342 【罠に落ちた影】
冷静さを取り戻した俺は、確かな手応えを感じていた。
今朝仕掛けた罠は――間違いなく成功した。
奴の反応がすべてを物語っている。
やはり、奴は俺たちの様子をどこかから見ていた。
そして、まんまとその挑発に乗ってきた。
俺は胸ポケットからスマホを取り出し、迷わず純一に連絡を取ることにした。
すぐに状況を伝える必要がある――時間との勝負だ。
画面に向かい、指を走らせてメッセージを打ち込んだ。
⸻
「おはよう、純一。
罠がうまくいった。
今朝、奴にわざと挑発的なメールを送ったら、思った通りすぐに返信が来た。
内容から判断して、あいつは今朝の俺たちの行動を見ていた。つまり、奴は病院の敷地内――おそらく駐車場か、建物のどこかに潜んでいるはずだ。
細かいことは、直接会ったときに説明する。
とりあえず、現時点での情報はこれだ。」
⸻
送信ボタンを押した瞬間、俺は深く息を吐いた。
一歩ずつ、奴に近づいている。
焦るな。確実に、仕留めろ――そう、自分に言い聞かせながら。
純一は、書類を確認していた手を止めた。
スマホが小さく震え、机の上で光った。
謙――その名前を見た瞬間、全身に緊張が走る。
この時間に謙から来るということは、ただの挨拶ではないと直感した。
画面をタップし、すぐにメッセージを開く。
一文一文、慎重に目で追ううちに、彼の顔から表情が消えた。
おはよう、純一。
罠がうまくいった。
今朝、奴にわざと挑発的なメールを送ったら、思った通りすぐに返信が来た。
内容から判断して、あいつは今朝の俺たちの行動を見ていた。つまり、奴は病院の敷地内――おそらく駐車場か、建物のどこかに潜んでいるはずだ。
細かいことは、直接会ったときに説明する。
とりあえず、現時点での情報はこれだ。
「……やっぱりか」
小さく、だが低く呟いたその声には、静かな怒りと覚悟が滲んでいた。
純一はデスクの引き出しを開けて黒い手帳を取り出すと、何かを書き込みながら立ち上がった。
目の奥には、鋭い光が宿っていた。
「奴……病院に潜んでやがったか。……」
感情を抑えながら、スマホをポケットにしまい、ジャケットを羽織る。
「油断はできない。次は、こちらが仕掛ける番だな」
その言葉と共に、純一は静かに部屋を出た。
廊下に響く靴音が、これから始まる新たな局面を予感させていた。
フロアの向かい側にいた篤志を目で探した。
「篤志、ちょっと来てくれ」
呼ばれた篤志がすぐにこちらへ歩いてくる。純一は低い声で手短に伝えた。
「高木さんから情報が入った。杉田、あいつ……多分、今朝あの病院にいた可能性が高い」
「……! 病院って、例の高木さんの職場の?」
「ああ。高木さんが送ったメールに即座に反応があったらしい。しかも内容からして、奴は高木さんたちの動きを”見ていた”節がある」
篤志の表情が一気に引き締まる。
「じゃあ、今も……まだ近くに潜んでるかもってことですか?」
「断定はできないが、可能性はある。重要なのは、杉田が反応したという事実だ。今のところ、高木さんの仕掛けが成功したのは間違いない。動くなら今しかない」
まずは俺たちで確認できる範囲の情報を整理しよう。病院の警備と連携を取れるルート、監視カメラの設置位置、職員の出入り記録……それらのチェックを優先的に回してくれ」
「了解しました。人員の配置も、本部に正式に要請する前に、こっちで一度プランを立ててみます」
「頼む。まだ杉田の姿を直接見た者はいない。俺たちの憶測を確信に変える材料が必要だ。決定的な一手を打つためにな」
篤志は黙ってうなずき、すぐに端末に向かって作業を始めた。
部屋には、一瞬だけ静寂が流れる。
だがその沈黙の奥では、確実に捜査が動き出していた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俺は、キーボードに手を置きながら深く息を吐いた。
目の前の画面には、変わり映えのしない数字の羅列。
毎日同じ作業──単調で退屈なはずなのに、今日は妙に落ち着く。
手は勝手に動き、数字を淡々と打ち込んでいく。だが、頭の中では別の戦場が広がっていた。
杉田のことが、ずっと離れない。
怒りはまだ燻っている。
けれど、あのメールを読み返すたびに──それを押し殺す感覚が、むしろ心地よくすら思えた。
前とは違う。
今は俺が”手綱”を握っている。
奴はそれに気づいていない。いや──気づけるはずもない。
あの嘲笑するような文面……あれは、まだ自分が優位に立っていると信じている者の文章だ。
その無自覚さが、なんとも哀れだ。
午後になれば、純一たちが動き出すだろう。
捜査本部が静かに牙を剥きはじめる。
その時、奴は何を思うだろう。
不意に背後から名を呼ばれたような、あの瞬間のぞっとするような感覚を──奴は味わうことになる。
だが、そこで気づいたとしても……もう遅い。
罠は張った。準備は整った。
あとは獲物が捕らえられるのを待つだけだ。
終わる。
すべてが、これで終わる。
「……THE END、か」
思わず口元がわずかに緩んだ。
それは喜びというよりも、冷たい確信の笑みだった。
自分でも気づかぬうちに、ふとした拍子に”別の顔”が表に出る。
静かに、そして確実に──決着のときが近づいていた。




