第2話 逃げる妹兎が捕まらない
「ルル」
「兄さんごめんなさいお花を摘みに行ってきます!」
広すぎて手入れの行き届いていない庭園で、洗濯を干していたルルに声をかけたら、警戒心の強い猫のように逃げていってしまった。
「……これで3回目」
朝食に、昼食のときも逃げられている。
最初は警戒する素振りを見せなかったのに、金脈の調査費用の話題を振った途端これだ。
「絶対になにかある」
実家に帰ってくる前から、調査費用なんてあるはずないとわかっていたが、ルルの反応的にその認識に間違いはなさそうだった。
となると、出所は言えないところか。
まさか借金とか言わないよな?
不信が不安を呼んでいる。
確認しないわけにはいかないが、知っているだろう当人はこの調子だ。
どうしたものかと苦悩していると、背後からくすりと笑い声が聞こえてきた。
こめかみがぴくりと動く。
見ると、野ざらしの椅子に座ったユーリが、面白そうにこちらを眺めている。
「……愉しそうだな」
「ふふっ、見ていて飽きないね」
鏡がなくても、自分の顔がくしゃっとなったのがわかった。
本当になにしに付いてきたんだ、この公爵令嬢様は。
面白そうというのが大半だろうが、そこにしれっと意義や意味を混ぜているのがユーリだ。
今回のこともきっと意味が……ないかもなぁ。
「それでどうするんだい? このままでは、銃を持たずに兎を追い回す狩人だぞ?」
「変な言い方しないで、滑稽だって言えよ」
「ははは」
本当に人を煽るのが上手い。
公爵家の人間って皆、ユーリみたいに性格がひん曲がってるのか?
ルルが残した洗濯物を代わりに干そうと手を伸ばし、ユーリに告げる。
「捕まんないのならしょうがない。逃げない兎と話すさ」
「ふむ、というと?」
パッと手に取った洗濯物を開く。
「――母さんと話す」
「決めているところ悪いが、その手に持っているのは女性用の下着ではないかい?」
…………こんなデリケートなものを置いて逃げるな!
籠に戻そうと思ったところで、屋敷から足音が聞こえてきてびくりっと肩が跳ねる。
まさか、このタイミングでルルが戻ってきたのか?
滝のように冷や汗をかきながら、純白のパンツを掲げて固まっていると、ルルとは違う大人びた、けれど似た女性の声が俺を呼んだ。
「クル、帰っていましたか。申し訳ありません、久方ぶりに帰ってきたというのに出迎えもできず。貴方も知っているでしょうが、少し領内が騒がしく…………」
声が止まる。
血の気の引く音が耳を掠めていく。
ゆっくり振り返ると、そこにいたのはまごうことなき俺やルルの母親だった。
ルルを正当に成長させたような美人。
けれど、その釣り上がった目だけはルルとは違い、意思の強さを感じさせる。
その瞳が、俺をというか、その手に掲げたパンツを見ていた。
釣り上がった目尻がすっと下がるのが、やけに印象に残った。
「クル」
「はい」
「いずれ爵位を継ぐ長男として、異性に興味を持つなとは言いませんが、妹の下着に性的興奮を覚えるのは控えなさい」
「違うんです誤解です話を聞いてください!」
そういうお年頃だから仕方ないといった眼差しを母親から向けられるのは、軽蔑されるよりも心にくるものがある。
息子にとって、性に理解のある母親ほど羞恥心を煽る存在はいない。
「そのことについてはあとで諭すとして」
「あとはいらないです勘違いですから!」
「では、あちらの方も誤解ですか?」
そうして母さんが俺に見るよう促したのは、楚々とした微笑みを浮かべて俺たちの様子を窺っているユーリだった。
あ。
と思うがもう遅い。
小さく手を振るサービスまでしてくれたユーリから母さんに顔を戻すと、悲しそうに下がっていた眉尻がこれでもかと釣り上がっていた。
「アルローズ公爵家のユーリアナ様ですよね? 来訪があるとは伺っておりませんが、どういうことでしょうか?」
「それは、…………付いて来ちゃいまして?」
かわいく首を傾げてみたら、頭痛がするのか母さんが渋い顔をして眉間を押さえる。
「久々に帰ってきた息子にこんなことを言いたくありませんが……クル」
「…………はぃ」
「説教です、付いてきなさい」
ルルと違って逃げるわけにもいかず、がっくりと肩を落とすしかなかった。
そんな俺を見て笑っているユーリが恨めしい。
見世物じゃないぞ。
まぁ、母さんと話をするつもりだったから、好都合と言えば好都合ではある。
……そう思わないとやってられない。






