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四日目    :咲耶の友人



4日目:4月3日 火曜日



 今日は、順調に仕事が進み、昨日残した分も含めて全て片付けることができた。なんと、バスに乗ってるただ今の時刻、8時。昨日より2時間も早い。やれば出来る!頑張ったね、私。


 ルンルン気分でバスを降りる。そこには、昨日と同じく咲耶が立っていた。気持ちがさらに浮き立つのを感じる。


「ただいま。咲耶。」


 昨日よりずいぶん早い帰りに一瞬驚いたようだけど、すぐに嬉しそうに「今日は早いな。」と言って笑った。

 咲耶は笑顔も美しい。咲き誇る桜のように。思わず見とれていると、「帰るぞ」と言って、そっと私の手を取った。何これ…。まるで恋人同士じゃないですか----!


 内心、ものすごく照れくさいのだけど、これぐらいでうろたえる26歳もかっこ悪い気がして、手を振りほどく気にはなれなかった…。





 2人で家に帰り、またご飯を一緒に食べた。今日の出来事を報告しあいながら。咲耶は、また花屋さんに行ってみたようだ。


「主人に、“就活中です”と伝えた。」


「なんて言われた?」


「“いざとなったらここへ来い”と。」


「………。」


 おじさん…。咲耶で売り上げアップ狙ってない?






 その他にも、咲耶が発見した近所の庭に咲くきれいな花の話、私が苦手な取引先の課長さんが、なぜか今日は優しかったことなど、取りとめのない話をしながら夜が更ける。ふと時計を見ると、すでに10時を回っていた。


「今日も世話になった。そろそろ私は木に帰る。」


「…あ、うん。…そうだね…。」


 すっかりおなじみになったやり取りに、また“キュッ”の痛みが襲ってきた。この痛みにはなじめない。

  

「おやすみなさい。」


 もやもやする気持ちのまま、咲耶に挨拶をすると、また咲耶が切なげな瞳をした。これもいつもだ。何か理由があるのだろうか?


「おやすみ。……木花。」


「待って!」


 立ち去ろうとする咲耶を思わず呼び止めた。なんだろう、あの瞳?なんだか気になる。


 咲耶は振り返り、私が口を開くのを待っている。私は、思い切って尋ねてみた。


「“おやすみなさい”をするとき、咲耶、いつも様子が変だよ?何かあるの?」


 できるだけ、気軽な感じで聞いてみた私の問いに、咲耶は目を見張った。それから、しばらく、何かを考え込んで、小さな声で呟いた。


「…思い出すのだ…。」


「何を?」


「祥子のことを…」


 咲耶が初めて口にした、私以外の人の名前。祥子って…誰? 何を思い出すの?


 胸が詰まったような感じがして、声を出せない私に、咲耶は教えてくれた。祥子さんとの昔話を…。

 






 祥子さんは、咲耶が前に話していた、昔ここに住んでいた“お嬢さん”の名前だという。私と出会う前、咲耶の姿を見ることが出来た人…。咲耶が言うには「友人だった」らしい。40年ほど前の話だと言う。


「彼女が、初めて私に気がついたのは、祥子が17歳の春だった。」


 私と同じく、その前までは咲耶を見ることができなかったらしい。その年、急に咲耶が見えるようになった彼女は「話し相手になってくれる?」と咲耶に言った。


 彼女は、その家の跡取りとして16年の歳月を過ごしてきた。教育、作法、色々厳しいしつけを受けていたらしい。ところが、1年ほど前、母親が久方ぶりに妊娠をした。そして、めでたくも元旦に産まれた子供は男の子だった。その日は“正式な跡取りの誕生”を祝って、親戚一同、盛大な祝賀会を催したようだ。

 産まれてわずか4ヶ月足らずのうちに、周りのもの全ての関心が弟へと移っていった。そして、今まで「立派な婿をもらうように」と言い続けていた両親も、手のひらを返したように「年頃になったら、良い縁談を持ってくるから、早く嫁ぐように」と言い出した。


「弟はかわいいけど…。誰も私の話を聞いてくれなくなった」と、彼女は儚げに微笑んだそうだ。


 それから、毎日、彼女は咲耶の元を訪れた。私がしているように、毎日の取りとめのない話をするために。姿が見え、なおかつ話をしてくれる人間と初めて出会った咲耶は彼女がやってくるのが楽しかったと言う。


「祥子はいつも家族が寝静まった頃にやってきた。そして、しばし話をして、“おやすみなさい”と言って去っていくのだ。」


 咲耶が、私に「おやすみなさい」を言われて、少しせつなそうだったのは、祥子さんを思い出していたのだろう。彼女のことを大切そうに語る咲耶を見て、私の心は暗い雲に覆われていった。


「祥子さんは…それからどうしたの?」


 今、この家に彼女はもちろん、彼女の家族もいない。彼女は引越しをしたのだろうか?


