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五日目    :咲き誇る桜



5日目:4月4日 水曜日



「……か、 …のか! 木花!!」


 誰? 厳しく私を呼ぶのは? どうせなら、優しくしてよ~。


「木花!! 起きろ!!!」


 優しくどころか、さらに厳しく怒鳴られた上、布団を剥ぎ取られた。 ぶるっ。 寒い。とにかく布団を返してください。

 寝ぼけた頭で布団を引っ張ると、逆に引っ張られ、ベッドから引きずり落とされた。


「優しくしてって言ってんでしょ!」


「口では言ってないぞ。」


 さすがに、そこでハッキリと目が覚めた。あれ? 咲耶?


「おはよう、咲耶。どしたの? お腹空いた?」


「食べることは好きだが、腹が減るわけではない。それより、いつもの食事の時間はとっくに過ぎているぞ。」


「ええ!?」


 自分が耳にした恐ろしい事実が信じられず、確認のため時計を見てみる。げ!? 7時ーーー!!


「もっと早く気づいてよ!」


「気づいてはいた。」


「気づいた時点で起こしてよ!!」


 まるっきり逆恨みだけど腹が立つ。その淡々とした口調がまた癇に障る。


「昔からこんな感じだ。」


「だから、心を読むなって言ってんでしょ!!!」


 咲耶に対する想いを自覚してしまった今、心を読まれるのはなんとしても避けたかった。だって、私の想いが伝わったところで、精霊である咲耶に何ができるだろう?

 昨夜は、色々と衝撃的で、あまり眠れなかった(そして寝坊した)けれど、考えこんでも仕方がない。結局、自分の気持ちも、咲耶が精霊であることも、受け入れるしかないのだから。


「物思いにふけっていられる時間はあるのか?」


 そうそう、何より、一緒にいられる時間すらあと数日………って、時間-----!!!

 


 ちなみに、私はいつも6時には起きている。朝ごはんとお弁当(残り物と冷凍食品だけど)の用意、そして食事。それから身支度をして7時半過ぎには家を出る。朝は、お茶入れがあるので、早めに行かなければならないのだ。



 そこからの私は早かった。朝ごはんとお弁当は諦めて、とりあえず着替え、洗顔、必要最低限のメイクだけ済ませる。その間、わずか15分。ダッシュで行けばいつものバスに間に合うかな?


「連れて行ってやろう。」


 へ? と聞き返す間もなく、気がつけば私は咲耶の腕の中にいた。




 そして、一瞬の後、私はバス停にいた。 こ、こ、こ、こ、これは何!? しゅ、しゅ、瞬間移動ってやつ? 咲耶、こんな技を隠し持ってたの---??


「今のパワーなら、これくらい訳ないぞ。」


「そうなの!?」  


 ガバッと顔を上げる。 わ! 顔が近い!! やだ、私ったら、まだ咲耶の腕の中にいる!!


 慌てて離れると、キョロキョロ周りを見渡した。良かった。誰もいない。

 学生さんが通学するにはまだ少し早いし、通勤の人は、この辺りの人はマイカーを使う。おかげで、この時間に、ここのバス停を利用するのはいつも私だけなのだ。


「咲耶、誰かに見られたらどうすんのよ!?」


 赤い顔をごまかすかのように、わざと責めるような口調で言うと、咲耶はシュンとしてしまった。


「迷惑だったか?」


 その、寂しそうな顔を見てハッとする。咲耶は昨日「心を読む力も、冬の間は何も役に立たないのだ」と悲しそうに語っていた。祥子さんが辛かったときに何の役にも立てなかったと。結局、祥子さんは幸せになれたようだけれど、そのときの悲しさとか悔しさとかは、今も咲耶の胸の中にしこりとして残っているのだろう。


 きっと、私のために役に立ちたいと思ってくれたに違いない。なんていじらしいんだろう。


「いいえ。すごく助かったよ。ありがとう、咲耶。」


 ニッコリ笑って御礼を言うと、咲耶の顔に笑みが広がった。それこそ、ぱぁ~っと花が咲くように。よかった。


 そこへ、いつものバスがやってきた。このバスはわりと空いている。乗り込んだ私は、後ろの方の席に腰掛けた。


『いってくるね。』


 心の中から咲耶に声を掛ける。聞こえたかな? ついでに、こっそり手も振った。咲耶からの返事はなかったけれど、咲耶も小さく手を振ってくれた。







「井上さん。さくらもちがおいしい和菓子屋さんをご存知ないですか?」


 お昼休みの少し前。私は、一緒に総務で働いているベテラン事務員の井上さんに聞いてみた。今日は、お弁当がないので、お昼ご飯の買出しに行かなければならない。どうせ、外に出るのなら、ついでにさくらもちを買いに行こうと思ったのだ。


