インスクルータブル☆バトル
振り出しに戻ったかのように二人でお茶をすすっていると段々と落ち着いてきた。
百合香にはカフェインは全く効かなかったから、紅茶やコーヒー、エナジードリンクなんかをいくら飲んでも全然眠気が覚めることはなかったけど、リリコットにはそれなりに有効なようだ。
それならばと、やけくそでもう一杯おかわりを頼む。
しかしそうこうしていると、なんかもうお茶でお腹たぷんたぷんになってきた。パーティーで隣に立っていた時の感じだと、アクィラ殿下は結構な量のお酒も飲んでいたみたいだけど大丈夫なのかなあ?
そんなどうでもいい余計なお世話を考えていると、部屋の中が一段と静かになっていく。
後方の唸り声も静かになってきたみたいだし、もうこうなったらアクィラ殿下の気がすむまで付き合えばいいやと開き直った。
どうせ私には明日も大してやることないし、昼まで寝てても誰も文句は言わないよね。そうそう、ヨゼフの不敬な言葉もあれ以上突っ込みを入れて来ないようなので、是非とも無かったことにして欲しい。
そうして五杯目のお茶を手に取り、優雅に口をつけているアクィラ殿下へと目を移す。私の視線に気が付いた彼は、フッと息を吐いてカップをテーブルの上に置いた。
「やっぱりあの時の侍女は君のところのものだったのか」
んん、あの時のって……何?と、首を傾げる。
「ボスバの出身だという侍女のことだ。護衛騎士もボスバなら、あり得ないこともない」
アクィラ殿下の視線はきっちりと、私の部屋の新しく付け替えさせてもらったカーテンレースへと注がれている。
おうっ、カーテン盗んだのバレた?
そりゃそうだよ。私の部屋、ものすごい劇的なビフォーアフターだもんね。大体あっちの部屋、一昨日からカーテンついてないし。
まあ、アクィラ殿下が向こうの部屋を見たとも限らないので、今日のところはシラをきっておこう。
「ええと、一体何のことでしょうか?」
「下手な芝居はよせ。別にカーテンごときで文句を言いに来たわけではないし、侍女を罰するつもりもない」
それは良かった。そもそもあれは私の侍女でなく、私だ。
無実の罪をハンナとミヨに着せることにならなくて助かった。
ドキリとさせられたけれども、お咎めがないと直々に言ってもらったのは何より何より。アクィラ殿下がこの部屋に来て、初めて心からほっとした。
けれど、次の言葉でやっぱり殿下は殿下だと思った。
「あのホラーハウスよりは随分とマシになったしな」
本っ当―に皮肉屋だよねっ!何か一言いわなきゃ気が済まないの?
確かにお化け屋敷みたいだとは自分でも思ってたけど、人に言われるとイラッとする。
「……アクィラ殿下、ホラーハウスは少し言い過ぎですわ」
「なんだ、あれは君の趣味ではなかったのか?」
そんな訳あるかーっ!
ぐふっ。ごふっ。その殿下の言葉に、二か所から吹き出すのを懸命に我慢したような音が漏れた。
ミヨ、ヨゼフ、あんたたち何笑ってんのよ!てか、あんたのせいのはずでしょ、ヨゼフ。
誰が好き好んであんな部屋に住むか。
ひくひくと頬の筋肉が動いて、罵詈雑言が飛び出しそうになるのを必死で押さえる。そのためにもグッと息を飲み込んでいると、そんな私の顔を見て、アクィラ殿下はシニカルな笑いを緩めた。
くっと一瞬だけだが笑い、そしてそれをこらえるような表情を見せたのだ。
パーティーの出を待つとき、あのカーテンで隠された踊り場で見せた、あの色っぽい笑顔よりも、少しだけ子供っぽいような顔に釘付けになった。
殿下の年齢は、今年20歳になるという。
20歳といえば百合香の世界でなら学生も多いし、成人になる歳とはいえ、まだまだ責任も少なく青臭く感じていた。
けどアクィラ殿下は流石王太子というだけあって、パーティーでの態度といい、私への接し方といい、今日この時まで全くそんなところを感じさせなかった。
たった二つだけ年上だというのに、もっと大人だと勝手に感じていたのだ。嫌味なものの言い方はともかくとして。
それがどうだ、年相応の笑い顔がこんなに素敵だなんて思わなかった。
うーん、イケメンは卑怯だと思う。どんな笑顔でも様になり格好いいわ。ちょっと、ぽーっと見入ってしまった。
私がそんなふうにアクィラ殿下を見つめていると、殿下の方でも気が付いたようで、急にんっんっと咳払いをして、なんかごまかした。
残念、もう少し見ていたかったのに……って、あれ?私、アクィラ殿下に早く帰って欲しかったんじゃなかったっけ?
「まあいい。こちらの棟は君専用だから好きに使え。それと、これを」
アクィラ殿下が指図すると、従者の一人から大げさに布に包まれた軟膏容器が差し出された。
「足の腫れに効くようだ。明日に持ち越さぬように寝る前にでも使うといい」
ガラスの容器に入った薄黄色のそれは、ねっとりとしたクリームに見える。
え、えっ!?もしかして、私の足の為に持ってきてくれたの?アクィラ殿下が?直接っ!?
口を半開きし、きょとんとした顔を殿下の方へ向けると、今度はまたあの嫌味な顔でフッと笑って言葉を続ける。
「流石に三回も踊らせた責任はとらないとな。お陰で他の令嬢たちのしつこい誘いがなくて済んだのだから、半分は礼みたいなもんだ」
一言多いな、おい。
素直に感謝の言葉を伝えようとしたのに引っ込んでしまった。
まあいいかと、適当にありがとうございますと言えば、ようやくアクィラ殿下の腰が上がった。それに合わせて私も椅子から立ち上がる。
見送りの礼をし、ふう、これでようやく休めるよと安堵の息を吐き出し、欠伸を噛みころしたところで、突然目の前に小さな青いガラスの小瓶が現れた。
「ついでだ。好きに使え」
私の手の中に落とされたのは、切り子のような模様の付いた青い小瓶で、その中には何か液体らしいものが入っている。
見るからにロマンティックなそれは、まるで、深い海を閉じ込めたような美しさだ。
思わず見惚れてしまったため、反応が遅れてしまった。
「あ、あの……これ、は?」
一体何なのかと訪ねると、アクィラ殿下はすでにもう扉の向こう側に立ち、私の方に向けてシッシとするように手を動かす。
「早く寝ろ。目が半開きになっているぞ」
いや、それ殿下のせいだから。
そう突っ込む前にアクィラ殿下は、するりと消えて行ってしまった。
ちょっと、ちょっと。これ、一体何なのよ?
足のクリームといい、この美しい小瓶といい、こんな時間になってまで自分で持ってくる必要もなかったんじゃないの?
誰かに持ってこさせれば、私だってそんな半目を見せなくてすんだのに。
わざわざ私にと、青い小瓶を渡した時のアクィラ殿下の緑色の瞳を思い出すと、なんとなく恥ずかしいような気持ちがして顔が赤くなる。
なんでも、ないわよね……うん。多分、きっと。
そう独り言を口にしながら、顔の火照りを冷ますようにと手のひらを大きく振って風を当てた。




