97 【夜に響く優しい調べ】
しばらくして、俺はソファに腰を下ろし、リモコンを手に取りながらまいに声をかけた。
「なあ、あのアニメの続き、そろそろ見ようか?」
気軽に提案したつもりだったが、まいは即座に首を振る。
「今日はダメ!」
そのきっぱりとした拒絶に、思わず俺は眉を上げた。
「えぇ〜、なんで?」
「謙が言ったじゃん! 旅行の計画立てようよ! 早く行きたいよぉ〜!」
まいは目を輝かせながら身を乗り出してくる。
その姿はまるで子供みたいで、俺は思わず苦笑した。
「はぁぁ〜……いきなりかよ」
不意打ちだったけれど、まあいいか。
こんなふうに心から楽しみにしてくれるなら、それだけで俺も嬉しくなる。
「よし、じゃあミーティングでもするか。お酒でも飲みながら」
俺がそう言うと、まいはパッと笑顔になり、「わかった! じゃあ準備するね!」とキッチンへ向かった。
しばらくすると、まいは手際よく簡単なおつまみを用意し、ウイスキーのボトルをテーブルに置いた。
俺はその手際の良さに感心しながら、ふと微笑む。
「やっぱりまいは、こういうのすごいなぁ」
「ふふ、得意なんだから」
まいは誇らしげに言う。
その様子がなんだか微笑ましくて、俺はグラスを手に取った。
「じゃあ、乾杯するか」
「うん、乾杯!」
グラスが軽く触れ合い、ウイスキーの琥珀色が揺れる。
ほろ苦い香りがゆっくりと鼻をくすぐり、まいは「音楽かけるね」とスマホを操作した。
「お、何が流れるかな?」
俺が興味津々で待っていると、スピーカーから流れてきたのは Uru の歌声だった。
──静かに響く、たそれでいてどこか切ないメロディ。
「……この曲を聴くと、入院してた時を思い出すなぁ」
俺はぽつりとつぶやく。
まいはグラスを傾けながら、静かに頷いた。
「……わかる。なんかね、私も考えちゃうかも」
「……」
「それだけ、この人の歌声って、心に響くよね」
いつもなら、お酒を飲みながら楽しく話すのに。
今夜はなぜか、2人とも言葉少なになっていた。
──この曲を聴くと、思い出すことが多すぎる。
俺は、意識のないまま過ごしたあの時間。
そして、そんな俺を待ち続けてくれたまいのことを思った。
まいは、俺の知らない時間を、何を思いながら過ごしていたんだろう。
「まい……」
名前を呼んだけれど、まいは俺を見ずに、ただゆっくりとグラスを揺らしていた。
──何を考えてるんだろう。
「……ねえ、謙」
まいが静かに口を開く。
「ん?」
「……なんでもない」
ふっと微笑んだまいは、再びグラスを口元へ運んだ。
本当は何か言いたいことがあったのかもしれない。
けれど、それを口に出さないまま、まいはただ歌に耳を傾けていた。
俺たちは旅行の計画を立てるはずだった。
でも、今はただ──静かに流れる音楽と、2人の時間を噛みしめるように過ごしていた。




