97.潔癖症のカエデ
いらっしゃいませ!
では、ごゆっくりどうぞ
カエデは力の入らない身体を無理やり動かし、己の命よりも大事な魔刀を杖代わりにして起き上ろうとする。奥歯を食いしばり、頼りない両足で地面に立ち、体内の魔力循環を操作する。が、魔力も込められなかった。
カーラの放った一撃は、その道の達人が机上でしか編み出せない、実戦で使う事は不可能に近い奥義であった。本来なら数回交戦し、相手の身体情報や戦いの特徴、癖まで見抜き、その上で偶然と神がかり的な機を読む才能がなければ命中させることも出来ない技であった。そんな技をカーラはカエデに二触れしただけで身体情報を察知し、己の五感を頼りに放ち、見事命中させたのであった。この技を喰らった者は一時的に全ての『力』を奪われる事となり、文字通り無力化される。当てる事が出来れば例え賢者でも打倒す事の出来る奥義だった。
「まだ終わってない!!」
カエデは己の闘志を力に変えて肺から無理やり怒声を絞り出す。明らかに彼女は戦えるコンディションでは無かったが、それでも戦う理由が彼女にはあった。その声を聞き、カーラを担いだトニーがため息交じりに振り返る。マリーも呆れた様な顔で振り返ったが、カエデの刃物の様な殺気を読み取って猫の様に飛び退いた。
「そんなザマでまだやるのか?」
「こんなザマにされたから、やらなきゃならないんだ! 私はアラカゼ家の代表として、泥を塗られたまま倒れるわけにはいかないんだ!!」と、彼女は何とか無理やり居合の姿勢をとり、目を鋭くさせる。このまま抜いても荒ぶる魔刀に振り回されるのは明白であったが、今の彼女にそこまで考えは及んでおらず、ただ己の誇りに付着した泥を拭う事しか考えていなかった。
「3年前にそいつに負け、片腕を失い、家名に泥を塗られたんだ!! スネイクス様に頭まで下げてここまで強くなったのだ! それなのに……ここで負けたままでいられるか!!」
「はぁ……お前がどんだけ誇りの為に腕を磨いたのはわかった。だが、自分だけだと思うなよ? 俺だって、3年前に屈辱を味わったんだ」トニーはカーラを優しく傍らに寝かせ、指の骨を鳴らしながら腰を落とす。すると足元の地面に皹が入り、彼の周囲数十メートルに大地魔法が浸透する。その瞬間、彼は周囲の大地と一体となり、エネルギーの流れ全てが右拳へと集約される。彼自身もこの3年で様々な修行を行い、クラス4の魔力循環を手に入れただけあり、1対1の殴り合いなら負けない自信があった。
「やれるものならやってみろ……まずはお前から……」
「戻って来い、カエデ」
すると、彼女の耳元にスネイクスの声がじわりと響く。その声にはため息と苛立ちが含まれていた。
「しかし、スネイクス様……っ」吐いた唾は飲めないと言わんばかりに反論しようと天へ向かって口を開くが、彼女の身体全身にスネイクスの風魔法が蛇のように纏わりつく。
「私のいう事が聞けないのか? アラカゼ」
「……っぐっ……」握った魔刀の鞘に皹を入れる勢いで握りしめ、奥歯が砕ける程に噛み絞める。眼前のトニー、そしてその傍らに転がるカーラに血走った目を向け、一筋の涙を流す。「わかりました……」
彼女の返事と共にカエデはその場からふわりと浮き上がり、遥か上空で滞空する遊覧飛行船へと吸い込まれていった。
「……? なんだ、逃げたのか? まぁいいか」トニーは込めた魔力を解除し、再びカーラを担いで踵を返す。そんな彼の隣にマリーが近寄り、上空と彼を交互に見る。
「一体何なの? 3年前って?」
「あいつも俺も色々あるのさ。お前も同じだろ?」
「まぁね」
飛行船内部へと連れて来られたカエデは客室の床を力なくスネイクスの足元まで転がる。闘志が抜け、悔しさのみとなった彼女は未だに身体に力が入らなかった。
「情けないわね、アラカゼ・カエデ。森の中で敗れ、真剣勝負でも敗れ、醜態まで晒すなんて……らしくないわね」足元で転がった彼女を見下しながら、スネイクスは脚を組んでソファに座り、ワイングラスを揺らしていた。
