萩と南天
小萩が南条家に嫁いできたのは緑鮮やかな暑い夏のことだった。
あの時は秋までここにいられるだろうかと心配していたが、今はもうすっかり冬になり、寒さもいよいよ本格的になってきている。
昨日までは天気が悪くて冷え込んでいたものの、今日はよく晴れたためか、この時期にしては珍しいほどぽかぽかと暖かい。
司朗と一緒に縁側に並んで日向ぼっこするには最適の、いい陽気だった。
庭の植木も大半は冬支度で少々寂しげな様子だが、葉が青々としている常緑樹もあるし、赤い花をつけて目を楽しませてくれる寒椿などもある。
しかし小萩の隣に座る司朗は、さっきから不機嫌な顔つきを隠そうともしなかった。
「──で、どうしてまだいるんですか」
口から出る声は、控えめに言っても迷惑そうだ。
「それがなあ、俺たちもよく判らないんだ」
と返したのは新之輔である。
「私たちだって困惑してるのよ、ねえ、ロク」
「そうだぞ。てっきり空の上に行くのかと思ったら、気づいたらここにいてさ」
美音子と陸は「こちらこそ迷惑している」と言いたげな態度で、平然としてふんぞり返っていた。
「まああれだ、きっと、あの世も忙しいんだろうな。それで『もう少し後で来てくれ』って追い返されたんだ。なあ、小萩もそう思わないか。……ん、小萩、どうした?」
したり顔で適当極まりないことを言い、新之輔が小萩に同意を求めて振り向く。が、そこで怪訝な表情になって首を傾げた。
「なんでそんなに膨れてるんだ?」
「……知りません!」
小萩はぷいっとそっぽを向いた。
そりゃ、膨れもするだろう。なにしろあの別れから三日間、小萩は三人のことを思い出しては、めそめそして、冥福を祈って、こんなことじゃダメだと己を叱咤激励するのを繰り返すという、なんとも忙しい日々を送っていたのだ。
そして四日目の今日、つまりついさっき、「よう、二人とも」と新之輔が陽気に挨拶しながら目の前に現れたのである。小萩は危うく縁側から転がり落ちるところだった。
美音子と陸も続いて姿を現したのを見て、さらに心臓が止まりそうになった。
一人の時こっそりため息をついて過ごした、この三日間を返してほしい。ついでに涙で濡れすぎて湿ってしまった枕もどうにかしてほしい。
「なんだ小萩、そんなに俺が恋しかったのか。まったくおまえは可愛いねえ。拗ねた顔にはちょいと色気も」
「──伯父上」
「いや……冗談、冗談だって。おまえさ、俺は伯父で幽霊なんだから、もうちょっと大目に見てくれてもいいだろ」
軽口を叩いて笑った新之輔は、司朗から凍てつくような視線を向けられて、逃げるように陸の後ろに廻った。
「司朗も小萩も鈍感な上に不器用だものね、私たちがいなくて上手くやっていけるのか心配だったのよ。それが新しい心残りになったのかしら」
「まあどっちにしろ、かかさまが来るまで、まだしばらくかかるだろうからなー。待ってる間、ここで小萩の面倒を見てやってもいいかなと思ってさ」
美音子と陸は呑気なことを言っている。
司朗は「いろいろと余計なお世話です」とぶつぶつ小声で呟いた。
「そういえば小萩、おまえの養い親たちはどうした? きっちり縁は切れたか?」
陸の背中から新之輔が訊ねてくる。小萩が暴力を振るわれていたところに居合わせたから、気にしていたのだろう。
「それが、あれからぴたっと音信不通になりまして」
小萩は頬に手を当て、首を捻った。
怪異の真っ只中にいた養父と養母は、恐怖心から途中で気を失って、蔵の中で何が起きていたのかまったく見ていなかったらしい。意識を取り戻してからは、ほうほうの体で家に逃げ帰っていった。
あれだけの目に遭ったのだから、治療費や慰謝料を寄越せとでも騒ぎ立てるのかと思ったら、案に相違して何も言ってこない。
その後司朗が養家に出向き、どういう話をしたのか謎だが、「今後一切小萩には関わらない」「本家の敷居は二度と跨がない」という約束を取り付けてきたという。
「小萩を殴ったやつらだろ? 司朗、ちゃんと文句言ってきたか?」
「それなりに」
「まったく最低よね。下手をしたら傷が残ってたかもしれないじゃない。その分、やり返してきたんでしょうね?」
「それなりに」
憤然とする陸と美音子の問いに、司朗は淡々と答えている。
小萩はその返事に、ん? と引っかかった。司朗からは、「話をしてきた」としか聞いていないのだが、今、それなりにやり返した、と言わなかったか?
