321 【信じる理由、たった1通の力】
低く小さな振動音が、枕元から響いてきた。
俺はぼんやりとまぶたを開けて、ゆっくりと手を伸ばし、携帯を取った。
時計を見ると、まだ7時にもなっていなかった。
こんな時間に誰だろうと画面を見ると、「まい」の名前があった。
寝ぼけた頭でロックを解除し、届いたメッセージを開く。
⸻
「おはよう。もう起きてる?
でもまだ寝てそうだね。
昨日は楽しかったね。
今夜もメールしたいね。
朝ごはんちゃんと食べないと許しませんからねwww
早く会いたいね。
じゃあ、またね、仕事頑張って!
バイバイ」
⸻
読み終えた瞬間、胸の奥にほんのりとした温かさが広がった。
彼女らしい、少しおせっかいで、でもそれ以上に愛しさの詰まったメッセージ。
なんでもない言葉の連なりなのに、こんなにも心が救われるとは思っていなかった。
自然と、昨夜の自分の姿が頭に浮かんできた。
疑っていた。
まいのことを……一瞬でも。
「もしかして」と思った。
まいが裏切った可能性を、ほんのわずかでも考えた自分がいた。
けれど、こうして届いた朝のメールを目の前にして思う。
——まいが、そんなことをするはずがない。
彼女の声が、口調が、タイミングが、どれもこれも“いつものまい”そのままで。
裏切りや策略なんて、これっぽっちも感じさせない。
俺は、酔っていたのかもしれない。
疑いという名の不安に、自分自身を飲み込まれそうになっていただけだ。
——バカだな、俺。
そう、自然とつぶやいていた。
まいを信じることが、こんなにも自然で、こんなにも正しいと、今ならはっきりとわかる。
あの優しさに、あの笑顔に、あの温もりに嘘なんてあるはずがない。
信じるべき人は、最初からずっと決まっていた。
もし内通者がいるのだとしたら、それはまいじゃない。
他にいる。必ずどこかに。
ならば――そいつを見つけ出せばいい。それだけのことだ。
一晩経って、気持ちはずいぶんと落ち着いていた。
心の中に残っていた黒い靄が、まるで霧が晴れるように、ゆっくりと消えていくのがわかる。
それもこれも、まいの何気ない、たった一通の朝のメールのおかげだった。
彼女の言葉が、心の中に小さな光を灯してくれた。
信じるって、こういうことなんだな――
そう噛み締めながら、俺はそっと画面を閉じた。
新しい一日が、少しだけ明るく見えた。
「……さて、起きるか」
そうつぶやきながら、俺はゆっくりと身体を起こした。
目覚ましのアラームよりも早い起床だったが、体は驚くほど軽く感じた。
きっと、まいからの朝のメールに背中を押されたからだろう。
ベッドの縁に腰を下ろしながら、ふと、昨夜の出来事を思い返す。
純一と夜遅くまで話し込み、不安と疑念に押しつぶされそうになった時間。
そして、心のバランスを何とか取り戻せた、たった一通のメール。
台所に立ち、いつものようにコーヒーを淹れた。
朝の静けさと、香ばしい香りがゆっくりと広がる。
その瞬間、ふと思い出したのは「まいにLINEを送ろう」ということだった。
スマートフォンを手に取り、画面を開く。
どんな言葉を送れば、今の自分の気持ちを素直に伝えられるだろう。
嘘や強がりではなく、ただまいに“ありがとう”と伝えたい。
そして、俺は指を動かしながら、こう打ち込んだ。
⸻
「おはよう。まいのメールで起きたよ。
昨夜は純一が終電ギリギリまでうちにいて、いろいろ話をしてた。
でもまいと――というか、4人でのグループLINEはあっという間だったな。
すごく楽しかった。ああいう時間が、今の自分にとってすごく救いになる。
それにこのメールもね。
早くまた、普通の生活に戻りたいって、心から思ったよ。
そして、まいの朝食……早く食べたいよ。
そんな事考えながら仕事頑張ってくるよ。またメールする。行ってきます。」
⸻
文章を読み返して、指先で「送信」のタップを押した。
それはただの日常のやり取りのはずなのに、俺の中では、特別な意味を持っていた。
“信じる”ということの第一歩。
疑いではなく、絆に目を向けること。
それを、言葉にできたような気がした。
スマホを机の上に置くと、俺は深く息を吐いた。
「――さて、切り替えよう」
心の中でそっと、そうつぶやく。
昨夜の不安は、まだ完全に消えたわけじゃない。
でもそれでも、俺は信じる。
彼女の優しさも、まっすぐな笑顔も、俺を支えてくれるあの声も。
疑う理由なんて、どこにもない。
彼女は、俺に元気をくれる。
だから俺は、信じる。まいを。4人の仲間を。
そして――俺自身の選んだ“信じる覚悟”を。
温かいコーヒーの湯気が、窓から差し込む朝の光に溶けていく。
新しい一日が、始まろうとしていた。




