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354 【ひとり】


まいの携帯が小さく震えた。

そっと取り出して画面を開くと、「謙」の名前が表示されていた。

一瞬、まいは動けなかった。けれど、勇気を出して、そっと受信メッセージを開く。


そこにあったのは、たったひと言。


「ごめん」


その文字を見た瞬間、何かが崩れ落ちるように、まいの目から涙があふれ出した。

言葉にならない思いが、胸の奥から静かに溢れていく。


隣にいた香が、そっと問いかけた。

「まいちゃん……なんて書いてあったの?」

優しく、でもどこかで少しだけ、希望を込めたような声だった。


まいは泣きながら、震える手で携帯の画面を香に見せた。


香はその短い言葉を見て、驚いた。

けれどすぐに、別のことにも気がついた。


あのふたり――謙さんと純一

似た者同士で、いまはそれぞれ深い闇の中にいる。

今日起きた出来事が、ふたりの心から光を奪ってしまったのだ。

2人とも前を向けなくなっている。


香はそっと息を吐いて、まいの肩に手を添えた。


「まいちゃん……謙さんに、メール出してあげて。

きっと、いま必要なのはまいちゃんの言葉なんだよ。

まいちゃんの支えが、彼にはきっと――」


まいは香の言葉に


「うん」


まいは涙を拭いながら、小さくうなずいた。

そして、静かに携帯を見つめなおした。

その瞳には、まだ涙が残っていたけれど――その奥に、謙への思いが積み重なって行った



「謙……どうして『ごめん』なの?」

まいはゆっくりと文字を打ち始める。


「謙は、いつも自分を責めすぎるよ。

でも、私はちゃんと知ってる。

謙は悪くなんかない。

だから、謝らなくていいの。大丈夫だよ。」


画面を見つめながら、まいの指は少し震えていた。

けれど、その気持ちは正直な気持ちだった。


「怪我しなくて、本当によかった。

ニュースを見て、心臓が止まりそうなくらい心配だったけど……

無事だって分かって、それだけでホッとしたよ。」


まいの目からまた一粒、涙がこぼれ落ちた。

でもその涙は、さっきまでの不安や悲しみとは少し違っていた。


「ねえ、謙。

まいはね、あなたが生きていてくれてるだけで、救われるんだよ。

本当に、本当に良かった。

……謙のこと、ちゃんと愛してるからね。」


そう打ち終えると、まいは迷いなく送信ボタンを押した。

そのメッセージには、不安も痛みも、そして愛も……

すべてが込められていた。




まだ、俺は病院の待合室のソファに腰を下ろしていた。

背もたれにもたれたまま、天井の白い光をぼんやりと見つめる。

目の前では、純一が忙しそうに医療スタッフや関係者に指示を出しながら、後処理に追われていた。


さっきまで一緒にいた鈴木さんが帰っていく姿を見送ってから、ふとまいの顔が浮かぶ。


……俺は、またまいに会えるんだろうか。

事件に関わったことを知って、もう呆れられてしまったかもしれないなぁ……

いや、そもそも――最初から、俺のことなんか……


気づけば、溜息が漏れていた。

結局、いつもこうだ。

期待して、少しだけ前に進めた気がして、そして――

裏切られて、振り出しに戻る。


……いや、違うな。

裏切られたんじゃない。

勝手に期待して、勝手に落ち込んでるだけだ。


「さて……帰るか」


そう呟いて、重たい身体を起こす。

立ち上がり、純一の方へゆっくりと歩いて行った。周りの目もあるので


「橘さん、俺……帰ります」


俺の声に気づいた純一が近づいてきて、少しだけ眉をひそめながら言った。


「謙、送っていくよ。夜道は危ないしな」


その言葉にありがたさを感じつつも、俺は首を振った。


「大丈夫です。……今は、少しだけ一人になりたいんです」


ほんの一瞬、純一が黙った。

けれど、すぐにその気持ちを汲んだように、小さく頷いてくれた。


「……わかった。でも、謙。今日は警察が周囲を警戒してるから安心しろ。

それに――さすがに今夜は、あの男も動かないはずだ」


その言葉が、少しだけ心を軽くしてくれる。


「……ありがとう」


俺は静かに礼を言い、再び夜の病院の廊下へと歩き出した。

足音が響くその中に、静かな孤独が滲んでいた。



謙にメールを送ってから、しばらく時間が経っていた。

けれど、まいの携帯に変化はなかった。

通知も、既読のマークも――何ひとつ。


胸の奥に、少しずつ、ざわざわとしたものが広がっていく。


そのとき、香がふと声をかけてきた。


「まいちゃん……謙さんから、返事は来た?」


まいは一瞬だけ香の方を見て、それからそっと首を横に振った。

手に取った携帯の画面を見つめる。そこには、まだ“既読”の表示が、無かった。


「まだ……既読になってません」


そう答えながらも、声はどこか曇っていた。

香が心配そうにまいを見つめているのを感じて、まいは少しだけ笑顔をつくった。


「きっと、謙……今、すごく忙しいんだと思います。

警察の方々も大変な状況ですし……携帯を見る余裕がないだけかもしれません」


「そっか。謙さんと純一今日は本当に大変な1日だったんだね。

まいちゃん、先にお風呂入る?」


「香さん、お先にどうぞ」


「じゃあ先入るね」


1人残った部屋にポツンと1人

心の奥では言葉にできない不安が静かに揺れていた。


――あの夜のことが、また思い出される。


北海道で、謙が撃たれた夜。

あのとき、私は謙の苦しみをちゃんと受け止めてあげられ無かった、

気づけば、あの瞬間の後悔が、今もまだ胸に残っている。

時間が経っても消えることはなく、こうしてふとした瞬間に顔を出す。


“今度こそ、大丈夫って思わせてあげたいのに”


まいは、そっと携帯を手のひらに包み込むように握った。


既読にならない画面を、ただ静かに見つめながら……

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