消えた記憶と愛する人の嘘 54 【まいの失敗と和やかな会話】
「謙に『橘』って呼ばれるの、なんか変だな〜」
リビングに腰を落ち着けると、純一が少し眉をひそめながら笑った。
「昔みたいに『純一』でいいぞ」
そう言われても、俺にはその“昔”の記憶がない。
俺は純一のことをそう呼んでいたのか… と考えてみるが、当然ピンとこない。
何をどう聞けばいいのかもわからず、言葉に詰まっていると——
「橘さんって刑事さんなんだって! すごいね〜!」
キッチンからまいが元気な声を上げた。
俺が会話に困っているのを察して、話題を広げようとしてくれているのがわかる。
ありがたい援護射撃だった。
「どうして俺のことがわかったの?」
単純な疑問を投げかけると、純一は少しだけ表情を引き締めて答えた。
「捜査上のことだから、細かいことは勘弁な。でもな——ちょっと気になったことがあって」
そう前置きしてから、純一はゆっくりと続ける。
「最近の事故のことをいろいろ調べてたら、そこに謙の名前があったんだよ。歳も名前も一致しててさ、これってもしかして謙じゃねえか? って思ったんだ。それで昨日ここに来てみたら——奥さんが出てきて、事情を聞かせてくれたんだよな」
俺は黙って聞いていたが、やはり「奥さん」という言葉が引っかかる。
まいもそれを気にしていたのか、キッチンの奥からチラッとこちらを覗いていた。
「で、ビンゴだったからびっくりしたけど——まあでも、体はなんともなかったみたいで良かったよ」
純一がそう言って、軽く肩をすくめる。
「それに、こんな可愛い奥さんに会えたしな!」
——カシャンッ!!!
突如、乾いた音が響いた。
見ると、まいが持っていたティーカップを床に落としていた。
「あっ、やっちゃった! ご、ごめんね〜!」
まいは目を丸くし、顔を真っ赤にしながら慌ててかがみこむ。
「大丈夫、大丈夫!」
純一はすぐに笑顔で声をかけた。
しかし、まいの焦りは止まらない。
「いやいや、大丈夫じゃないよ! もう、なんで落としちゃったんだろ…!」
床に散らばった破片を手で拾おうとするまいを見て、俺は頭を抱えた。
「まい、素手で触るなって。怪我するぞ」
「うぅ…ごめん、ごめん…!」
まいは額に手を当て、心底情けなさそうにうなだれている。
可愛いと言われて嬉しさが爆発し、舞い上がってしまったのがバレバレだった。
「もう…まい、わかりやすいな」
俺は呆れたように言いながらも、つい口元が緩んでしまう。
「いやぁ、反応が可愛すぎるって」
純一は爆笑しながら、まいの様子を面白そうに眺めていた。
「ち、違います! ただ手が滑っただけで、別に…!」
まいは必死に取り繕おうとするが、顔は相変わらず真っ赤。
「はいはい、そういうことにしとくな。」
俺が言うと
純一が微笑んでいます
まいはさらに焦ったように「あぁもう!」と唇を尖らせる。
こうして、和気藹々とした雰囲気のまま、話は続いていった。




