消えた記憶と愛する人の嘘 69 「甘いひととき」
澄んだ青空の下、心地よい風がそよぐ穏やかな午後。まいと謙は手を繋ぎながら公園をゆっくりと散歩し、近くのカフェに立ち寄った。窓際の席に腰を下ろし、ほのかに香るコーヒーを楽しみながら、二人は何気ない会話を交わしていた。
「もう、謙のせいだからね!」
まいはカップを手にしながら、少し頬を膨らませて拗ねたように言った。
「ん?何が?」
謙はとぼけたような顔でまいを見つめる。
「朝からあんなことするから、三崎で美味しいもの食べれなかったじゃん!」
まいはふてくされたように目を細め、じっと謙を睨む。
「ごめんよ。でも、まいだって一緒だったじゃん? すっごく嬉しそうだったくせに。」
謙はクスッと笑いながら肩をすくめた。
「ばーか、そんなことレディには言っちゃいけないんだからね!」
まいは慌てて顔を赤くしながら、ムッとした表情で指を突きつける。
謙はその様子が可愛らしくて仕方がなく、思わず微笑んだ。
「まいって、結構子供だな。」
そう言うと、まいはまた頬を膨らませ、ぷくっとした顔で反論する。
「そんなことないもーん!」
その仕草があまりにも愛らしくて、謙は思わず吹き出した。そして、そっとまいの手を撫でながら優しく囁く。
「まい、可愛いよ。」
その言葉に、まいの動きが一瞬止まる。頬がじんわりと赤くなり、恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……もう、またそうやって誤魔化すんだから!」
まいは唇を尖らせながら、照れ隠しのようにふんっとそっぽを向いた。だが、その横顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
二人の穏やかな午後は、甘い空気に包まれながら、ゆっくりと過ぎていく…
「さて、これからどうしようか?」
謙がカップを軽く揺らしながら、向かいに座るまいに尋ねると、まいは窓の外をぼんやりと眺めながら、ゆっくりとした口調で答えた。
「別に予定ないなら、このままゆっくりしようか。」
その言葉に、謙はニヤリと笑いながら、わざと少し茶化すように言う。
「ゆっくり、しようか? 何するの?」
まいは一瞬きょとんとした後、すぐに謙の意図を察して、むっとした表情を浮かべた。
「ばーか!」
照れ隠しのように口を尖らせると、くるりと顔を背けてから、いたずらっぽく微笑みながら言い放つ。
「今日はもう、何にもしないもんねぇ〜!」
謙は肩をすくめて、「ハイ、ハイ」と苦笑しながら、話題を切り替えることにした。
少し真剣な表情になり、コーヒーを一口飲んでから切り出す。
「まい、真面目な話なんだけど……俺、明日会社に行ってこようと思ってるんだよね。」
その言葉に、まいは一瞬驚いたように目を見開いた。
「明日? まだ大丈夫なんじゃない?」
少し戸惑ったような声だった。
「なんか会社のこと、気になるんだよな。」
謙はゆっくりとカップを置くと、まいの表情をうかがうように続けた。
「とりあえず、挨拶だけでもしてこようと思ってな。」
すると、まいの顔色が微かに曇った。
「まだ大丈夫だから、今は体を休めた方がいいよ。」
心配そうな声と、どこか焦ったような雰囲気。それが妙に気になった。
「まだ仕事するわけじゃないから、安心しろよ。ただ、近況報告だけでもと思って。」
謙は穏やかに微笑みながら言ったが、まいの表情はどこかぎこちない。
焦ってる? いや、気のせいか?
謙はそんな疑念を抱きながらも、深く追求することはしなかった。
ただ、何かが引っかかる。
何だろう……今……
言葉にできない、ほんのわずかな違和感。
この時点では、まだ誰も気づいていなかった。
小さな歯車が、微妙にずれ始めていることに。
それがやがて、取り返しのつかない運命が、
この先に……
それが全てを動かすことになることを……。




