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貧乏貴族の俺が貴族学園随一の麗しき公爵令嬢と偽装婚約したら、なぜか溺愛してくるようになった。  作者: ななよ廻る
第2部 第1章

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第2話 公爵令嬢の部屋で、2人きり

「おや? もう来たのかい?」


 女子寮のユーリの部屋に入った途端、出迎えたのはそんな言葉だった。


「……ユーリが呼んだんだろ」

「いや、授業中だし、放課後に来ると思っていたからね」

「行けるか、そんな人の多い時間帯に」


 女子寮は学園における不可侵領域だ。

 聖域であり、秘密の花園。

 入ってみたいと望む男は数多いが、それをやらないのは不利益が大きすぎるからだ。


 なのに、どうして俺はそんな命知らずなことをしているのか。失言したしなー、という負い目がなければ絶対に来ていなかった。思ったことをぽろっと口にしてしまう己が恨めしい。


 授業をサボって見舞いに来たのは、まだマシだろうと考えたからだ。


「ふむ、ちゃんと許可は取ったと私のメイドが伝えたろう?」

「聞いたけど」


 ベッドの脇にあった椅子に断りを入れて座り、その回答を思い出す。

 顔の中心にシワが寄る。


「女子寮の管理人に賄賂を渡したから――っていうのを、信用できるかって話だろ」

「権力とお金は偉大だね」


 悪びれもしない。

 こんなこと、貴族であれば常套手段なんだろうが、俺からすると『いいのか?』と不安が頭に残る。金の力で規則を免除される、というのはどうにも座りが悪い。


 貧乏だから、というのもあるが、そういうのとは無縁でやってきたからなぁ。


「嫌かい?」

「ん? あーまぁ、率先してやりたくはないかな」

「そうか、なら私も気をつけよう」


 その素直さがちょっと意外。

 学内の庭園を個人所有にしていることからも、そういった特権を使うことに躊躇ためらいはないと思っていた。

 ユーリにとって周囲が忖度そんたくするのは当然で、享受すべきものであるはずだから。


 目を丸くしていると、そんな俺の内心を察してかユーリは口元を綻ばせる。


公爵()子爵()の価値観は違うに決まっている。だからといって、旦那様が嫌がることを率先してやると思われているのは心外だな。わざわざ嫌われたいと思う女の子はいないんだよ」

「……そっか」


 なんか照れる。

 もみあげを指先で弄る。


 それは、俺に嫌われたくないからやらないと言っているようなもので、先日の好意を加味すると心がもそもそして落ち着かない。


「照れてるのかい?」

「違うし」


 否定して顔を背けるも「かわいいねー」と言われて羞恥が頬を焼く。

 見舞いに来たのに、どうして俺の熱が上がってるんだよ。


「風邪で伏せってるのに元気だな」

「症状は軽いからね。でなければ、旦那様を呼ばなかったさ」


 気にかけてくれているらしい。


「なら、もっと気にするべきことがあると思うんだが」

「たとえば?」


 からかうようにユーリが前のめりになる。

 白いナイトドレスの隙間から、微かな膨らみがちらりと覗く。元気な様子だが、やはり熱はあるのかじっとりと汗をかいていて、柔らかな曲線を伝って雫が流れ落ちていく。


 極力意識しないようにしていたのに。

 女子寮で、女性の部屋。

 それだけでも緊張しているのに、ベッドに座っているのは寝姿のユーリだ。制服やパーティのドレス姿は目にしたことはあるが、それらとは違って普段はまず見せないものだ。


 厚手のショールを肩にかけているとはいえ、見ていいのかという葛藤がある。

 ユーリが呼んだという免罪符はある。

 それでも、淑女が異性に見せていい姿とは思えなかった。


 くす、とユーリが淑やかに笑う。


「かわいいね、旦那様は」

「ユーリはもう少し気を遣ってくれ」

「安心したまえ、旦那様以外にこんな姿、見せはしないよ」

「っ、そういうのがさー」


 見透かして、わかって言っているのが本当にたちが悪いんだ。

 ユーリの部屋で2人きりなんて特異な状況なんだから、余計にやめてほしい。一応、ここまで案内してくれたメイドさんが表にいるらしいが、まるで気配がしないので忘れそうになる。