「それから、3年ほど、私が見える時期には会って話をしていた。見えない時期でも彼女は私の木の元にやってきて、いろいろなことを語っていった。」


 咲耶は、姿を現すことができるのは桜の花が咲いている間だけらしいが、それ以外の期間でも意識がないわけではないと言う。木の中から、外の様子を伺うこともできるらしいのだ。ただ、冬の間は一番意識が弱くなるらしく、木の幹に寄り添って話す祥子さんの声が聞こえても、話す内容までは分からないほどのパワーしかないそうだ。


「4年目の春、はっきり意識が目覚めたとき、すでに彼女はいなかった。」


 その1週間ほど前から、彼女が咲耶の元を訪れることがなかった事には気づいていたが、カゼでも引いたのかと思っていたそうだ。以前にもそういうことがあったから。ほどなくして、桜が咲き、自由に動けるパワーを得た咲耶は彼女を探した。

 そして、部屋に飾ってある大きな写真を見て、彼女がなぜ訪れなくなったのかを知った。


 そこに飾られていたのは、白い和服に身を包み、見知らぬ和服の男性と並んで写る祥子さんの写真。


 彼女は結婚したのだ。おそらくは、両親の薦めたであろう立派な男性と。


「思い返せば、いなくなる前、彼女は私のところで泣いていた気がする…。」


 でも、冬で意識が弱くなっていた咲耶には、彼女がなぜ泣いているかまでを理解することはできなかった。






「心を読む力も、冬の間は何も役に立たないのだ…。」


 そう言って、咲耶は泣きそうな顔で微笑んだ。きっと、一番辛いときに何も聞いてあげられなかった自分が悔しいのだろう。 …私は、そんな咲耶を見て…辛かった。


 「…祥子さんに会いたい?」


 返事を聞くのが怖いと思いながらも、咲耶に尋ねてみた。40年ほど前に17歳だったのなら、まだご存命である確率が高い。引っ越したのだとしても、探すこともできるのだ。


「いや。彼女には、もう私が見えないから。」


 どういうことか分からず、不思議そうな顔をした私に、咲耶が“その後”のことを語ってくれた。


「嫁いだ彼女は、次の年の桜が咲き誇る時期にやってきた。」





 咲耶が自由に動ける時期に実家を訪れた彼女は、大きなお腹をしていた。出産のための里帰りだったのだろう。咲耶は、人目を忍んで彼女に語りかけた。


「祥子。」


 彼女は振り返らない。何度も呼びかける。でも、やはり彼女は気がつかない…。





「彼女には、俺を見ることが出来なくなっていた。」


 どうやら、彼女は幸せな結婚ができたらしい。帰ってきた彼女は、見たことがないほど優しく微笑み、また、両親も初孫の誕生が待ち遠しいのか、彼女の世話をかいがいしく焼いていた。

 おそらく、身体を冷やすことになるからか、それとも新しい生活の中で咲耶のことは夢物語になってしまたのか…。夜になっても、彼女が咲耶の元を訪れることは2度となかった…。


 そんな祥子さんを見て、咲耶は安心したと言う。彼女はもう、1人ではないのだ、と。自分を必要とはしなくなったけれど。





 長かった咲耶の話を聞き終えて、私はあることに気がついた。おそらく、祥子さんに咲耶を見ることができたのは、当初抱えていた“寂しさ”のせいだろう。いつも1人だった咲耶と、同じものを抱えていたに違いない。

 じゃあ…、私も? 私も1人になった寂しさのせいで咲耶が見えるようになったの?



