317 【ピンポンと、ピロンの夜】
「ピンポーン」
静かな部屋に、玄関のチャイムが響いた。
謙は立ち上がり、ゆっくりと玄関へ向かった。扉を開けると、そこには笑顔の純一が立っていた。
「よう、謙」
その手には、ぎゅうぎゅうに詰まったデパ地下の買い物袋がいくつもぶら下がっていた。両手どころか、片腕にもう一袋ぶら下がっていて、袋の重さに肩が少し沈んでいるのが見て取れた。
「おいおい、純一……2人分にしては多すぎだろ。そんなに買ってどうすんだよ。食べきれないぞ?」
謙が呆れたように笑うと、純一は得意げに返した。
「大丈夫、大丈夫。足りないより、余った方が気が楽だろ? どうせなら、今日は腹いっぱい食って語ろうぜ」
そう言いながら部屋に入ってきた純一は、ずしりと重そうな買い物袋をダイニングテーブルの上に並べた。袋の取っ手をようやく手から外すと、ふぅっと息をついて肩を軽く回した。
「……いやぁ、さすがに重かったわ」
「そりゃそうだよ。見ただけでわかるって。こんなに買い込んできて……」
謙も苦笑しながら、テーブルの上の袋をちらりと見た。中には寿司の詰め合わせ、唐揚げ、サラダ、ローストビーフ、チーズにデザートまで、まるで小さなパーティーのように揃っていた。
「これ、結構かかったろ?半分は俺も出すからさ」
謙が真面目な顔で言うと、純一は少し照れ臭そうに笑いながら、軽く頷いた。
「まぁな。けど、たまにはこんなのも悪くないだろ。今日は“寂しい男たちの会”なんだから、せめて食べ物くらい豪華にいこうぜ」
2人は思わず顔を見合わせて笑い合った。
不器用ながらも、こうして互いを思い合える関係が、今の謙にとってはなにより心強かった。
「純一、この食材の山、写真に撮って香さんたちに送ってみるか?どんな反応するか気になるな」
俺が冗談交じりに笑いながら言うと、純一もすぐにノッてきた。
「そうしてみっか。俺も香の反応見てみたいしな。きっと笑うぞ、いや呆れるかもな」
純一が苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
俺はさっそくスマホを取り出し、カメラを構えた。まずは買い物袋の全体像をパシャリ。これでもかというくらい膨れ上がった袋の数々が、テーブルの上に並んでいる。写真だけでも、純一の買いすぎ感がしっかり伝わる。
「よし、これで純一の“買いすぎっぷり”をしっかりアピールできるな」
俺が笑いながらそう言うと、純一は少し顔をしかめて言った。
「謙、それ送ったら香にドン引きされるかもな……こんなに食えんのかって」
「はは、でもこういうのって、楽しんでる雰囲気が伝わればいいんだよ。写真って、空気も一緒に写るだろ?」
俺はそう言いながら、角度を変えて何枚もシャッターを切った。思わず笑いがこみ上げる。男2人、真剣にデパ地下パーティーの準備をしてるなんて、誰が想像するだろう。
「さて……今度は袋の中身を並べるか。せっかくだし、ちゃんとセッティングして“パーティー風”に見せようぜ」
俺がそう言って手を動かし始めると、純一も黙って手伝い始めた。唐揚げに寿司、サラダに惣菜……次々とテーブルに並んでいくごちそうたち。
ただの夜に、少しだけ特別な空気が流れはじめていた。
「とりあえず袋の写真、まいに送ってみるよ。どんな反応するか見てみようぜ」
俺がスマホを構えながらそう言うと、純一がニヤリと笑ってうなずいた。
「よし、それ楽しみだな。香もどうせ“またやってるよ、この人たち”って笑うと思う」
俺は数枚撮った写真を選びながら、メッセージを打ち込んだ。
『まい、純一がこんなに食材買ってきた。2人しかいないのに、この量。俺も買いすぎるってよく言われるけど、俺より上手がここにいたよ……』
そんな軽口を添えて、買い物袋の写真を何枚か一緒に送信した。
指先が送信ボタンを押すとき、なぜか少しだけ胸が躍った。
一方その頃——
まいの携帯がテーブルの上で軽やかに振動した。
その音に気づいた香が、特に何も言わず、ただ目を細めて「ほらね」というようにうなずく。まいもすぐにそれが謙からだと察し、恥ずかしそうに微笑みながら携帯を手に取った。
画面を開いた瞬間、まいは思わず吹き出した。堪えきれない笑いが込み上げてきて、声が漏れてしまう。
「どうしたの?」と香が顔をのぞかせると、まいはスマホをそのまま香に差し出した。
香も画面を覗き込んで、次の瞬間には声をあげて笑い出した。
「なにこれ、ほんとあの2人、何にも考えてないバカだねぇ。いい意味で!」
まいもお腹を抱えながら、「謙もいつも買いすぎるって私が注意するんですけど……純一さんも同じタイプだったんですね」と笑顔で答える。