「あら、木花ちゃん、月曜も和菓子屋さんの袋持ってなかった?」


「ええ。あそこのもおいしかったんですけど、最近すごくさくらもちにハマっちゃって。他のお店のも食べてみたくなったんですよね。」


 井上さんは、40代後半の女性で、家庭では主婦業もこなしている。年の頃といい、なんとなく私の母を思い出させる人だ。会社の近くに自宅があるので、この辺りのお店にはすごく詳しい。あそこの店が安いだの、どこそこに新しい店ができるだの。さすが奥様ネットワーク。侮れない情報網だ。


「それなら、駅の裏側におススメのお店があるわ。割と近いし。今、地図書いてあげる。」


 サラサラと井上さんがペンを走らせる。へ~、駅の裏側か~。会社は表側だから、わざわざ行ったことなかった。どんなさくらもちかなぁ? 咲耶、喜ぶだろうなぁ…。


「ニマニマしちゃって。さては、さくらもち好きの彼氏でも出来たんでしょ?」


 ご名答!! いや、彼氏ではないから、若干違うんだけど…。 でも、さすが人生もベテランさん(失礼かしら)。観察力がするどいな~。


「するどくなくても分かるわよ。その、頬染めてニヤけた顔見れば。」


 ……咲耶でもないのに、どうして私の心が読めるのでしょう? 不思議そうに首を傾げていると、正午を知らせるベルが鳴った。


「木花ちゃんがいい人見つけてくれて私も嬉しいわ。今度ゆっくり聞かせてもらうけど、とりあえず買い物いってらっしゃい。あそこは数が少ないから。」


「はい。ありがとうございます!」


 井上さんにお礼を告げて、財布を取りに行くと、急いで会社を出た。ほとんど走り通しでお店に向かう。井上さんマップのおかげで、迷子にもならずたどり着けた。幸い、さくらもちは、まだショーケースに並んでおり、咲耶と私とお供えの分と、4つ買うことが出来た。

 スキップしながら(考えてみると恥ずかしい…)会社へ戻る。行きも走ったせいか暑い。今年の春は暖かい日が続くなぁ。


 ……暖かいって……マズくない? 桜の開花って、暖かいと早く進むんだよね……? 昨夜は7分咲きだった。じゃあ今日は? 帰ったらまた一気に花開いてるんじゃないかしら?






 その日、昨日以上にスピードアップして仕事を終わらせていく私を井上さんは唖然として見ていた。「…愛の力ってすごいわね…」という呟きが耳に入ったけど、それだけではない。私は早く帰って桜の花を確かめたかった。どうか、どうか、まだ満開じゃありませんように……。


 昨日より、さらに1時間以上早く、私は自宅近くのバス停に着いた。時刻はまだ7時前。本当なら、まだ残っている井上さんの仕事を手伝うべきなんだけど、井上さんは「木花ちゃんがずいぶん進めてくれたから、私ももうすぐ終わるわよ。今日は早く帰りなさい。」と言ってくれた。


 バスを降りると、今日も咲耶が立っていた。夜の、決して多いとはいえない街灯の灯りに照らされた咲耶はいつもより一段と美しかった。私の初恋フィルターがかかった視界のせいではない。間違いなく、朝よりも輝いている。


 急に不安に襲われた。…この輝きが意味するものは?


