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302 【震える夜に差し込んだ光】


湯川のマンションの下には、すでに警察車両が何台も集まり、赤と青の回転灯が深夜の住宅街を不気味に照らしていた。

近隣住民たちが騒然とする中、警官たちが「下がってください!」「こちらには近づかないで!」と繰り返し叫び、現場を封鎖しようと奔走している。

深夜とは思えないほどの人だかりに、街全体が一瞬にして騒然となっていた。


そんな喧騒をよそに、橘と篤志は湯川の部屋の中で、しばし静かに腰を下ろしていた。

足元には、割れた窓ガラスの破片が散乱し、男との格闘の余韻が部屋の空気にまだ残っている。

しかしその中で、橘たちは確かに――ほんの少しだけ、安堵の息を吐いていた。


湯川が無事だったのだ。


彼はソファの端に座り、震える指でペットボトルの水を握りしめていた。

目はどこか虚ろで、まだ現実が受け止めきれていない様子だった。

手は微かに震え、喉は乾いているはずなのに、水を飲むこともできずにいた。


「……怖かったんです」


ようやく絞り出すような声で、湯川が口を開いた。


「このまま誰にも気づかれず、殺されるんじゃないかって……そう思った瞬間、身体がまったく動かなかった」


目に浮かんだ涙を拭おうとするものの、手が言うことをきかない。

その姿に、橘も篤志も、言葉を飲み込むしかなかった。

この男が、どれほどの恐怖の中にいたのか――それは、彼の表情が何よりも物語っていた。


「……助けてくれて、本当に、ありがとうございます」


そう言った湯川の声は、かすれていたが、はっきりと届いた。


橘は優しく答えた。


「わかった。朝になったら、ゆっくり話そう。それまでは……少し休め」


湯川は黙って頷いた。


橘たちは、彼の様子をしばらく見守っていた。

窓の外では、まだ騒ぎが続いていたが――室内には、ようやく少しだけ、落ち着いた空気が流れ始めていた。



朝――。

窓の外がほんのりと白んできて、夜の闇が少しずつ退いていくのがわかった。

それはまるで、長く続いた不安な時間がようやく終わりを迎えようとしているような、そんな静かな始まりだった。


橘と篤志は、まだ不安の色を拭えない湯川のそばに静かに座っていた。

湯川は結局、一睡もできなかった。

事件の記憶、襲われた恐怖、そして命の危機――。それらが頭の中で渦を巻き、眠るどころか、まぶたを閉じることすらできなかったのだ。


橘はそんな湯川の顔をじっと見つめ、静かに声をかけた。


「大丈夫か?……ずっと起きてたみたいだな」


湯川は無理に笑みを作り、かすれた声で答える。


「……大丈夫です。刑事さん……」


その言葉に橘は柔らかな笑みを浮かべ、首を横に振った。


「刑事さんじゃなくて、橘でいいよ。……今日は、そういう日だ」


それは気取らない優しさだった。

昨夜、恐怖で怯えていた湯川の姿に、橘はある人の面影を重ねていた。

――きっと、まいちゃんま同じように震えていたんだろう。

だからこそ、橘は“刑事”ではなく、“橘”としてそこにいた。


湯川はその一言に救われたように、静かにうなずいた。

そして、少しだけ深く呼吸をし、目をまっすぐ橘に向ける。


「……橘さん。今日、全部お話しします。今まで隠していたこと……もう隠しません」


その瞳には、夜の恐怖を越えた覚悟が宿っていた。


橘は頷くと、そっと湯川の肩に手を置いた。


「ありがとう。話してくれるって、それだけで十分だ」


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