確認しようか迷ったが、新之輔が「やめておけ」というように首を振っているのを見て、口を閉じた。知らないままでいろ、ということらしい。
そういえば、赤く腫れた頬と乱れた髪の理由を説明した時、司朗が能面のような無表情になっていたっけ……
「しかしこれでまた、南条の家は呪われている、あそこは化け物屋敷だなんて噂が広がるんだろうなあ」
新之輔の顔はどう見ても面白がっているようだが、司朗は「別に構いませんよ」と素っ気なかった。
「それでうるさい人たちの足が遠のくというなら、かえって助かります。それに今現在、化け物屋敷というのも間違ってはいませんし」
「誰が化け物よ!」
「親戚のやつらのことだろ? おれもあいつら嫌いだから、来ないほうがいいな。小萩を苛めるし」
そう言って、ちょこちょこ近づいてきた陸が、ぴたっと小萩に寄り添った。可愛らしいその様子に笑み崩れ、小萩もそちらに身体を傾ける。
ひんやりと包まれる感じがするが、外気がそれよりも冷たいためか、かえって気持ちよかった。
「あー、でも今後も干渉はされるだろうなあ。さすがに新しい嫁の話は出さないだろうが、跡継ぎの問題があるし。まあ、こればかりはな」
新之輔が苦笑する。
何を言われても我慢しろということではなく、避けては通れない道だから覚悟しておけ、ということだろう。
司朗がこちらに顔を向けて、「あまり考えすぎなくていいですからね、小萩さん」と気遣うように言った。
小萩はそれに微笑んで頷いたのだが、
「それで小萩、司朗ともう接吻はしたのか?」
陸にけろりとした調子で問われて、また縁側から転がり落ちそうになった。
「ろっ……陸ちゃん! そ、そ、そ、そういうことは、子どもが口にしちゃ」
首筋まで真っ赤になった小萩を見て、新之輔と美音子がひそひそと囁き合う。
「したのね」
「したのか。どこまでだ?」
「ほっ、頬っぺたに一回です! まだそこまでしかいっていません、これからですっ!」
跳ねるように立ち上がって訂正したら、隣の司朗が「小萩さん……」と額に手を当てて下を向いた。そちらも耳が赤くなっている。
「え、まだその程度……跡継ぎがどうって段階じゃなかった。小萩が悪霊に狙われる心配もなくなって、もう我慢しなくてもよくなったのに、司朗は気が長いな。俺には到底理解できん」
「今まさに邪魔をしておいて何を……僕は伯父上とは違うんです」
「だから怖い顔するなって。おまえのその目は、悪霊も逃げ出しそうだぞ。そうだ、せっかくだから、これから正式に悪霊退治屋を目指さないか? おまえ才能がありそうだし」
「お断りします。僕は霊より植物に囲まれているほうが性に合っているので」
司朗はにべもなく言ったが、小萩はちょっと複雑な気持ちになって口を噤んだ。
小萩と悪霊との間で交わした会話はおおむね司朗にも伝えてあるのだが、ただ一つ、あのことだけは言っていないのだ。
──あの男と同じ色をした魂の持ち主。
それがどういう意味なのか、小萩には未だによく判らない。もしかして、と思うことはあるが、それは軽々しく口に出してはいけないことのような気がした。
冊子が司朗にだけ光って見えたのも、はじめて弓を扱ったというのにしっくりと馴染んで見事な腕前だったのも、そう考えれば納得がいく。そもそも破魔の矢は、使い手が司朗だったからこそ、あのような効力を発揮したのではないだろうか。
何かの導きで小萩がこの家に来た、と以前に新之輔が言っていたのを思い出す。
もしもそれが本当で、導きの中心にいるのが司朗なのだとしたら、三人の幽霊が未だ現世に残っていることにも意味があるのかもしれない。
もしかしたら、この先……
「小萩さん?」
司朗に顔を覗き込まれて、我に返った。
「どうかしましたか?」
「あ、いいえ、なんでもありません。そういえば司朗さん、南天の木に、新しい芽がついていたんですよ」
小萩が微笑んでそう言うと、司朗も目を細めた。
「それはよかった」
「はい。それで、萩の挿し木も無事発根したことですし、南天の隣に植えたいと思うんですけど、いいでしょうか」
「もちろん。来年ちゃんと花が咲くといいですね」
「はい」
小萩はにっこりした。
司朗の言うとおりだ。今はあまり、考えすぎないでおこう。
──未来はどうなるか判らないから、不安で、でもきっと、楽しみでもあるのだから。
「そういえば小萩、新しい着物買ってもらう約束したんでしょ? どういうのにするか決めた?」
「おれ、この間みたいなやつがいいと思う!」
「いや、小萩には意外と、華やかな色が合うんじゃないか?」
「まずは小萩さん本人の意志を尊重してくださいよ、三人とも」
いつまでも賑やかな縁側は、まるで平和と幸福の象徴のようだ、と小萩は思った。
これからも、この光景を守っていけますように。
完結しました。ありがとうございました!