 



「せめて、別れを告げることができればよかったのだが…。」


 遠い目をして呟く咲耶の言葉に、私は目を見張った。その気持ちは、私が両親に抱いているのと同じ気持ちだから。そう、事故で急に旅立ってしまった両親に、私は何も伝えることが出来なかった。ありがとうも、大好きも、…さよならさえも…。


 きっと、私と咲耶の一番大きな共通点はこれだったのだろう。


 ここ数年、私は思い出すのが辛くて、桜を見ることをしていなかった。だから、咲耶が見えることに気がついたのが今年になってしまっただけ。きっと、両親を亡くしてからは見ることができていたはず。


 もっと早く気がつけたらよかった…。そしたら、もう少し早く寂しさだけでも和らげることができたのに…。


 


 そこまで考えて、自分の思いにハッとした。


 和らげたいのは咲耶の寂しさなの? 自分は? 確かに、私も寂しい思いを抱えていた。咲耶と会うほんの数日前まで。なのに、今、自分の中に浮かんだのは咲耶を癒したかった気持ちだけ。何で?


 他にも自分の中で気になる思いがいくつかある。


 咲耶が木に戻るときや、“俺は桜だ”と主張する服装を見たときの“キュッ”とする痛み。手をつないだときの妙にドキドキする気持ち。祥子さんのことを話す咲耶を見たときの暗くなっていく気持ち。

 彼女の涙の意味に気づけなかったと悔しそうに言う咲耶を見たときの辛い気持ち。「祥子さんに会いたい?」と聞いたときの怖い気持ち…。 


 その全てが1つの答えを導いていた。いくら、経験値の低い私でも気づいてしまった。



 私は咲耶が好きなんだ。


 ほんの数日前に出会ったばかりでも。咲耶が人ではなくても。私は咲耶が好きなんだ。



 そう気づくと、全ての気持ちに納得がいった。…今さらだけど、これが私の初恋じゃないかしら…。短大時代、唯一付き合った男性も“なんとなく”始まって、“なんとなく”終わった。恋と呼べる気持ちも知らないままに。たぶん、相手も同じだったと思う。


 …初恋が26歳ってところもどうかと思うけど、相手が精霊ってところもビミョーよね…。


 なんて、ぐるぐる頭の中で考えている私を見て、咲耶は何か勘違いしたらしく、


「長い昔話など聞かせてすまなかった。そろそろ、私は木に戻ることにする。」


 と、申し訳なさそうに去ろうとした。なんとなく、いつもの「おやすみなさい」を告げる気になれなかった。祥子さんと同じ言葉で送り出すのが嫌なのかもしれない。 おお! いっちょまえにヤキモチ?私? 初恋デビューと同時にヤキモチなんて、私も一気にステップアップしたもんだ!


「また明日ね。」


 立ち去る咲耶の背中に慌てて声を掛ける。咲耶はちょっと驚いた顔で振り向くと、


「ああ。また明日。」


 と、またもや美しい笑顔で微笑んだ。うん。この方がいいね。明日からこの台詞にしよう。





 咲耶を見送り、1人になった部屋で、改めて自分に問いかけてみた。 ほんとに好きなの?寂しかっただけじゃないの?家族(またはペット)に抱く情愛と同じじゃないの?


 何度も同じ問いを繰り返してみたけれど、答えは“NO”だ。初めての気持ちだけど、ハッキリと言える。


 話を聞いてくれる咲耶、話を聞かせてくれる咲耶、帰りを待っててくれる咲耶、手をつないで…(以下略)。そして、何より好きなのは“さくらもちを食べる咲耶”だ。あの、至福の笑顔は、私の心も幸せにしてくれる。


 色々な咲耶を思い浮かべていたら、胸がドキドキして顔が熱くなってきた。慣れない高鳴りになんだか苦しい。窓を開けよう。


 自室の窓を開けると、ここからも桜の木が見えた。夜に見る桜は、また違う趣があって美しい。ああ、だいぶ満開に近づいてきた。今、8分咲きくらいだろうか?…って、 え? もう8分咲き!?


 もう1度、目を凝らして桜を見た。最近の暖かさに誘われて、桜は着実に花開いていた。



 桜が満開になる…。 満開になったあとは? 決まってる。桜は徐々に散ってゆく…。


 散った後は? 咲耶は? ……決まってる。咲耶は、木に、戻るだけ……。





 


 

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


このお話も、残りあと3話となります。

少し更新ペースが早くなると思います。

もう少しお付き合いください。

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