14. 美樹ちゃんのお母さんのスピーチ
◇ ◇ ◇ ◇
映写が終わると暗かった会場内は突然、明るくなりました。
一回忌法要の最後に美樹ちゃんのお母さん、京香さんが締めの挨拶をする為に、壇上に上がりました。
「本日はご多忙の中、亡き娘、美樹の一回忌法要にお集まりいただき、誠にありがとうございました。おかげさまで、滞りなく法要を迎えることができました」
京香さんは、参列した人々に深々とお辞儀をしました。
喪服姿の京香さんは背筋をぴんと伸ばして、しっとりした和風美人です。
美樹ちゃんは目と髪の色はお父さんのエリックさんと同じだけど、顔立ちはお母さんに良く似てるな~と私は思いました。
でも私は京香さんのスピーチが頭に全然入ってきません。
内心動揺しまくってたからです。
さきほど、突然、自分の記憶が朧げながら蘇ったせいで、京香さんの顔をまともに凝視できないのです。
でも何故、私がのっぺらぼうの幽霊なのでしょう?
人間でない私がどうして人間の幽霊、いや亡霊になっているのか?
わからない、わからない。
思い出したのは、私が古代魚の橙色アンコウだったという記憶だけです。
でもそれだけです。それしか分かりません。
わからない わからない。
何故、私が巨大アンコウで、あの嵐の湖中に美樹ちゃんと遭遇したのか?
何故、湖底の泥の中にいたアンコウが湖上へと上がっていったのか?
一つだけ確かなのは、私が美樹ちゃんを殺めた犯人だという事。
いや犯人は人だわね、犯魚というべきかしら。
とにかく事故とはいえ、殺人魚の私が、これからどの面下げて、ご遺族に会えばいいのよ!と悶々と悩んでいました。
──あ、でも、待ってよ!
そもそも私は、顔なし幽霊じゃない!
どのみち私は人間ではないし、誰も私が、ここに座してる事すら気付いていないわ。
そうよ、誰一人私を知らない⋯⋯。
私は美樹ちゃんの御両親に、詫びることもお悔やみをいうことすらできない⋯⋯。
ああ嫌だ、嫌だ、ならばどうして私はここにいるの?
私はますます気持ちが凹んでいきました。
◇ ◇
それでも、私はない顔をあげると、京香さんのスピーチはそろそろ終わりに近づいてます。
「──最後に皆さま、美樹は十六歳で不慮の死を遂げて、余りにも短命な人生でしたし、美樹と関わった多くの方々が私たち遺族に対して憐憫してくださるのは、とてもありがたく存じております。それでも皆さま、美樹は私たち家族、ひとりひとりの胸の中にいつまでも生き続けております。どうかこのホールの壁一面を見渡してください!」
京香さんは参列者に向かって、両手を大きく、回りを見渡すかのように開きました。
同時に会場内にいる参列者たちも、京香さんに促されて、四方の壁にある美樹ちゃんのスチール写真に目を向けました。
この水族館のシアターホールの壁一面には、美樹ちゃんのフリーダイビングの写真が何十個となく飾られていました。
先ほどのスクリーン映像で見た美樹ちゃんの鏡湖の水中撮影の写真ばかりです。
まるで美樹ちゃんと同じ瞳の色、エメラルドブルーの水中世界。
その碧い湖の底へ底へと潜っていく黒いウエットスーツ姿の美樹ちゃん。
湖の中は神秘的でバックのブルーと相まって、とっても綺麗です。
人は美しいものを見た時、我を忘れて息を呑むという⋯⋯
まさにそんな写真でした。
深く潜水した青い湖の奥深く──。
静かにゆらゆらと漂う黒い人魚のように、美樹ちゃんが映っています。
「どうですか、皆様。とても美しい写真でしょう。ここに展示したのは美樹のフリーダイビングの写真ばかりです。美樹はなによりも透明度の澄み切った鏡湖に潜るのが好きでした。私に叱られて泣いた時や、哀しい時もいつも秘密の隠れ家に籠るように、湖に潜っていました。そして子供の頃はよく私に何度も早口で話すのです──」
京香さんは震える声で、袖口から小さなメモを取りだして読みました。
『お母さん、私ね、湖に潜ってると時々人魚に会うのよ。とっても長い綺麗な銀髪のお姉さんだった。上半身は裸で、腰から橙色に光る尾ひれがとてもピカピカに輝いてるの。そしてね、いつも私においで~おいで~と手招きするのよ──でもあたし、まだ小さいから深水三十メートル以上はとても潜れないでしょう。ああ、早くあそこまで潜りたいなぁ。ねえ、お母さん、もしあたしが大人になって三十メートル以上潜れたら、あの綺麗な人魚に会いに行けるかしら』と……」
そこで京香さんは泣き崩れて、屈みこんでしまいました。
幼い頃の美樹ちゃんの屈託のない、あどけないしゃべりを想い出したのでしょうか。
「キョウカ!!」
と慌てて一番前の席に座っていた夫のエリックさんが、京香さんの側に駈け寄り、肩を抱き寄せました。
檀上で抱き合う二人の姿を見て、会場からも嗚咽の声があちこちから聞こえてきました。
京香さんの言葉に、もらい泣きしている参列者がいるようです。
私も胸がいっぱいになりました。
──ああ、人間みたいに涙が出ればどんなにいいだろうなあ……。
京香さんは立ち上がりました。
「お見苦しいところをお見せして失礼致しました。どうか皆様、式が終わっても、この水中写真をご覧になってお帰りください。生前、美樹が一番自由にいられたのは、もしかしたら……この鏡湖の水中だったかもしれません。美樹はきっと人魚になったのだと思います。本日は本当にありがとうございました」
と京香さんは、最後はしっかりとした口調に戻って素晴らしいスピーチが終わりました。
万雷の拍手の中、登壇から京香さんが、エリックさんに抱きかかえながら、ゆっくり降りていきます。
その時でした──。
「ううっ……ごめん……なさい…美樹のお母さん……うっ……ひっく……」
突然、私の横に座っていた詩織ちゃんがハンカチで、顔を覆いながら呻きだしました。
「詩織?」
隣にいた織田君が詩織ちゃんの異変に気付きました。
「うっ、ごめんなさい……私が悪いの……」
「詩織ちゃん、どうしたの?」
織田君の隣の北条君まで、詩織ちゃんの姿に気付きます。
「うう、私なのよ、叔母さん、叔父さん、私が美樹を殺したんだわ!」
──え、何いってるの、詩織ちゃん!
詩織ちゃんの絞りだすかのような言葉は、私の心を突き射しました。




