていた心も落ち着いて、そろそろラストの潜りから陸に上がろうとした。
──その時だった。
水深十数メートル辺り潜ってたら、雨がザーッと降り出してきて、急に水かさが増して水が一気に濁ってきたんだ。
もうあっという間に、天候が変わった。突然大嵐になった!
あたしは湖上に上がろうとしたけど、湖底からもの凄い激流が上昇してきて、一気にあたしは濁流に巻き込まれた。
凄かったよ!
あんな激流、生まれて初めてだった!
あたしは必死でターンして、湖上に上がろうとしたけど駄目だった。
その時、真っ暗だった水の中に、赤い光が急に放って見えた──。
眩しすぎて、思わず目を瞑ったけど、目を開けたら信じられないくらい大きなアンコウが、あたしの目の前に突然現れたんだ。
──あ、それ……
そう、精霊さん、あたしはあなたと遭遇した。
ふと気付いたらあたしは素顔だった。
いつしか付けていた、ゴーグルが外れていた。
裸眼で見たせいか、あなたのギョロッとした大きな目玉は、あたしの顔ぐらいあってとても気持悪かったよ。
でも不思議だけど、あたし、その時は、ちっともあなたが怖くなかったんだ。
そのままアンコウのすんごい大きな口が開いて、あたしはビューッと掃除機みたいに吸い込まれていった。
そこからはあたしは、意識を失った。
暗転──。
どのくらいの時間が経ったろう。
とても寒くて、あたしは目が覚めた。
気付いたら、目の前は真っ暗だった。
何も見えない。
何もわからない。
あ、そうだ、さっきあたし巨大アンコウに飲み込まれたんだ。
ここはアンコウの中──?
え、ユラユラ ユラユラ……
いや、ちがう!この感覚……
ここは湖の中だ!
いつも潜ってる感覚と、一緒だもん。
でも、なんだろう、体がおかしい。
すごく、変な感じだ。
何がおかしいって、真っ暗な水の中に私が潜れている。
おかしいだろう?
全然、呼吸が苦しくない。
深く、深くずっと体が簡単に潜っている。
あ、あたしは気付いた。
ウエットスーツもなにも付けずに、水の中にいる!
裸じゃん、フィンすらつけてない。
なのに、自由に潜れてる!
ああ……なんて気持ちいいんだ。
これが世界チャンピオンがよくいう、ゾーンの感覚なんかなって。
それまでのあたしのコンスタントの、深水最高記録は三十メートル。
でも、多分、今はもっと深い。
数百メートル以上はある。
だって、わかるんだ。
深く潜れば潜るほど、水の中は無音になるから。
いままで経験したことのない。
音が聞こえない世界。
(怖い!!)
あたしは無性に怖くなって、湖上へ向かって一気に駆け上がった。
上昇も信じられないような、速さだ!
あたしはニジマスかよ!
※
湖上へあがったあたしの頭上には、まあるい満月が見えた。
さっきまでは大嵐だったのに、あとかたもない静寂な夜。
ふと岩山を見たら、精霊さん、あなたが横たわっていたんだ。
──え、私が?
うん……
美樹ちゃんは、神妙な顔をして頷きました。
※2026/1/19 一部大幅に加筆訂正済




