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―――どうしてこうなった。
鏡の中で、眉間に皺を寄せた若い女がこちらを睨みつけている。
亜麻色の髪に、青い目。これといって特徴のない顔立ちだが、今は困惑と苦悩がない交ぜになったような表情をしている。
このままでは、眉間の皺が癖になってしまいそうだ。私は指先で眉間の皺を軽く揉んだ。
シャーロット・ルインスキー、十六歳。
王立学校に通う、これといって特徴のない伯爵令嬢――のはずだった。
私は階段から落ちた拍子に前世の記憶を取り戻し、この世界が恋愛シミュレーションゲームアプリ、『星の迷い子』の世界だと気が付いてしまう。
私の役どころは、悪役令嬢エミリア・ユースグラットに付き従う名もなきモブ。
彼女の没落と同時に、私も家ごと没落するはずだった。
だが全て思い出してしまったからには、大人しく没落などしてはいられない。
私はエミリアの取り巻きをやめ、更には子悪党である父と縁を切っても生きていけるよう、政務官を目指していた。
そのために勉学に励み、礼儀作法を学び、政務官に推薦してもらうため教師に依頼された生徒会の下働きを引き受けた。
それによってゲームの攻略対象である王太子ウィルフレッド・ジョイナス・サンサーンスや、その側近である公爵子息でエミリアの兄であるジョシュア・ユースグラットと接点ができてしまった。しかし、私はあくまで裏方に徹し、ゲームキャラクターとの関わりを断って生きていくつもりだった。
ところが何の間違いか、「兄に近づくな」と嫉妬するエミリアを更生させて懐かれてしまったり、ゲームの主人公であるアイリス・ペラムの恨みを買ってしまったりと、予想外のことが次々と起きてしまった。
人生とは何が起こるかわからないものだ。
そもそもゲームの登場人物に生まれ変わるなんて、前世の私は考えもしなかった。
とにかくガッツと根性でゲームシナリオとは違う道を歩み始めた私だったが、前世の記憶を思い出す前の私とのあまりの変わりように、幼い頃から仕えてくれていた侍女マチルダに疑念を抱かせてしまう。そして、同じく前世の記憶を持っていたアイリスの不興を買ってしまった。
彼女はマチルダを利用して私を廃教会に呼び出し、教会に火をつけて私を殺そうとした。
エミリアの兄であるジョシュアの機転により、からくも命拾いした私は意識不明だという噂を流してアイリスを油断させた。
そしてパーティーの席上に突然現れることで彼女を動揺させ、私を殺そうとしたのが彼女であると衆人の前で証言したのだった。
それによってアイリスは罪に問われ、生涯領地から出ることが禁じられた。
こうして完全にゲームのシナリオから逃れることができた――。
それではなぜ、癖ができそうなほど眉間に皺を寄せているのか。
それはアイリスの自供を引き出すため、パーティーの席上で次期生徒会長に指名されたことに端を発する。
そもそも私は生徒会役員に指名されるにしても書記くらいでいいと言ったのだが、生徒会長の方がアイリスの動揺を誘えるからと生徒会の面々によって次期生徒会長に指名されることと相成ったのだ。
だが、それは一時的なことで、どうせあとから正式に別の人が生徒会長に指名されるだろうと思っていた。
なぜなら私は特に後ろ盾もない伯爵令嬢で、その伯爵という実家の地位すらも今にもはく奪されそうなくらい弱小貴族の生まれだったからだ。
王族は在学中に必ず生徒会長を務めるという慣例からもわかる通り、未来の貴族たちを束ねる生徒会長は実務職というより名誉職の意味合いが強い。
それを私のような木っ端貴族の娘がやろうというのだから、反発は必須なのである。
子悪党の父も、私が生徒会長に指名されたことを喜ぶどころか、派閥の長である公爵の不興を買うのではないかと戦々恐々としている。
前世の記憶を取り戻して以来、初めて気が合ったなと思う今日この頃なのだ。
「指名を取り消してください!」
なので私は今日も今日とて、卒業を控えた現生徒会長の王太子に、こう嘆願する日々である。
「何がだい?」
「だから、私への次期生徒会長指名を取り消していただきたいんです!」
困った笑みを浮かべている王太子に直談判している私を見たら、父である伯爵は色を失うか羽交い絞めにしてでも私の暴挙を止めようとしたことだろう。
しかしここは王立学校の生徒会。幸いにしてあの男はいない。
私は恥も外聞もなしに、もう何度繰り返したかわからない問答を、今日も繰り返すのだった。
「そうは言ってもねぇ、もうあれだけ大々的に発表してしまったのだし、今更変更というのは……」
我が国の王太子ウィルフレッド・ジョイナス・サンサーンス殿下は、その地位に奢らず誰に対しても物腰柔らかなできたお人だ。
その彼にしつこく言い募り、貴重な時間を割かせて申し訳ないという気持ちは勿論ある。しかし、私としてもこればっかりは譲れないのである。
「それはそうですが、あのときの指名はペラム男爵令嬢の油断を誘うためのものでしたし、それに家格から見てもわたくしがエミリアやセリーヌを差し置いて生徒会長になるというのは、序列を乱し生徒たちに混乱を招きます!」
元悪役令嬢のエミリアは由緒正しき公爵家のご令嬢。そして女装の麗人セリーヌは、隣国シモンズ王国の王女(?)である。
私がかつてエミリアの取り巻きをしていたことからもわかる通り、この二人を差し置いて私が生徒会長になることなど普通ではありえないことだ。
自分たちをないがしろにするのかと二人が怒り出すことだって十分に考えられる、無茶苦茶な指名である。
――ところが。
「あら、あなたまだそんなことを言っているの?」
「さっさと諦めて生徒会長になればいいのに。強情だなあ」
驚いたことに、この二人もまた、私の生徒会長就任を支持しているのである。
なぜだ。一体どうしてこうなった。
「諸先生方にも承認をいただいている。次期生徒会長の人選に変更はない」
平坦な口調で言い放ったのは、エミリアの兄のジョシュアだ。ウィルフレッドに負けず劣らずきらきらしい彼は、ゲームの攻略対象の一人でもある。
夜空のような濃紺の髪に、同色の瞳。金髪碧眼のウィルフレッドが太陽ならば、彼はそのウィルフレッドに付き従う影だ。
その言動は冷たく切り捨てるようなものが多く、ゲームのファンからはクール担当と言われていた。
赤髪縦ロールのエミリアとは色彩こそ違えど、流石兄妹というべきか、整った顔と切れ長の瞳がよく似ている。
「そんなぁ……」
ともかく、今の私は四面楚歌状態だった。
といっても別に弾劾されているわけではなく、むしろ生徒会長にと推薦されているのだから信頼はされているのだろうが。
泣きたくなって思わず近くにいたジョシュアを見上げると、目をそらされてしまった。
なんだか前にも、こんなことがあったような。
ともかく、この場にいる五人の中に味方は一人もいないらしい。
私はがっくりと肩を落とすと、ようやく観念してこの無謀な人事を受け入れたのだった。
「――権力が必要そうな役目は、セリーナかエミリアが変わってくださいね」
ため息をつきながらそう言うと、私以外の四人の顔に笑みが浮かんだのだった。




