まっ青な女の子
給仕の歩き回る靴と衣擦れの音くらいしかしない晩餐の場というのは怖いもんだなーと思う。
勿論マナーとしてカトラリーや皿をカチャカチャと鳴らすのは言語道断なのだけど、音が全くしないというのも正直静かすぎて泣けてくる。
だってアクィラ殿下は、何かやったら即私のせいじゃん!ってなるくらい静かに、それでいて気品あふれる所作で食事をとっているのだ。
私とて、公女としてのマナーはリリコットがきちんと勉強していたお陰で完璧だけども、それ以外のところがマズい。
まあぶっちゃけてしまえば、アクィラ殿下との意思の疎通だね、うん。
晩餐の供されるこの部屋へと入ってから、一度も彼と言葉を交わしていませんよっと。
すでに出されたお皿は五枚目となり、今は多分メインらしき肉料理だ。そこまできても一言も話をしないというのがこちらの晩餐の習わしなのだろうか?百合香の記憶を思い出してからというもの、一人か、ハンナとミヨとしか食事をしたことがないのでわからない。
そして、頑張って食べているものの、お腹もいっぱいになってきている私の胃袋もそろそろ限界に近い。
そう思っているところに、さらなる皿が追加された。ダジャレではなくて、マジで。今度は魚のなんかこってりしたソースがかかっているものらしいけど、ダメだ。見ただけでもう体が拒否している。
「あ、あの……アクィラ殿下。申し訳ありませんが、その……」
「……なんだ?」
ちらりとこちらを一瞥すると、一言だけそう発してまたナイフとフォークを動かし始めた。
「量が、多すぎて、食べきれません……」
カツカツの生活をしてきた百合香としては、出された食事を食べきれないと断るのは屈辱だが仕方がない。
そもそも量が多すぎる上に、リリコットは食が元々細かった。不健康ではないけれど、あまり動くことのないためにそうそう食べる方ではないんじゃないかな。
だいたいこんな細い腕、腰、脚を見てみればわかるだろうが。
私の正直な申告に、アクィラ殿下からは、フッと鼻で笑ったような音が返ってきた。
「勝手に残せばいいだろう。元より全て食べきるとは思ってない」
「えっ!?そんなの勿体なくないですか?」
「は?」
あ、やばっ!素で返してしまった。
慌てて目を逸らし明後日の方向へ向けていると、なんとなくチクチクと刺さるような視線を感じる。
チラッと横目見てみれば、思いっきり薄目でこちらをじいっと見つめていたアクィラ殿下の姿が!
「そのっ、だって、勿体ないでしょう?最初から食べきれないとわかっているものを用意するなんて……おかしいですわ」
そこまで不審の目で見られるのなら言ってやるとばかりに、自分の考えを叩きつけた。
すると、殿下はナイフとフォークを音もたてずに皿の上に置いてから、あごの下に手を合わせて頬杖をついた。
「別におかしくはないだろう。全部、君からの要望を叶えているだけだ、メリリッサ嬢」
ふぁっ!?
思わず変な声が飛び出すところだったのを無理矢理飲み込んだ。
そのために、口は半開きになって、首は思いっきり竦んだ状態になっているが、目の前の……とはいっても、間に三つほどの椅子がある距離だが、アクィラ殿下は気にせずに話を続ける。
「君は、私と婚約してからというもの、折に触れお願いという名の要望を一方的に送ってきた。新居は宮殿内ではなく、新しい離宮一棟分を当てて欲しい。しかし家具や内装、侍女など自分に付くものは全てモンシラ公国より運び入れるので手を出すな」
「は、はあ……」
「誕生日のプレゼントは宝石にしろ。パーティーは一週間に一度は行え。晩餐は常に十皿は用意しろ、今思い出せるのはそんなものくらいだが、もっと色々と細かく書いてあったな」
「…………うう?」
「一応こちらもモンシラ公国の第一公女に敬意を払い、要望通りに離宮を用意したが、約束の日にこちらへ来たのは、君と従者が三人のみ。用意するといっていたはずの家具など一切届かないからおかしいとは思っていたが、まさかほぼ身一つで来るとは思わなかったよ」
顔の筋肉がおかしくなりそうなくらい引きつっているのがわかる。
はあ、とか、うう、とか、返事になってないが、それしか声が出ない。
「家具も使用人も足りていないのなら仕方がないので、離宮ではなく、宮殿の今は使用していない一番隅にある棟に入ってもらったがね。それ以外は今のところ君の要望を概ねクリアしているはずだ」
「…………」
返事の出来ない私に向かい、その美しい緑の瞳を細め、アクィラ殿下は静かに冷たく言い放った。
「ビューゼル宮廷医は、君が記憶を失っていると診断したようだが、それらも、君は覚えていないのかい?」
「…………は、はい。ええと、……申し訳、ありません」
冷や汗が背中をだーだーと流れていく。多分ドレスの内側はびっしゃびしゃだ。顔色だってきっと真っ青になっているに違いない。
未だかつて私はここまで恥ずかしく、かつ怖い思いをしたことは一度もなかった。
いやいや、アクィラ殿下は表立って怒ってはいないが、カーテン泥棒時に侍女に変装して怒鳴られた時の方がよっぽどマシだったよね。
でもね、心の中だけでも言い訳させてっ!
覚えてないんじゃんなくって、リリコットにはそもそも身に覚えがないのっ!
だって、それは全部――
メーリーリッサーっ!!!あの、クソ女めっ!
ミヨは狐っ娘と言っていたが、その通りだ。あのあばずれは、一人で二人分のものを持ち逃げしたくせに、クソみたいな評判だけこちらに押し付けていったのだ。
ふつふつと怒りが込みあげてくるが、今はどうにもならないのもわかっている。大国の威を借りた女狐に直接どうこうは出来ない。
それよりも今は、目の前のツンドラの狼のような人と仲良くなることが先決なのだ。
しかし、うん。打ち解けるというスタートラインが0ではなくすでにマイナスだったね。これもう諦めて帰っちゃおうかなー、モンシラ公国に。
どうなちゃったっていいかな、もう。
ちょこっとだけ諦めかけた瞬間、アクィラ殿下は食事の続きをしながら、少しだけ声のトーンを和らげた。
「そうそう。君は忘れてしまっても、約束は約束だ。君の事故で延期したパーティーを明後日開くので準備をしておくように」
「っは、はい?」
「とはいっても、近しいものだけの簡単なものだから、そこまで大掛かりなものではない」
そう言い放つと、また黙々と食事を続けるアクィラ殿下だった。
…………う、嘘でしょー!?
そんな、律儀に約束守ってくれなくていいんですけどー!
くらり、目眩がして倒れそうになるのを、私は気合でなんとか押しとどめた。




