47.君と生きて行く
歓談が終わり、クラリスとロランは帰路についた。
サミュエル屋敷の部屋で、二人は夕餉まで静かな時間を過ごす。
ロランは義眼のカラーバリエーションの確認に余念がない。
「陛下はどのようなお話をなさっていたの?」
ロランは思い出し笑いをする。
「ああ。何となく原因が見えて来た。陛下はベルナデッタ様のことを何も知らないんだな」
「まあ。なぜ夫婦なのにそんなことが?」
「戦争にかまけ過ぎていたらしい。で、戦後妻に向かい合ったら拒否された、と」
「そうなんですね。確かに、こっちに全く興味がないのを何年も続けられて急にこっちに向かって来たら、ちょっと恐怖と言いますか、〝何を今更?〟感は否めないですね」
「そういうことなんだろうな。クラリスこそ、ベルナデッタ様と何を話した?」
クラリスの方は、少し深刻な顔つきになる。
「ベルナデッタ様の言う〝目に見えない富〟は、結局心の隙間を埋めてくれなかったようなんです」
「そうか。ま、そうだろうな……」
「当然なんですよね。あれは見返りのない、無償の愛ですから。ベルナデッタ様はついぞそこにお気づきにはなりませんでした。私、ベルナデッタ様はきっと愛を与えるのではなく、欲してらっしゃるのだと踏んでいます」
「……」
「でも、陛下はちょっと気分屋が過ぎますね。相手のことをまるで考えていないんです。自分の好きな時に、好きなだけ相手をしてもらおうとしている。あれではまるで大きな息子みたいです」
「ああ……とてもよく分かる」
「陛下はもっと大きな愛というか、相手を思いやる大きな器を持てないものなのかしら。ベルナデッタ様もベルナデッタ様ですけど、陛下はもっとひどいです。でも、今日、ちょっと希望が見えた気がしました」
「というと?」
クラリスも思い出し笑いをする。
「ベルナデッタ様は、エドモン様のことを本当によく知り尽くしているの。全部悪口になっているのが面白いんだけど……でも、本当に陛下のことをよく観察されている。嫌いとはおっしゃってますが、きっとあれは何もかも観察した上での〝嫌い〟だと思うの」
「……それ、一番再構築不可なパターンじゃ……?」
「……いいえ」
クラリスは微笑んで首を横に振った。
「一番まずいのは〝無関心〟です。エドモン様はここ数年、お相手に無関心をやらかし続けてしまいました。けれどベルナデッタ様はそれをつぶさに見た上で、嫌いになっている。嫌いと言うのは相手に関心がまだあるということですから、まさに今が関係修復のチャンスなんです。ここを逃したら、もう修復は不可能になる」
ロランは頷いた。
「なるほど。今がラストチャンスか」
「戦争が今終わってよかったです」
「ところでクラリス。来週、ちょっと俺は出かけて来るよ」
「?どこへですか?」
ロランは振り返る。
「戦没者追悼礼拝に、だよ」
クラリスは目をぱちぱちさせる。
「あなたが?なぜ?」
「実はうちで雇ってる傷痍軍人たちがそれに招待されず、いきり立っていてね。みんなで当日、押しかけようと企んでいるらしいことを耳に挟んだ」
「……まぁ」
「あいつらを監視するために出席しようかと思ってるんだ。雇い主がいては、悪事はしにくいだろう。最悪の事態が起こったら、俺が横面殴ってでもあいつらを止めに入ろうと思う」
「大丈夫?ロラン」
「心配するな……クラリスは自分の体のことだけを考えていればいい」
クラリスは自らの腹を撫でさすった。
「ロラン……」
「前から言おうと思っていた。そろそろクラリスはあちこちに動くのをやめた方がいい。君自身は気づいていないかもしれないが、以前より大分ふっくらしてきた」
クラリスは頬を撫でさすった。
「まぁ。そうですか」
「何かあっては困るからな。両陛下に請われたら行ってもいいが、それ以外の外出は控えて欲しい」
「分かりました」
「もう少し経って、目に見えて妊婦だと分かればいいんだがな。それまでは妊娠したと余り吹聴できないのがもどかしい」
「何かあっては困りますからね」
「そうだ。第一、君は目が見えないのだから」
クラリスは、ひとつ大きくため息を吐いた。
「ああ……残念だわ」
「……何が?」
「だって、子どもの顔が見られないもの」
ロランは驚いて言葉に詰まる。
「いいわね、あなたは。とてもかわいい子どもの顔が見えるだなんて」
「クラリス……」
「ごめんなさい。ちょっと愚痴りたくなっただけなの。あなたを攻撃しているんじゃないわ」
「ああ。そう……」
「うちの子は、一体どんな顔をしているのかしら」
ロランはクラリスの隣に腰掛けた。
「愚痴や不満があればどんどん言ってくれ」
「あら。どうしたの?急に」
「いいから。もっとあるだろ」
「ロランったら……第二のエドモン様にならないように必死なのね?」
「ああなったら俺も立ち直れる気がしない」
「確かに、そうね」
クラリスはロランの肩にもたれた。
「隣にいるのに抱き締めてもらえないのは、辛いわね」
「陛下の自業自得だが、ベルナデッタ様も王の苦悩を想像出来ないものか……」
「施政者が心の健康を崩さないように、私達に出来ることをやって行きましょう」
「そうだな。戦後はみんな、心が荒みがちになるものらしいから……」
二人はこの国の片隅で、互いの愛おしい手を繋ぐ。
一方、この国の中央では──
「気安く触らないで!」
ベルナデッタの怒号が響く。
対するエドモンは、おっかなびっくり突っ立っている。
「あなたはいっつもそう!私の気持なんか置き去りで、自分の都合ばっかり──!」
クッションが次々と投げられる。
「出て行ってよ!」
エドモンはクッションをしこたま浴びながら、それでも踏ん張った。
その瞳には、いつもの彼にはない決意の色が浮かんでいる。
「……エドモン?」
「神に誓ったんだ」
エドモンはまっすぐ妻の目を見つめた。
「……君と、一生を生きて行く」
ベルナデッタは扇子で口元を覆い、静かに舌打ちをした。




