消えた記憶と愛する人の嘘 81 「静寂から始まる会談」
エレベーターの中は、妙に静かだった。
橘と栗原、そして総務課長の山口——三人は無言のまま、11階のボタンが光るのを見つめていた。
機械音だけが静かに響く密閉空間。
栗原は少し落ち着かない様子だったが、橘は冷静な表情を保っていた。
すぐに会談が始まるわけではないが、病院側がどのような態度で出るのか、その空気を慎重に探る必要があった。
チン。
エレベーターが静かに停止し、扉がスライドする。
目の前には、広々としたフロアが広がっていた。
白を基調とした清潔感のあるオフィス空間。
デスクに向かい、黙々と業務をこなす職員たち。
電話の呼び出し音、キーボードを打つ音、書類をめくる音が絶えず響く。
どこを見ても忙しそうな光景が広がっており、二人の病院に対する印象をさらに強めた。
「すごいですね……」
栗原が思わず小声で呟く。
「ここまでの規模の病院、なかなかないですよ。設備も整っているし、働いている人たちの雰囲気も違う」
「……ああ、まさに別格だな」
橘も頷いた。
二人は山口の後を追い、フロアの端にある通路へと進んだ。
しばらく歩くと、落ち着いた雰囲気の会議室の前に辿り着いた。
山口が扉を開けると、すでに整えられたテーブルと椅子が並び、窓の外には市街地の景色が広がっていた。
明るく開放的な空間だが、これからの会話を考えると、どこか緊張感を覚えずにはいられない。
「どうぞ、中へ」
山口に促され、二人は会議室に足を踏み入れる。
席に着く前に、ふと扉が開いた。
入ってきたのは、白衣ではなくシンプルなスーツ姿の女性だった。
手には湯気の立つ湯呑みを載せたお盆。
「失礼いたします」
そう言って、女性は静かにテーブルの上に湯呑みを置いた。
香ばしいほうじ茶の香りがふわりと広がり、一瞬、張り詰めた空気が和らぐ。
「ありがとうございます」
橘と栗原は軽く会釈をし、女性が退出するのを見送った。
すると、間もなくして先ほどの山口が再び部屋に入り、もう一人の男性を伴っていた。
年齢は40代半ばほどだろうか。
穏やかな雰囲気を纏いながらも、どこか鋭さを感じさせる男。
「お待たせしました」
山口が一言述べた後、横の男性を指し示す。
「こちら、総務部部長の枝です」
「橘です。よろしくお願いいたします」
「栗原です。お時間をいただきありがとうございます」
二人はすぐに立ち上がり、一礼した。
「いえ、こちらこそ」
枝は穏やかに微笑み、軽く頭を下げる。
橘はカバンから手帳を取り出し
開いた。
今回の訪問の目的は明確だったが、病院側がどこまでの情報を開示するのか、それはまだわからない。
「お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます」
まずは、ありきたりな挨拶から始める。
山口が頷きながら、「どうぞ、お掛けください」と手で示した。
橘と栗原は、それぞれ席についた。
目の前には、総務課長と総務部部長。
対面での会話が、今まさに始まろうとしていた。




