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304 【急展開】


今朝未明に発生した不審火による火災、そして湯川に対する殺人未遂事件。さらに、先日発覚した荒川での殺人事件。

それらに加え、これまで続いていた一連の不可解な交通事故――。

これらの事件に明確な関連性が見え始めた今、ついに警察は本格的な動きを見せた。


刑事部の関川係長は、現場から上がってきた捜査情報をまとめ、すぐに上層部と直接掛け合いを行った。

そしてその迅速な働きかけにより、これらすべての事件を一括して扱うための特別捜査本部が、正式に立ち上がることとなったのである。


複数の事件が個別のものとして処理されていたこれまでの状況から一転し、警察はようやく「背後に共通するひとつの影」を強く意識し始めた。

犯人の正体に迫るため、そして再び被害者を出さないために――捜査は、新たな局面に突入しようとしていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



湯川に対する本格的な取り調べが始まった。

部屋には緊張が張り詰め、橘と篤志は一言一句を聞き漏らすまいと真剣な表情で向き合っていた。


橘は最初、湯川が依頼を受けて動いた“計画的な加害者”だと踏んでいた。

背後に何者かがいるとしても、湯川自身が積極的に関与していた――そう思っていた。


だが、湯川の話が進むにつれて、事態は思っていた以上に深く、そして陰惨なものへと変貌していった。


「……名前も、連絡先も、何も知らないんです。顔も……はっきりとは」


湯川の声は震えていた。

その男から何かを強要された形跡もなければ、暴力があった様子もない。

それでも、彼は言われた通りに動いていた。


理由はひとつ。

「借金を肩代わりする」と言われたから――それだけだった。


橘は内心、想定の範囲内だと冷静に受け止めていた。

だが、その後に語られた内容は、彼らの予想をはるかに超える衝撃だった。


「……あの日の事故……車を運転していたのは、僕じゃないんです」

「え?」

「僕の車を使って、その男が運転していました。僕は助手席にいました。……人をはねた瞬間、すぐに言われたんです。『降りて運転席に座れ』って。……それで、僕が通報していた」


その言葉に、場の空気が一瞬止まった。


橘と篤志が顔を見合わせる。


事故当日、過失致死として警察に出頭した湯川。

だが実際にハンドルを握っていたのは、別人だった。

その人物は、人をはねた瞬間、まるで用意されていたかのように湯川と入れ替わり、姿を消した――


要するに、犯人Aは“ひき逃げ犯”という役を他人に演じさせ、その見返りとして多額の借金を肩代わりしてやっていた。

実行犯となる者にとっては、刑罰は重くないと計算済みだったのだ。執行猶予がつく可能性もあるし、初犯であれば大きな問題にならない──そう踏んでいた。


すべては周到に練られた計画だった。

犯人Aは、弱みを握りやすい人間を選び、金銭的に追い詰められた者たちに“事故”を演じさせる。そしてその裏で、自分の目的を少しずつ達成していく。


この歪んだ計画を、井上は、よくをかいて……

いずれにせよ、井上はそれを「ネタ」として利用しようとした。

犯人Aに対して、金を要求したのか。

黙っている代わりに金を求めた……。 


結果、犯人Aにとって井上の存在は“リスク”になった。

そして──井上は殺された。


「湯川、本当にいろいろ教えてくれて、ありがとう」

橘は静かな声で言った。

「お前のおかげで、これまで解けなかったいくつもの謎が、ようやくつながりはじめた。…お前の協力がなければ、ここまでたどり着けなかったよ」


湯川は俯きながら、しばらく黙っていた。

やがて、かすれた声で言葉を返した。


「そんな…俺なんか、大したことしてないですよ。むしろ、刑事さんが助けてくれなかったら……俺、きっとあのまま死んでたと思う」

湯川の声には震えが混じっていた。

「俺、ちゃんと罪を償います。逃げません。…時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと真面目に働いて、きれいになって、まっとうに生き直します」


そこでふと顔を上げ、橘をまっすぐに見つめる。

「だからいつか、その時が来たら……もう一度、刑事さんに会いに行きます。胸張って、自分の足で……」


言い終えるころには、湯川の目から涙がこぼれていた。

それでも彼の表情には、ほんのわずかだが、前を向こうとする意思が宿っていた。


「湯川はお前、犯人隠避の可能性があるな」


橘が静かに口を開いた。


「だが、過失致死の罪は見直されるかもしれない。真実を話してくれてありがとう、湯川。今後の裁判では、協力できることがあれば必ず力になるからな、その時はオレを呼べな。」


それは刑事としての言葉であり、ひとりの人間としての誠意でもあった。


湯川は、俯いたまま机に額を押しつけ、肩を震わせて泣いていた。

小さく絞り出すような嗚咽が、取り調べ室に静かに響いていた。


自らが犯した罪、そして追い込まれた状況。

それでも、今はようやく正直に語れたという安堵が、湯川の涙の中にはあった。


橘と篤志は、何も言わずにその姿を見守っていた。

この男は加害者でありながら、被害者でもあった――

そしてこの事件は、まだ終わっていない。核心に潜む“あの男”に、たどり着かなければならないと感じていた……



取り調べ室のドアが静かに閉まると、橘は少し歩を進め、隣を歩く篤志に声をかけた。


「篤志、捜査課の誰かに連絡してくれ。藤村さくらの保護と、その後の事情聴取を頼みたい」


その言葉に篤志は小さく頷きながらも、どこか不思議そうな表情を浮かべた。

「俺たちじゃなくていいんですか?」


橘は小さく笑いながら肩をすくめるように言った。

「いいんだよ。俺たちは、もう課長から認められてる。責任を持って判断して、動かせる立場なんだから、できる限り人を使っていくべきだ」

そして少し表情を引き締めた。

「俺たちには他にやらなきゃならないことがある。今は、それに集中しよう」


その言葉に篤志は少し驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと笑みを浮かべた。

「なんか……すげぇっすね」

尊敬と誇らしさがにじんだその声は、素直な感情そのものだった。


橘はその横顔を一瞥しながら、無言で前を見据えて歩を進めていった。





橘と篤志が取り調べ室から戻ると、すでに捜査本部には新たな情報が集まり始めていた。

室内の空気が明らかに張り詰めている。誰もが次の一手を見据えて動き出していた。


刑事の一人が橘に近づき、抑えた声で報告する。


「橘さん、男の身元が判明しました。現場から逃走した後、例の“白いワーゲン”の所有者を割り出しました。登録されていたのは、ワカール製薬に勤める人物です」


橘と篤志が思わず顔を見合わせる。


「ワカール製薬……!」


「はい。ただし、本人は本日、無断欠勤しているとのことです。連絡も一切つかず、社内でも所在不明です」


その言葉に橘の眉がわずかに動いた。


「名前は?」


杉田鉄也すぎた てつや、38歳。住所は練馬区豊玉北6丁目 日向マンション102号室。白いワーゲンは本人名義の車で間違いありません」


刑事は資料のコピーを橘に手渡す。


さらに驚くべきことに、杉田はかつて豊島総合病院で医療関係の仕事に就いていたという情報も浮かび上がっていた。


「橘さん、これで病院とのつながりも……」


「……完全に繋がったな」


橘は書類を静かに握りしめながら呟いた。


白いワーゲン、ワカール製薬、そして豊島総合病院――

それぞれ点だった情報が、ようやく一本の線になりはじめていた。


「篤志、杉田鉄也……この男が鍵だ。」


その時、すでに橘の目は、次の現場――日向マンションを見据えていた。

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