「俺も男なんだが?」

「知ってるよ」


 微笑むユーリに、あ、そうと言うしかなかった。

 素っ気なさを演じるくらいしか、俺には抵抗するすべがないから。


「でも、よかったのかい?」

「なにが?」


 急な話題の方向転換に首を傾げると、「授業だよ」とユーリは説明を足してくれる。


「見舞いに来てくれとお願いしたのは私だが、放課後に来ると思っていたからね。他の生徒のように結婚相手を探しに来ているのならともかく、旦那様は学園に勉強をしに来ているだろう? 私のためにサボらせてしまったのは、申し訳ないと思ってね」

「ほーん、ユーリにも良識はあったのか」

「良識でできていると言っても過言ではないからね」

「どの口が」

「この口だとも」


 ちょん、と唇に人差し指を置く。

 薄く赤い唇に一瞬目を行ってしまい、目を閉じる。だから、そういう意識をさせるんじゃないっての。


「ドキドキさせたかな?」

「心臓が止まりそうだよ」


 本当に。


「授業は……よくないけど。人の少ない時間に来たかったし」


 薄く目を開ける。

 元気な様子だが、白い肌は赤く上気していて、僅かに呼吸も荒い。その表情だけはいつもと変わらず余裕に満ちた笑みだけれど、風邪が嘘じゃないってのは見ていればわかる。


「心配だもの。優先くらいするさ」

「……ん、そうか、うん、そうだね」


 ビックリしたように蒼い瞳を丸くして、ユーリは背中を丸める。

 掛け布団を持ち上げて、体を隠すようにしている。


 これは……。


「“ドキドキさせたかな”?」

「病人虐めて楽しいかい?」

「割と」


 いつもいじめられてますからー、と言えばぷくっと頬を膨らませた。子どもみたいな不満の訴え方に笑って、枕を投げられた。顔に当たって、微かな花と汗の匂い。

 指摘するのは……さすがにデリカシーがないよな。


 枕をぽんっと返し、椅子から立ち上がる。


「帰るのかい?」


 その瞳に、僅かな寂しさが揺れて見えた気がした。

 俺を見舞いに呼んだのは、なにも昨日の意趣返しというわけでもなかったらしい。体調が悪いときは、人間誰しも傍にいてほしいものだ。


「なに? 寝るまで傍にいてほしいの?」


 幼い仕草で頷かれた。

 素直。


「暇だからいいけど、寮生が戻って来る前に帰るからな」

「わかっているとも」


 嬉しそうに笑う。

 本当にわかっているんだか。

 でも、頼られて悪い気はしなくて、単純すぎる自分に呆れるばかりだ。


  ◆◆◆


 風邪を引いた。

 そうは言っても、軽いもので3日経つ頃にはユーリもすっかり元気になっていた。俺も何度か見舞いに行ったが、途中から遊びに行っている感覚になっていて、庭園で過ごすのと変わらなくなっていた。


 場所がユーリの部屋で、紅茶をメイドさんが淹れてくれるって違いくらい。

 ……十分、大きな違いだけど。


「――もう1度今の言葉を口にしてくれるかな? 旦那様」


 そんなわけで久々の庭園でのお茶会。

 空は雲1つない快晴で、やや肌寒いけどそれでも過ごしやすい気候だった。だというのに、ユーリの機嫌はすこぶる悪く……というか、俺がある提案をしたら雪崩のように落ちたんだけど。

 とにかく、機嫌が悪い。


 風邪のときの方がまだ上機嫌だった。

 むすっ、とわかりやすく不満を顕にするユーリに、俺はため息をきつつ、望み通りもう1度説明する。


「いやだから。寒くなってきたら、庭園でのお茶会はしばらくやめようって言ったんだよ」

「どうして?」

「聞いてた?」


 説明したよね? 寒いからって。

 聞く耳を持たないご機嫌斜めなご令嬢をどう納得させるのか。天気と違って暗雲立ち込める先行きにため息が止まらない。


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