334 【優しい誘いと怖い視線】
駅のホームに着いたところで、俺たちは武井と別れた。
彼はどこか名残惜しそうな顔をしながら、鈴木さんに向かって念を押すように言った。
「鈴木さん、あの……絶対に、合コンよろしくお願いしますね。ほんと、お願いします」
頭を下げる姿は真剣そのものだった。
俺と鈴木さんは思わず笑ってしまいながら手を振り、ホームを離れた。
行き先が同じ方向だったため、俺と鈴木さんはそのまま並んで電車に乗り込んだ。
座席に腰を下ろすと、車内には程よい静けさが漂っていた。
揺れる電車の中で、仕事のことや病院の配置替えのこと、ちょっとした日常の話をしながら時間が過ぎていった。
ふとした間に、鈴木さんがぽつりとつぶやいた。
「高木さん、さっきの……嘘なんです」
唐突な言葉に、俺はきょとんとした顔で訊き返す。
「え? 何が?」
彼女は少し恥ずかしそうに目をそらしながら答えた。
「彼氏がいるって、あれ……あれ嘘です」
「あ、そうなんだ」
俺は軽く頷いたが、正直それを言われてもどう返していいかわからなかった。
だから、あえて何も掘り下げなかった。
鈴木さんは少し笑って言った。
「高木さんは、やっぱり……彼女さんオンリーって感じですよね」
「まあ……ね」
そう答えながら、俺はまだどこか彼女の真意を掴みかねていた。
冗談なのか、本気なのか……でも、彼女の目はどこかまっすぐだった。
話題を変えるように、俺は住んでる場所を訊いてみた。
「鈴木さんって、どの辺に住んでるの?」
「巣鴨なんですよ〜」
彼女はちょっと照れくさそうに笑いながら答えた。
「ああ、巣鴨。いいとこだよね。とげぬき地蔵とか」
「えっ? 知ってるんですか?」
嬉しそうに訊いてきたので、俺は笑いながら頷いた。
「この前、行ってきたよ。人が多かったけど、いい雰囲気だったな」
「うれしいなぁ〜。巣鴨って、なんか地味って言われがちですけど、落ち着いてて住みやすいんです」
そんなふうにして、電車の揺れに身を任せながら、心地よい会話が続いていった。
やがて、彼女が少し真剣な顔になって俺に向き直った。
「高木さん……いつか池袋でもいいんで、飲みに行きましょうよ。
高木さんって、一緒に話してるとすごく楽しいし……絶対、彼女さんには迷惑かけませんから。いいですか?」
その目は冗談とも、本気ともつかない――けれどまじめなものだった。
「いいよ。でも……ちょっと待ってくれるかな」
俺は少し迷いながらも、はっきりとそう答えた。
「落ち着いたら、必ず約束守るから。それでもいいかな?」
鈴木さんは柔らかく微笑みながら、うんと頷いた。
「大丈夫です。……高木さん、約束ですよ?」
「はい、わかりました」
そうして、電車は池袋に到着した。
俺たちは改札の前で立ち止まり、軽く会釈を交わした。
「じゃあ……また明日よろしくお願います」
「はい。また病院で」
彼女はそう言って、人混みの中に消えていった。
気づけば、俺はその後ろ姿をしばらく見送っていた。
だが、その和やかな様子を――許せないと、感じていた奴がいた。
笑い合い、並んで歩くその姿が、どうしても目にさわる。
楽しそうな空気が、耳障りだった。
あの男――高木謙太郎の隣にいる女の笑顔と男の笑顔が憎らしく思えた。
気づかれることなく、その視線は静かに、鋭く追っていた。
姿こそ見えぬが、確かに奴はそこにいた。
謙はまだ知らない。
自分の携帯に再び“あのメール”が届くことになることを……