香は笑いながらも、どこか呆れた表情で言った。
「ほら、やっぱり奴らの金銭感覚、絶対ズレてるって。だから私たちがしっかりしないとね。見てて危なっかしいたらありゃしない!」
まいはうん、うんと楽しそうに頷きながら、
「香さんも、純一さんにメールしてみてくださいよ。なんか4人が一緒につながってる感じがして、嬉しいし楽しいです」
そう言うと、香は一瞬考えてから笑って提案した。
「それなら、いっそグループLINE作っちゃおうか。どうせこれからもこういうことありそうだし」
「それ、いいですね!」
まいの瞳が嬉しそうに輝いた。
「でも……男たち、ちゃんとグループLINE参加出来るかなぁ〜」
「うーん……そこが一番の問題ですね」
2人は顔を見合わせて、また一緒に笑った。
たった一通のメッセージ。
でもそれはただのやり取りではなく、離れた場所にいる4人の心を、ふんわりと繋げてくれら予感がした。
笑顔とぬくもりがじわじわと広がる——
そんなささやかな幸せの時間が、ゆっくりと流れていた。
メッセージを打ち終えたあと、送信ボタンをタップしたまいは、少し満足そうな顔を浮かべた。
その様子を見ていた香が、ほほえみながら声をかけた。
「どう?送った?」
「はい。今送りました。けど……謙、ちゃんとグループLINEに気づいてくれるかなぁ?」
まいが不安げに言うと、香は肩をすくめながら言った。
「うーん……それはなんとも言えないね。
とりあえず、私も純一にグループのこと、送ってみるよ」
「お願いします。なんだかんだ言って、純一さんの方がこういうの詳しそうじゃないですか?」
まいの言葉に、香は「ふふっ」と小さく笑ってから、少し首をかしげて答えた。
「いやぁ……それがね、意外とあいつも全然ダメなんだよ。スマホの機能とか、LINEの使い方とか、説明しても“へぇ〜”って流すだけで、結局わかってないの」
「えっ、そうなんですか?意外すぎて笑っちゃいます」
まいは驚いた顔をしながら、自然と笑みをこぼした。
「もう、ほんと似た者夫婦になるかもしれないね」
「ほんと、それも困りますよねえ……」
そう言いながら2人は顔を見合わせて、再び声を上げて笑い出した。
部屋の中は、携帯画面から生まれたあたたかな笑い声で包まれていた。
そこからさらに4人の時間へと広がっていこうとしていた。
謙はソファにもたれかかりながら、携帯の画面を見つめていた。
そこにはまいからの返信が届いていて、彼女らしい優しさと、くすっと笑えるような軽快さが込められていた。
自然と口元が緩み、思わず微笑んでしまう。
その様子に気づいた純一が、手にしていた缶ビールをテーブルに置いて言った。
「……なんだよ、にやけて。なんて来たんだ?」
謙は画面から目を離さずに、肩をすくめて答える。
「うーん……“似たもの同士だね”って。
明らかに呆れてる感じだけど、まぁ、楽しんでくれてるっぽい。
でも文面の向こうで笑ってるのが伝わってくる。ちょっとホッとしたよ」
「ぷはっ」と純一は吹き出して笑った。
「だろうな。そりゃ呆れられて当然だよ、あの量の惣菜だもんな」
謙もつられて笑いながら、ふと思い出したように言った。
「なぁ、純一。グループLINEって知ってる?」
「……うん、なんとなくだけど。使ったことは……あんまりないけど」
「だよな。俺も正直、まいに“分かる?”って聞かれてちょっとビビった」
「男ってそういうとこ弱いよなぁ」と純一が頭をかきながら言ったその時だった。
――ピロン。
純一の携帯がテーブルの上で振動した。画面には「香」の名前が表示されている。
「お、来た……やっぱ香からだわ」
純一は画面を開いて、すぐに吹き出した。
思わずその場で声を上げて笑ってしまう。
「なんて書いてあった?」と謙が少し身を乗り出して尋ねると、純一はそのまま読み上げた。
「“あんた達何やってんのwww
謙さんのメール、まいから見せてもらったけど、大笑いしたよ。
ほんと、男2人でなに張り切ってんのって感じ。
グループLINE、純一わかる?とりあえず今招待するから、ちゃんと繋いでね!”……だってさ」
純一はメールを読み終えると、苦笑いを浮かべながら謙の方を見て言った。
「どうやら俺たち、完全に“子供組”扱いされてるみたいだな」
「まぁ……間違ってないかもな」と謙も苦笑しながら頷いた。
けれど、そのどこか呆れたような、でも温かいメッセージのやり取りに、2人とも心がほぐれていくのを感じていた。
気づけば、部屋の空気が少し柔らかくなり、会話の中に自然と笑いが混じるようになっていた。
画面越しに繋がる4人の空気が、少しずつ一つになっていく。
たった一通のメッセージが、そんな優しい時間を作り出していた。