「も、申し訳ありません……スネイクス様」
「謝らなくていいわ。この戦いはいわば練習試合の様なモノ。勝つこともあれば負ける事もある。いい経験になったでしょう。でも、あのまま続けていたらその魔刀の嵐に呑まれていたわよ? だから止めたのよ」
「貴女、なぜ負けたのかわかる?」スネイクスはワイングラスを置き、腕を組みながら立ち上がり、カエデを見下ろす。
「私が未熟……」
「あなたは、自分の泥を落とす事しか考えていなかったからよ。もっと戦いに集中し、己の力に信頼を置かなければ、そこらの獣にすら負けるわ」
「己の力……」
「貴女は過去に捕らわれ過ぎよ。忘れるか、泥を拭えるだけの自尊心を取り戻しなさい。そういえば、この国をロザリアと言う剣士が我が物顔で放浪しているらしいわ。彼女に会ってみると良いわ」
「あの、嵐薙ぎのロザリア……」神器争奪戦争の時に起きた大災害にて、ロザリアは荒れ狂う嵐や津波を二振りの魔剣を操り、比喩表現でも大袈裟でもなく災害を薙ぎ払った。そのおかげで彼女の守ったバルバロン南海岸に住む人々の8割以上が守られた。それ以降、ロザリアはバルバロンだけでなく世界中であらゆる異名で呼ばるに至った。
「さ、もう行きなさい。あ……それから……」と、スネイクスは風魔法でカエデをふわりと浮き上がらせ、耳元へ顔を近づける。
「こっちまで泥を飛ばす様な真似をするんじゃない」
話は終わったと言わんばかりにスネイクスは風魔法を解き、カエデを床に落とす。そのまま彼女は何事も無くソファに座り、ワインを傾けた。カエデはなんとか壁伝いに立ち上がり、一礼をしてその場を離れる。すると、近くで彼女らの会話を見ていたアリアンと目が合う。
「ロザリアの本名はフミヅキ・アスカと言うわ。ヤオガミ列島出身よ。現在はバナンロー地方を放浪しているそうよ」親切心で彼女に伝え、アリアンは飛空艇からファーストシティ方面へ飛び立った。
「……っ? フミヅキ……アスカ?! アスカ……姉さま?」急な情報にカエデは狼狽し、再び腰を抜かす様に床にへたり込む。彼女の脳裏には優しい表情で笑うアスカと血に塗れて壊れた笑顔を向けるアスカが写っていた。カエデは目に涙を溜め、感情がぐちゃぐちゃになったが、その場で叫ぶのは我慢し、這って遊覧飛空艇甲板まで出る。そこでやっと血を吐くように泣き叫んだ。その感情には悔しさ以上に過去の出来事のフラッシュバックも含まれており、カエデが立ち直るのに数日かかった。
その日の夜、やっとアリアンはファーストシティのバルバロン城へと戻り、秘書長室へ顔を出した。彼女はこの3日以上休まず眠らずに働いていたが、疲れを一切見せずにソルツ秘書長の前に立ち、一礼した。ソルツは軽く挨拶だけを返し、書類仕事を続ける。
「選抜試験は無事終了しました。選ばれた狩人たちのデータはここに」と、ファイルされた書類や戦闘データの入ったメモリーウォーターを机に置く。
「お疲れ様。しばらく休暇をあげてもいいけど?」
「いえ、ひと眠りしたら次の仕事へ……」
「休むのも仕事の内よ? そういえばカーラはどこ?」
「あの人は……元の彼女に戻って、こちらに向かっている、とだけ……」アリアンは目を伏せながら報告し、彼女の反応を静かに伺う。
「そう、そんな気がした。ま、彼女の実力でどこまで出来るか……エレメンタル研究所に警告だけしておこうかしら」ソルツは眉ひとつ動かさずに口にし、仕事を続ける。
「意外とショックじゃないんですね」
「貴女がいるから、カーラはもう用なしよ。それに、保険も用意してあるわ」
「私がエレメンタル研究所へ向かいましょうか?」
「いえ、貴女は貴方の仕事をして頂戴。あの子の事は、私が対処するわ」ソルツは楽しそうに微笑み、書類に判を押した。
如何でしたか?
次回もお楽しみに




