第三十七話 事件の結末に向けて
倉庫の奥へと足を進めたエゼルバルドとヒルダは、怪しげなドアの前に立っていた。
怪しげなと言うが、見た目には何の変哲の無いドアとしか見えない。だが、そのドアの先からは異様な気配を感じざるを得ず、それが怪しく、そして異様な雰囲気を感じいたのだ。
他にドアがあればそこから調べるのだが、飛び込んだ倉庫にはこのドアしかなく、仕方なしに調べる他ないのだ。
倉庫として使われていたのであれば、二人の先には倉庫の管理事務所として使われた部屋が残されていると予想していた。
その予想は外れてはいないとエゼルバルドもヒルダも思っていた。それよりも問題なのはドアの向こうにいる存在であろう。
二人にはドアの向こうから異様な気配を放つ存在によく似た気配を感じる者達を知っている。それは数年前にディスポラ帝国より逃げてきた蜥蜴人達である。
だが、彼らに比べれば人に近しい気配をしているために、その存在に戸惑っていたのである。
だからと言って手をこまねいている訳にも行かず、意を決してドアを”バーン!”と蹴破り二人はその中へと躍り込んで行った。
そこで目にしたのは奥行きのある部屋の奥で侵入者に視線を向けている二人の男であった。
そのうちの一人は奥行き六メートル、幅四メートルのこの部屋に似つかわしくない大柄な体躯を持っていた。相手の二人共が深緑の服装をしていたが、その色よりも体格が目立つほどであった。
それに、大柄な男がもう一人の小柄な男を守る様に前に出ていた事も目立つ理由の一つであろう。
「侵入者はお前達だな!」
「だから、どうしたってのよ!わたしのドレスを返しなさいよ!」
大きな袋を担いでいる小柄な男に叫ばれると、ヒルダは足を踏み鳴らして、叫ぶような大声で言い返した。二人の言い合いは会話になっていないとエゼルバルドは呆れ顔をして息を吐いていた。
「我々に逆らって、ただで済むと思うなよ」
「それはこっちのセリフよ。痛い目に遭いたく無ければそのドレスを返しなさい!」
大柄の男の影に隠れながらヒルダへと言葉を投げかけてくるが、虎の威を借りる狐のように口だけが達者で身を潜める様は滑稽な姿に写っていた。
口だけが達者である小柄な男が頼りにする、大柄な男から発する異様な気配を感じればそれも頷ける。
小柄な男とヒルダとで言い合いをしている最中でも、エゼルバルドへ鋭い視線を向け一挙手一投足を逃すまいとしている大柄な男に彼は冷や汗を流したていた。
蜥蜴人に似た気配を発し、背中に担いだ戦斧を”ちらちら”と覗かせれば、一筋縄ではいかぬと唇を噛む。
「先手、必勝ぉ!」
小柄な男とヒルダの会話が終わらぬうちに、エゼルバルドは自らを蹴り出し、敵へと向かって駆け出した。
敵との間に障害物など存在せず、あっという間に間合いを詰めブロードソードの切っ先が届くまでに達するだろう。エゼルバルドの目標は大きな袋を担ぐ小柄な男であり、大柄な男が武器を構える前に決着を付けてしまおうと考えたのだ。
そのわずかしかない間合いを詰め、大柄な男を躱して一閃し敵を屠ろうとブロードソードを振り始めた時である。
「は、速い!?」
その大柄な体に見合わぬ速度でエゼルバルドの前へ自らを入れると、戦斧を掴んで振りした。
”ガギンッ!”
