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消えた記憶と愛する人の嘘 73 「再会の声」



スマホの発信音が鳴る。


しばらくすると、電話の向こうから落ち着いた声が聞こえてきた。


「はい、豊島総合病院、人事部の武井と申します。ご用件は?」


俺は一瞬、どう名乗ろうか迷ったが、深く息を吸い、なるべく丁寧に言葉を選んだ。


「お忙しいところ、申し訳ありません。高木謙太郎と申します。」


次の瞬間、電話の向こうから驚いたような声が響いた。


「えぇっ!? あの高木さんですか?」


相手は急に親しげな口調になり、続けざまに言う。


「大丈夫ですか? 俺、武井です! 心配してたんですよー! いつ退院されたんですか?」


「一昨日だよ。」


俺がそう答えると、武井は「うわぁ、よかったぁ!」と安堵したような声を上げた。そして、慌ただしく言葉を続ける。


「ちょっと待っててくださいね! 課長に代わりますから!」


その瞬間、俺はスマホを耳に当てたまま、思わず小さく笑ってしまった。


武井は、きっと少しおっちょこちょいなやつなんだろう。


なぜかって?


それは、彼が俺の電話を保留にすることなく、受話器を押さえもしないまま、「課長、高木さんから電話入ってます!」と職場に響き渡るような大声で叫んだからだ。


その声がそのまま俺の耳に届いたのと同時に、周囲の人々のどよめきが微かに聞こえてくる。


(……俺、そんなに大ごとになってたのか?)


ざわつく人たちの声の中で、「こっちに回してくれ」と落ち着いた声が響いた。それが課長なのだろう。


ようやく、保留の音が流れ、一瞬の静寂が訪れる。


そしてすぐに、また電話がつながった。


「高木くん? 佐藤だ。」


低く穏やかながら、どこか気遣いのある声。


「大丈夫か?」


俺はスマホを握りしめたまま、少し考え込むように答えた。


「正直、まだなんです。」


「……記憶は?」


「それもダメですね。全く。」


一瞬の沈黙があった。


俺は自分の言葉を慎重に選びながら続ける。


「自分がどんな仕事をしていたのか、どんな場所で働いていたのか、少しでも思い出せるかもしれないと思って……。もしよろしければ、今日にでも会社に顔を出そうかと思ってるんです。お礼も兼ねて、挨拶に伺えたらと……。」


佐藤さんは少しの間、考えているようだったが、すぐに優しい声で言った。


「こちらはいつでも良いよ。気分転換にでも、顔を出しに来なさい。待ってるから。」


その言葉に、俺はふっと肩の力が抜けた。


「ありがとうございます。それでは、伺いますね。」


「うん、気をつけてな。」


電話を切ると、俺は少しだけ深く息を吐いた。


社員証を見つめながら、久しぶりに職場に戻ることへの不安と、それでも何かを知りたいという気持ちが混ざり合う。


俺はスマホをポケットにしまいながら、リビングのキッチンに目を向けた。


まいは、俺が電話を終えたことに気づきながらも、何も言わずに朝食の準備を続けている。


でも、その後ろ姿が、ほんの少しだけぎこちないように見えたのは……気のせいだろうか。




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