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308 【仮説の先の新たな疑問】


これまでとは違い、捜査本部の体制が整い、関係者も増えてきた。その影響で、橘と栗原は現場を駆け回る側から、部下に指示を出す立場へと自然に役割が移っていた。


杉田の行方に関する捜査も、すでに別の捜査班が担当してくれている。そして、各病院への聞き取りや資料の押収なども、ほかの刑事たちの手で着実に進められていた。


「篤志、今日はもう帰るか」


ふと純一が声をかけると、栗原は少し驚いたように目を瞬かせた。


「えっ、大丈夫なんですか?」


「俺たちは、またいつ呼び出されるかわからない。捜査がどこでどう動くか次第だからな。だからこそ、今のうちにしっかり休んでおいた方がいい。今日はもう、あがろう」


「……はい。わかりました」


栗原は少し照れくさそうに笑い、ぼそりとつぶやいた。


「なんか……ちょっと偉くなった気分ですね」


その言葉に、純一は思わずくすりと笑った。若い刑事の素直な反応に、どこか温かい気持ちがこみ上げる。こういう時間も、悪くない――そう思いながら、純一はゆっくりとデスクの上を片付け始めた。




ふとした静けさのなかで、橘が思い出したように口を開いた。


「そういえばさ、篤志の彼女のお父さん……たしか、すごく厳格な人だったよな。あれから、どうなった?」


栗原は苦笑いを浮かべながら、少し肩をすくめた。


「ええ、相変わらずです。なかなか会えないんですよ、まともに」


「……まさか、隠れて会ってるのか?」


「はい。でも、いずれはちゃんと……橘さんに言われた通り、きちんとご挨拶しようと思ってます。ただ――」


一瞬だけ言葉を止め、栗原は少しだけ視線を落とす。


「律子が、父親が傷つくんじゃないかって……それをすごく心配していて。まだ踏み出せないんです」


橘はしばらく黙って聞いていたが、ゆっくりと穏やかな声で応じた。


「……そこか。きっとな、りっちゃんのこと、大事に育ててきたんだと思うよ。だからなおさら、自分の手を離れていくのが寂しいんだろうな」


その口調には、どこか父親のような優しさがにじんでいた。


「橘さん……なんか、今日やけに優しいですね。何か、ありました?」


栗原が不思議そうに問いかけると、橘はふっと笑い、視線を遠くに向けた。


「いや……別に、なんにもないさ。ただ、なんとなくな」


それだけを言い残して、橘は静かに立ち上がった。彼の背中はどこか遠くを見つめているようで、栗原はそれ以上、何も聞けなかった。


「橘さんではお先に失礼します。」


そう言って篤志は出て行った。  


1人残った純一は、佐藤から聞いた事を考えていた。


もしも――謙と麗子さんが、本当に付き合っていたのだとしたら。


その関係は、まるで篤志と律子のように、周囲に知られることを避けていたのかもしれない。特に、彼女の父親の存在を気にして――きっと彼らは人目を忍び、ひっそりと密会を重ねていたのだろう。


誰にも明かせない想い。それでも惹かれ合ってしまったふたり。


だが、その静かな関係を壊したのが杉田だった。


杉田は、そんな事情など知らぬまま、麗子に言い寄ってきた。彼なりに本気だったのか、それとも軽い気持ちだったのかはわからない。ただ一つ確かなのは、謙にとっては耐えがたい行為だったということだ。


謙と杉田の間に、激しい言い争いがあった。もしかすると、殴り合いになった可能性すらある。そこからふたりの関係は決定的に崩れ、深い因縁へと変わっていった。


――これが、すべての始まりだったのだろうか。


純一はそんな仮説を胸に抱きながら、次の瞬間ふと、別の疑問に突き当たる。


「でも……まいちゃんは?」


その存在が、すべての出来事に影のように寄り添っていた。謎を解く鍵のようにも、あるいは、新たな謎そのもののようにも思えた。


一つの真実に近づくたびに、また別の問いが立ち上がる。物語は、まだ終わっていなかった。


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