ブロードソードが小柄な男に届いたかと思ったが、振られた戦斧と交差し火花を散らすだけに留まった。
だが、エゼルバルドはそこで諦めずにさらにもう一歩踏み込み小柄な男へ切っ先を突き刺そうと再び攻撃に転じたのだが、大柄な男が邪魔をするらしく、彼の突き出した切っ先は戦斧に阻まれ敵を貫くことは無かった。
「チィッ!!」
二連撃で仕留められず、エゼルバルドは舌打ちを漏らしながら敵との距離を取りヒルダの横へと戻ってきた。
大柄な男が追撃してくるかと身構えていたが、どうやら小柄な男を守る護衛の任を受けているらしく、一、二歩程度しか足を出さずそこから離れていない。
「はっはっは!我々を殺そうとしても無駄だ。この【ガッシュ】がお前達を返り討ちにするだろうからな」
小柄な男は大柄な男をガッシュと呼び、まるで自らに力があるかの如く高笑いをしいる。
狭い場所で手加減したとは言え、一閃した自らの剣戟をあっさりと受け流されてしまえば実力を認めざるを得ないだろう。
あの重量のある戦斧を軽々と振り回す筋力を見ただけでも只者ではないと認識せざるを得ない。
それに、見た目も人とかけ離れていると見なければならなかった。
全身を深緑の服で隠しているが、顔やチラリと見える手に生える剛毛がまず気になる。そして、筋肉に圧迫され”ぱんぱん”になった腕や足を覆う上着やズボンが動き難さを見せていた。そして、極めつけは天井までの高さの半分、約二メートルもある身長だった。
エゼルバルドとヒルダが見た背の高い人物と言えば、旅の仲間であるエルフのエルザであるが、そのほかにと言われれば印象的に残っているのが敵対している相手と似たような気配を感じる蜥蜴人であろう。
そう考えると、ガッシュと呼ばれた大柄な男は、人よりも蜥蜴人に近い種族であると考えられる。
この場に”歩く百科事典”のスイールがいれば、一目見ただけでどんな種族かと当てるのだろうが、不幸な事に、この場には彼はおらず、手探りで敵対せねばならない。
打ち倒す手段は幾らでもあるが、現在の様に小柄な男の護衛として守りに入られてしまっては時間が掛かり過ぎると攻めの一歩を躊躇してしまう。
「ふん、腰抜けども目が!よし、ガッシュ。あいつ等を血祭りに上げて来い」
「ガーー!!」
ガッシュは獣の様な叫び声で返事をすると、戦斧を両手で構え二人へ向かって飛び込んで行った。
数メートルの距離を飛び跳ねて間合いを詰めてくるとは思わず、二人は左右に飛び退き躱すのが精いっぱいであった。
その身体能力の高さを目の当たりにして、スイールからこんな事を聞いたと思い起していた。
『他の大陸にはね、大きな猿の仲間が生存していてね、これが結構狂暴なんだよ。十メートル位の川幅なんか簡単に飛び越えるし、馬鹿力で殴られただけでも人は死んじゃうしね。わたしもこいつと会ったら尻尾を巻いて逃げ出したいと思うね』
”その名を巨大類人猿と言う!”
だが、スイールから聞かされた身体的な特徴から離れていて、巨大類人猿であるかは自信が持てなかった。と、思っていても、あれだけの身体能力を持つ相手に手探りで戦うつもりも無く、巨大類人猿、もしくはその仲間であると考えて戦いを組み立てようとしていた。
人対人であれば相手の癖を読み取り、相手の意表を突く攻撃を入れながら崩し決着をつけるのだが、直線的な動作を見ていれば、僅かばかりの小手先の変化を見せてやれば食いついてくるだろうとほくそ笑んだ。
要するに、力や身体能力は高いが、知能が低いであろうと。
命令された返事も獣のようであったと思えばあながち間違っていないと断定するに至っていた。
「ヒルダ、畳み込むぞ!」
「はいっ!」
エゼルバルドの意図を感じ取ったのか、壁際まで後退すると軽棍で壁を”ゴンッ!ゴンッ!”と殴った。
ガッシュはどちらを攻撃しようかと迷っていたが、不愉快な雑音を発する方を先に仕留めてしまおうとヒルダに体を向ける。
「さぁ、いらっしゃい!わたしが相手をしてあげるわ」
ヒルダは壁を背にして軽棍を両手で構える。重量のある戦斧はヒルダの力や武器では受けきる事は不可能であり、躱すしか今は手段がない。
旅の途中であればヒュドラの鎧や円形盾があるが、今はこの軽棍のみである。服装もスカートがひらひらとはためくワンピースを着ているに過ぎない。靴もブーツなどではなくただの普段履きの靴だ。高い踵が無いだけましであるが。
それでも負けるとは全く思っておらず、百六十センチ弱のヒルダがどうやって二メートルガッシュの頭部に軽棍を叩き込んでやろうかと考えあぐねていた。
ガッシュは戦斧を振りかぶると躊躇なくヒルダへ振り下ろす。”ビュンッ!”と空気を切り裂く音と共にまっすぐに振り下ろされるが、ヒルダは”ごろり”と前転で躱しながら、ガッシュの脇を抜きざまにヒルダのくびれた腰ほどもある左太腿へ軽棍を叩き込んだ。
「ガァァ!!」
並の人間であればそれで太腿の骨を砕かれ行動不能に陥るはずだが、頑丈な筋肉で全身を包むガッシュは内出血しただけに留まる。
