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消えた記憶と愛する人の嘘 50 【最上階の風と、不安の影】



まいが出て行き、部屋にひとり残された俺は、何とはなしにベランダへと足を向けた。

ガラス戸を開けると、春の風が心地よく頬を撫でる。


目の前には、広がる都会の景色。

高層ビルが立ち並び、遠くには緑の公園がぽつりと見える。

車の流れも人の動きも、まるでジオラマのように静かに感じられた。


「……すげぇな」


最上階からの眺めは圧巻だ。

どこまでも広がる青空と、街を埋め尽くす建物たち。

俺はこの景色を毎日見ていたんだろうか?


なのに——


「……何も、思い出せないんだよな」


失われた記憶の中に、ここでの暮らしがあったはずなのに、今の俺には何一つピンとこない。

それでも、今こうして生きていることが不思議なくらい心地よくて、どこか幸せな気持ちだった。


まいがそばにいてくれる。

まいが笑ってくれる。


それだけで十分だと、そんなふうに思っている自分がいた。


「……事故に遭ったのって、もしかして良かったのかもな」


ふと口にした瞬間、すぐに自分の考えにハッとして、苦笑いを浮かべる。


「いや、それはないか」


記憶を失ったということは、俺の過去そのものを失ったということだ。

それが良いことなわけがない。


——昔の俺は、まいにどんなふうに接していたんだろう?


今みたいに素直だったのか? それとも……


「冷たくて、イヤな奴だったりしてな」


そんな考えが頭をよぎり、胸がざわつく。


もし俺が、まいに冷たくしていたとしたら?

それでも、まいは今こうして優しくしてくれている。


まるで、俺が変わったことを知っているみたいに。


もしかして——


「俺が素直になったから、優しくしてくれてるのか?」


それとも、ただ単に俺が記憶を失って弱ってるから優しくしてくれているのか?


そう考えた瞬間、さっきまで感じていた幸福感が、じわじわと不安に押しつぶされそうになった。


——やっぱり、記憶って大切なんだな。


「……考えすぎか」


軽く頭を振ると、少しだけ気を取り直した。

後でまいに聞いてみよう。


昔の俺は、どんなふうにまいと接していたのか——。


そう思ったちょうどその時——


「ただいま帰りました〜!」


パッと扉が開き、明るい声が響いた。


振り向くと、まいが笑顔で手をひらひらと振りながら、紙袋を片手に立っている。


「お菓子、いっぱい買ってきたよ!」


その無邪気な笑顔を見た瞬間、不安に沈みかけていた心が、ふっと温かくなるのを感じた。


「……おかえり」


俺は、自然と微笑んでいた。


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