26.初めてのお友達
傷痍軍人が目の前に現れたところで、盲目の小さなリディには、それがどういった人物なのかはよく分からないのだった。
「ロラン、私、人とぶつかったの?ぶつかったのは、あなたの知り合い?」
傷痍軍人の群れから、トリスタンが歩いて来る。
「あれ?このお嬢ちゃんはジュスト様のお嬢さん?」
彼の言葉にロランは首を横に振った。
「いや、彼女はヴォルテーヌ公爵の令嬢だ」
「ええっ!そんないいとこのお嬢さん……!」
「あら、初めまして」
リディが賢そうな顔を作ってそう言ってのけ、クラリスは思わず笑った。
「ところで、今喋った方はどなた?」
「やべー。うちの連中がガキとか言っちまったよ……」
「何よ、さっきから人を子どもだと思って!はっきり名乗りなさいよ大人なんだから!」
彼は少女の剣幕に、しょぼくれたように頭を掻いて答えた。
「トリスタンだ。トリスタン・ド・ロワ」
「あら、立派な苗字があるじゃない」
「まあ、ロワ男爵の四男なんで」
「男爵家の男が、人を無視するような振る舞いをすべきではないわ。私はレディよ。膝まづいて接吻しなさい!」
「こ、こらリディ……!」
クラリスがたしなめようとしたが、トリスタンがそれを笑い飛ばす。
「あはは。叶わないや、お嬢ちゃんには」
彼はその場に膝まづくと、リディの手の甲に騎士らしくキスをくれた。
リディは満足げに微笑みながら問う。
「ところでトリスタンは何をしてるの?」
「何って、ちょっと病院に行く前に街をぶらついてるんだよ」
「ぶらついてるの?なら、私と一緒ね!」
クラリスはロランにこっそり耳打ちする。
「何だか、気が合っているようね?」
「ああ、意外と。トリスタンは子どものあしらいが上手だな」
一方、トリスタンはリディを眺め、どこか戸惑っていた。
「しかし……ヴォルテーヌ公爵に目の見えない娘がいたとはね」
「お父様はいつも私を隠したり、閉じ込めたりしたがるの。私は自由に外を出歩きたいのに」
「ふーん……ま、こんなじゃじゃ馬だからしょうがないか。閉じ込めておくのが正解だ」
「何ですって!?」
「まあまあ。ここで会ったのも何かの縁だ。ロランはどこへ行くんだ?」
「俺たちも街をぶらぶらしているだけだ」
「私、何か美味しいもの食べたーい!」
リディがねだるように言って、大人たちは微笑ましく顔を見合わせた。
「なら、あそこの食堂へ入ろうぜ。女の子に人気のパンケーキがあるらしい」
「パンケーキ!?」
リディが嗅ぎつけた甘い香りは、パンケーキの香りだったらしい。
「パンケーキって、どんなの?」
「どんなって……綿のようにふわふわしたケーキさ。あんたらには見えないだろうけど、色とりどりのフルーツも添えられてる高級なお菓子だ」
「ふわふわ……そんな夢みたいなケーキがあるのね!」
「よし、そっちへ行こうか」
歩きがてら、トリスタンがささやいて来る。
「ロランよ。奢ってくれ」
「いい大人が、よく堂々とそんなこと言えたもんだな。……まあ仕方がない」
「へへへ」
街角の大衆食堂。
トリスタンの言うことは確からしく、席のほとんどが女性で埋まっている。
彼らが店に入ると、それを目に入れた女性たちが顔をしかめ、わらわらと勘定へ向かってしまった。
ぽっかり空いた席を埋めるように、クラリス達は大人数で座る。
「大人七名、子ども一名。全員パンケーキで」
注文を終えると、ふとリディが尋ねた。
「あら、大人が七人もいたのね」
「ああ。さっき傷痍軍人が五人加わった」
「ショーイ?まあいいわ。私、こんなに大人数で食べるの、初めてなの」
笑顔を見せたリディだったが、大人は少し顔を曇らせる。クラリスが尋ねた。
「あんまり外に出ないから、初めてなのよね?」
「そういうことじゃないわクラリス。私、分かってるよ。お父様が私を外に出したくない本当の理由は──お父様にとって私みたいなのは〝自慢の娘〟じゃないからよ」
店内に漂う甘い香りと真逆の辛すぎる言葉に、クラリスは弱った顔になる。
「そ、そんなことないわよ……」
「そうよ。現に、お父様は病院にいるお母様にちっとも会おうとしないんだもの」
「……!」
「きっと〝自慢の妻〟じゃなくなったからだわ。人より体が弱ければ、自慢にはならないものね」
その言葉を受け、傷痍軍人たちは己のことを言われたかのように、神妙にテーブルに視線を落とす。
彼らも、かつては〝自慢の息子〟たちだったに違いないのだ。
「きっと私、いつまでもお父様の自慢にはなれないの。ずっとお父様のお荷物になるのよ」
と。
クラリスが弾けるように立ち上がって、ぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことを考えたら駄目!」
リディが視線をクラリスの方へ上げる。クラリスは言い募った。
「誰かの自慢にならなければならない、なんてことはないのよ。相手がそう思ってくれる分には構いやしないけど、自分がそうあろうとしては駄目。誰かのためではなく、自分のためになることをしましょう。でないと、自分のためではない努力で無理をした分、後々困難を誰かのせいにして辛い思いをしてしまうから──それに、本当にあなたのことを考えていなければ、シリル様は私のところに手紙なんてよこさなかったはずよ……」
クラリスはそこまで言って声を詰まらせる。
ロランは静かに、唇を噛む妻を見上げた。