すぐさまガッシュは振り向き、狙いをつけていた女へと視線を向ける。その行動はエゼルバルドが読んでいた通り、知能が低い者の行動であった。
そう、二人を相手にしているなどすっかり忘れて雑音を発していた、不愉快の発生源を唯一の敵と認識していたのだ。
そこへブロードソードの切っ先を向け腕を小さく畳み態勢を整えていたエゼルバルドが待ち構えていた。
ガッシュが振り向いたその時に、眉間に切っ先を突き立て決着を付けようと考えていた。それもすぐに現実のものになるだろうとエゼルバルドは腕を伸ばして切っ先を突き立てるのであるが……。
”これで決着が付く”と楽観視していた。
しかし、エゼルバルドは勝利を目前にして身体能力の高さを失念してしまった。
とは言え、エゼルバルドが手を抜いていた筈も無い。
全力で敵を屠ろうと突きを繰り出した。
だが、動体視力と身体能力の二つを高度に持つガッシュはエゼルバルドの突きを瞬時に察知して、左腕で鋭い突きを防いだ。
とは言え、全力で放った突きを腕に受け無事でいられる筈も無く、ガッシュは左の二の腕を突き通され右腕一本で戦うことを余儀なくされるのである。
「ガッシュ!戻って来い」
「ガアァッ!」
二の腕に突き刺さった切っ先を強引に引き剥がすと、戦斧を無造作に振り回して小柄な男の下へと向かって行く。
「ねぇ、攻撃魔法は使えない?」
「無理だよ。魔力が殆ど残ってない」
半分以上の魔力を倉庫の入り口を打ち破るために使い、もう一発をこの部屋に入る前に使っていた為に、魔法の使用は無理だとヒルダに告げる。
実際には後一、二発は使おうと思えば出来るのだが、残りの魔力を集めてもガッシュと言う手ごわい敵には効果が薄いと感じていた。
それに、魔力を使い果たし動きが鈍くなる事に危機感を覚えていたのだ。
「くそっ!多勢に無勢か……。仕方ない引くとしよう、ガッシュ後ろを任せたぞ」
「ガア!」
ガッシュの影に隠れながら小柄な男は裏口のドアを開けて外へと出て行った。当然、ガッシュはエゼルバルドとヒルダを牽制しながら小柄な男を追う様にドアを潜るのであった。
「逃がさないわよ!」
二人は小柄な男とガッシュを追い、裏口のドアを潜り外へと出た。
「ガッシュ!お前何やってんだ。あいつ等を抑えろと言っただろう」
「ガァ!」
小柄な男がガッシュへと暴言を吐きだしていたのだ。小柄な男としては大柄なガッシュをドアの前に配置し、敵の二人を通すなと命じたつもりであった。そこはエゼルバルドが見立てた通りの低い知能が仇となり、ガッシュは命令を正確に聞いたつもりで小柄な男の傍で護衛をしていた。
そのガッシュはと言えば、命令を実行していただけにもかかわらず何故怒られなければならぬのかと、理不尽に怒りを向けてくる小柄な男に殺意を抱きかけていた。
そう、抱きかけていたのである。
何故なのか?
それは、殺意を完全に抱く前に、思考を停止させられたからである。
ガッシュには思いがぬ出来事であった。
何処かから飛来した一本の矢が、正確にガッシュの頭部を撃ち抜いたのだ。
いくら筋肉で全身を包み頑丈な肉体をしていても頭部を撃ち抜かれて無事で済む生き物など皆無であろう。
それにより、殺意を抱く前にガッシュは思考を、そして、命を奪われたのである。
そして、頭部を撃ち抜かれたガッシュは力なく地面に倒れて行った。
「アイリーンか……」
「見事ねぇ」
正確無比な射撃を見れば、誰が矢を射ったのかはすぐにわかり、ぼそりと良く知る彼女の名前を二人は漏らした。尤も、金属製の特別な矢が視界に入れば一目瞭然だ。
二人は矢が射られた方角へと顔を向けると、遠くの屋根の上で手を振るアイリーンの姿を見つけた。
「さて、これで、三対一になったんだけど、その袋を返してくれないか?」
「そうよ、私のドレスを返してよ!」
小柄な男が担いでいる大きな袋を渡す様にと話し掛けるのだが、男はエゼルバルドとヒルダを睨みつけるだけで微動だにしなかった。
何時、終わりが告げられるかわからぬ永遠の時の中を睨み続けようとしていたが、男は一瞬何かを口にしたと思ったら、くるりとその身を反転させて駆け出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
エゼルバルドとヒルダは逃げ出した小柄な男を逃がすまいと追い駆け出した。
当然ながら、屋根の上でガッシュを射抜いたアイリーンも屋根を伝い追い掛け始める。
そして、陰ながらエゼルバルドやヒルダ、アイリーンを補助するために、パトリシア直轄諜報隊も小柄な男を追い始める。
その結末が、まさかあの様になるとはこの時点では誰も思っていなかった……。
※ギガントピテクス
身長が三メートルほどもある絶滅したと思われていた類人猿。
と言う設定。
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