「咲耶、帰ろう。」


「木花?」


 いつもなら、咲耶が私の手を取ってくれるけど、今日は私が咲耶の手を引いた。早く、早く。この目で桜を見なくっちゃ。


「どうした? 何かあったのか?」


 ぐいぐい咲耶を引っ張りながら早足で歩く私に咲耶が聞いていたけれど、返事をする余裕が今はなかった。ほどなくして、私の家が見えてきた。




「……満、開……。」


 桜の花は全て咲き誇っていた。昨日まで、まだ蕾の花もあったのに…。 早すぎる。まだ早すぎる。お願い、桜。まだ散らないで……。


「美しいだろう? 今年は暖かいから早かったな。」


 隣を見ると、咲耶が満足そうに桜を見上げていた。


「…あと、どれくらい咲いてるの…?」


 恐る恐る咲耶を見上げながら聞いてみる。咲耶は、私の質問の意味するところに気づいたようで、私の目をしばらく見つめてから、静かに口を開いた。


「…あと、5日間ほど…。」


 思ったよりも短い期日を告げられ、私は言葉を失った。


 そう言えば、初めて会った時、咲耶は「姿を現す期間は2週間ほど」で、私が出会ったときすでに「3日ほど前からここにいた」と言っていたではないか。あれから5日。すでに咲耶は8日目を迎えている。残りは5日間ほど。確かにそうだ。

 でも、2週間と聞いていた私は、自分が出会った日から2週間で考えてしまっていた。まだ、1週間くらい、うまくいけば、それより長くいられると心のどこかで期待していたのだ。


 ダメだ。全然ダメだ。


 昨夜、考えた末、この状況を受け入れるしかない、と決めたのだけれど。いざ、残りの日数を示されるとそんな決意はあっさりと崩れてしまった。

 だって、私は咲耶といたい。叶うならばずっと。それが叶わなくとも、せめて1日でも長い時を一緒に過ごしたい。


 姿が見えなくとも、咲耶はいつでも庭にいる。私が話しかければ聞いていてくれる。でも、それでは、両親と同じだ。…その姿は見えず、声を聞くことも、手をつなぐことも出来ないのだ。


 また、愛しい人と触れ合うことが出来なくなる切なさに目頭が熱くなる。いやだ。咲耶と会えないことを受け入れるなんて出来ない!


 すでに涙で視界が潤んできた。いけない、咲耶に涙を見せるわけにはいかない。祥子さんの涙でさえ、咲耶は胸を痛めたのに、自分のことで泣く私を見せたら、咲耶はもっと傷ついてしまう。


「で、でも! 咲耶とはまた来年も会えるしね!」


 涙を何とかこらえ、精一杯の明るい声で咲耶に笑いかける。そうだ。咲耶とはまた会える。来年になればまた花が咲くのだから。

 わずかな望みにすがりつく私に、咲耶はさらに衝撃的なことを告げた。


「………それは………分からない…。」


「え?」


 どうして? 桜は春が来れば毎年咲くでしょ? 咲耶はこの木の精霊なんだから、他の場所に行ってしまうわけではないでしょ?


 私の心の問いが聞こえたのか、咲耶は重苦しい口調で続けた。


「私は80歳を超える。桜としては老木なのだ。」


 咲耶の説明によると、ソメイヨシノは、他の種類の桜と比べると短命らしい。寿命は60年ほどとも言われるそうだ。もちろん、100年を超え、なお元気に花を咲かせる木もあるらしいのだが。


「ここ数年、花の量も少なくなり、色も薄くなった。」


 若木は、開花も早く、花の量も多いし、ピンクの色も濃いらしい。咲耶の花は…白っぽい花びらをしていた…。


「来年、いきなり咲かないとは思わないが、これから先、あと何年花を咲かせられるかは分からない。」


 小さな声で呟き、咲耶は俯いた…。


 …辛いのは私じゃない。咲耶だ…。私は、確かにここ数年辛い時期もあった。でも、咲耶は、ほとんどの時間を1人で過ごしてきた。祥子さんとのわずかな触れ合いを除いては。

 そして、今年、やっと私という新たな出会いを得たのに、再び孤独な世界へ戻ろうとしている。そして、近い将来、その孤独の中に閉じ込められてしまうのだ。


「…咲耶。」


 俯いた咲耶の頭を手で撫でる。それから頬も。涙こそ流れていないが、私には咲耶が泣いているように見えた。今日は咲耶を帰せない。こんな咲耶を1人になんてできないと思った。


「咲耶、今日は戻らなくていいよ。」


 私の言葉に咲耶が顔を上げる。  


「もっと、いっぱい話をしよう。そうだ、さくらもちも買ってきたんだ。」


「さくらもちか!?」


やっと、咲耶が少し笑顔になった。私たちはどちらともなく手をつなぎ、家の中へと入っていった…。







  


 

桜の寿命につきましては、70~80年という説もあるそうです。


今日中にもう1話更新する予定です。

よろしくお願いいたします。

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