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インフルエンサー

「ではではー、今日のところは時間もあまりないようなのでぇ、サクッと腕前をみせちゃいましょーう!」


 殿下たちの前であっさりと被っていた猫を外したミヨは、両手の指それぞれにペンやブラシを挟み、顔の前でクロスして見せた。


 こんなウェイ!みたいなことやる人、本当にいるんだなーと、若干呆れつつ様子をみていたが、化粧が進むにつれそんな感想は、ウォオ!と驚きに変わる。


 イービス殿下の左顔半分だけ施された化粧は、右側と見比べて本当に見事なビフォアアフターだ。


 まず、彼によって色黒仕様に塗られた褐色の肌に似合うキリリとした眉の形が現れ、アイラインをきっちりと描いたことによって少し甘い目元がすっきりとした切れ長に、そして頬骨と鼻のラインについた陰影が顔を随分とシャープにさせたのだ。


 鼻の頭を境に、褐色の美青年と泥で汚れた少年の顔が半分こにされて同居している。

 手鏡でその出来上がりを覗いたイービス殿下は、目を点にして顔の右と左を見比べるように高速で顔を振りまくった。アウローラ殿下はその変身の様子を目の当たりにして声も出ない。

 私だって自分で変装の先生にとミヨを薦めたけど、こんな短時間でここまで姿を変えられるとは思わなかった。


 こりゃあ、百合香の世界で動画投稿サイトにでも投稿したらあっという間に人気投稿者、インフルエンサーって呼ばれるくらいになるんじゃないかな?いやはや、ミヨの才能凄すぎ。


 まるで別人になったイービス殿下の左顔をもう一度見つめながら、ごくりと唾を飲み込んだ。


「…………マジか」


 イービス殿下のその声は、驚き以上にとてつもない喜びが滲み出ている。

 正に、彼にとっては飴どころかお菓子の家レベルのご褒美になったようだ。


「ま、わかりやすく半分だけですがねー。いかがですかぁ?」


 ミヨにしては謙遜した方だが、ドヤ顔は隠しきれない。でもこの仕上がりを見てしまえば、そんな不遜なものの言い方も全く気にならないだろう。イービス殿下は目を怖いくらいに輝かせてミヨの手を取った。


「頼む!俺にこの技術を教えろ……いや、教えてください、師匠!!」


 いきなりの弟子入りかい。


「ほほほほぉー、私の修業は厳しくてよ!それでもよろしいですかぁー?」


 ノリノリだな、おい。

 ミヨさーん、そちら一応王子殿下なので、扱いに気を付けてね。


 二人のやり取りを見て、ちょっと落ち着いた私は開いている扉から顔を出し、衣裳部屋の外、つまり居間にいるハンナへと声をかけた。


「ハンナ、お湯を持ってきてちょうだい。イービス殿下が肌の色を落としたいのですって」

「はい、かしこまりました」


 ぱたぱたと、浴室へと急ぐハンナの足音が聞こえる。

 普通ならイービス殿下に直接浴室まで足を運んでもらって化粧を落としてもらった方が早いのだろうけど、あの三人の侍女たちに殿下の変装をあまり見られたくないのだ。

 イービス殿下がミヨの技術を習得できたとしたら、まずそう簡単には見破れない。目端が利く人間も当然いるだろうけれども、妹であるアウローラ殿下ですら目を疑うレベルなのだから相当なものだと思う。


 もしかするとこれは私が記憶を取り戻すための切り札になるかもしれないのだ。それくらい素晴らしい出来栄えだった。

 だからこそ、この変装の技の話を知っている人間は少ない方がいいと思った。悪いが、ハンナにも内緒にしたい。


 零さないようにと慎重にお湯の入った手桶を私が直接ハンナから受け取ると、彼女は少し不快そうな顔をした。

 何故侍女のミヨが受け取らないのかと言いたいのだろう。

 ミヨは既に殿下の顔に化粧落とし用のクリームを塗りたくっているのだから仕方がない。まあまあと軽くなだめながら、そっちで侍女たちの相手をしておいてねと頼むと、しぶしぶといった様子で頷いて離れていった。


「ハンナに叱られそうになったわ」

「じゃあー、私は後で確実にハンナさんから怒られますねぇ」


 イービス殿下の座っている椅子の横に置いた椅子の上に、お湯の入った桶を置く。

 クリームだらけのイービス殿下は黙って私たちの会話を聞いているようだったが、アウローラ殿下の方は不思議そうにこちらへと顔を向けた。


「メリリッサ公女殿下は、侍女に怒られますの?」

「怒られるといいますか……あまり相応しくないことをしてしまえば注意を受けます」


 例えば今のように、侍女がすべき仕事を私が手を出すのは本来してはいけないと、リリコットの記憶が告げる。だから、ハンナが注意するのも当然だった。

 カーテン強奪の時も散々注意と心配をされた。まあ、あれは非常事態みたいなものだと、押しきったのだが。


「注意だなんて……侍女がですか?」

「勿論です」


 吃驚したように目を丸くするアウローラ殿下。

 この可愛らしい王女殿下には、侍女から色々と口を出されるという経験をしたことがないのだろう。

 本当ならこの間の生垣飛び込み事件の時だって、侍女たちがきっちりとその辺りを気にかけていれば、あんな派手な登場とはならなかったんじゃないか?

 やはり、アウローラ殿下付きの侍女は気が利かない、というか正直出来が今一つだと思う。


「叱ったり、注意をしたりすることは悪い事ではありません。むしろ、より良くなって欲しいという気持ちのあらわれでしょう。全てを無条件で聞く必要はありませんが、どうしてそういったことを言われたのかは、自分自身でよく考えてください。そうして次に生かすことが、『勉強』ということなのですよ」


 そこまで言い聞かすように言葉を続けると、そこにいる全員の動きがピタリと止まった。

 アウローラ殿下は少し恥じ入るように、イービス殿下は何か考え込むように、そしてミヨはまじまじと私を見つめていた。


 なんだろうと首を傾けると、その一瞬の静止画がスタートボタンを押し直したように動き出す。

 ぴちゃぴちゃとお湯で顔を洗ったイービス殿下の前髪から雫がぽたりと床に落ちた。


「メリリッサ公女殿下は……」

「え、何ですか?」


 ミヨから手渡されたタオルで顔を拭くイービス殿下の声がくぐもってよく聴こえない。

 つい、いつもの調子で聞き返すと、ぷはっ、と多く息を吐き出してタオルから顔を離す。


「いや、これからよろしくお願いします。師匠の技術を盗みきるまではしばらく張り付きますので」

「あ、はい。こちらも、よろしくお願いします。その、色々……」

「まかせてください」


 そう言って笑うイービス殿下の顔は、少し幼いながらもやはり兄弟だなと思うくらいアクィラ殿下にとても似ていた。

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