300 【火の海に消えた声】
橘の運転する捜査車両は、けたたましいサイレンを響かせながら夜の住宅街を疾走していた。
闇に包まれた街並みが、赤の光に不規則に照らされていく。
助手席の篤志が、カーナビの画面と携帯を交互に見ながら声を張った。
「橘さん、丸山喋りません。でも、電話は繋いでおきます。」
「あぁ、いいから話しかけろ。名前でもいいから呼び続けろ」
「はい、丸山!!返事しろー!丸山!!丸山!!」
篤志は一瞬ナビを見て
「橘さん、もう少しです! あそこの信号を左に曲がれば、あとは一直線で丸山の家です!」
「よし、わかった!」
それからも篤志は叫び続けた
橘はスピードを落とさず、前方の信号を見据える。
だが、次の瞬間――その交差点の向こうから、1台の車がこちらに向かってきた。
「……あれは……!」
橘の目が鋭く光った。ヘッドライトに照らされて浮かび上がった車体は、間違いなくあの白いワーゲンだった。
先日、あの夜に見た車。そして何かを知っている男が乗っていたはずの――。
橘は一瞬、ブレーキに足をかけかけた。
この車を止めるべきか?
いや、それよりも――。
(今は丸山だ。あいつが“殺される”って叫んでいた……助けを求めてたんだ。後回しにはできねぇ!)
葛藤の末、橘はアクセルを緩めず、白いワーゲンの横をすれ違った。
その一瞬、運転席に座る男の目が、こちらをまっすぐ見ていた。まるであざ笑うように、含み笑いを浮かべながら。
(……やばいかもしれない。あいつ、何か仕掛けてる――!)
橘は気配を感じ取った。そして――。
交差点を左折した瞬間だった。
真っ暗だったはずの夜の景色が、視界の端から異様に染まり始めた。
街灯の光ではない、もっと不自然で強い――揺らぐような橙色。
「……あれは……火?」
橘がつぶやくのと同時に、遠くに見えた丸山の家の方向から、濃い煙と炎の柱が夜空に立ち上っていた。
「火だ!!火をつけやがった!!」
怒りが橘の声に混じる。
「篤志、消防に連絡しろ!!今すぐだ!!」
「はい!今、通報してます!!」
篤志はスマホを取り出し、慌ただしく119を押していた。
車は丸山の自宅に近づく。だが、そこに広がっていたのは――想像を超えた光景だった。
家全体が、炎に包まれていた。
火の手はすでに屋根にまで達し、吹き抜ける熱風が辺りを揺らしていた。
窓ガラスが飛び散り、燃えた木材が弾け飛ぶ音が夜に響く。
「くそっ!近寄れねぇ……!」
車から出た橘達は、歯を食いしばった。
火の勢いはあまりにも強く、車を停めた場所からでも熱が伝わってくる。
煙が周囲に立ち込め、家の中がどうなっているのかさえ見えない。
橘は、それでも玄関に駆け寄り
「丸山……おい、丸山っ!!生きてるか!?聞こえるか!!」
橘がドアを開けて叫ぶが、返事はない。
ただ、火がいきよいよく燃える音と炎のうねりだけが、耳を打ちつけていた。
「頼む……生きててくれ……!」
彼のつぶやきは、赤く染まる空に、吸い込まれていった。
関川係長に状況説明の連絡をした。
とりあえず、そこで待機との指示が出た。
応援を出すとも
橘は、煙の匂いがしみついたスーツのまま立ち尽くしていた。唇をきつく結び、拳を握りしめながら、ただ炎上中の家を見つめている。
「……俺たちは、またしても……なにもできなかった」
その呟きには、自責と無力感、そして激しい怒りが混じっていた。
“今度こそ守れると思っていた”
“今度こそ間に合うと思っていた”
けれど現実は、またひとり――重要参考人が、闇に消されたのだ。
橘の隣で、篤志もまた炎を見つめながら、肩を震わせていた。奥歯を強く噛み締め、唇が血の気を失っている。
「……あの白いワーゲンの野郎……絶対に許さねえ……!」
その声は、まるで地の底から絞り出すようだった。
橘はその言葉に応えるように、顔を上げ、夜空を睨みつけた。
焦燥と怒りの炎が、今も胸の中で燻っている。
「篤志」
静かに、しかしはっきりと呼びかける。
「はい」
「これから湯川の家に行くぞ」
篤志は一瞬、驚いたように橘を見つめた。
「えっ……この時間に、ですか?」
橘は頷いた。ためらいはない。
「もう悠長なことは言ってられない。奴らは一歩先を行ってる。こっちが待ってたら、また同じことが繰り返されるだけだ」
深夜にもかかわらず、彼の声には鋼のような意志が宿っていた。
「ここは消防読者に応援に来てくれた奴らに任せる。俺たちは湯川の家を当たる」
橘の言葉に、篤志も力強く頷いた。
「……了解です、行きましょう」
「あと、湯川の家に行く事を係長に報告頼む」
「了解です」
2人は背を向け、炎上中の家を後にする。
このまま終わらせるつもりはない。――誰が相手であろうと、奴を捕まえる
橘の背中が、そう語っていた。
それから数時間――。
ようやく、火の手は完全に収まり、辺りは鎮まりを取り戻しつつあった。消防隊員たちが懸命にホースを操り、崩れ落ちた家屋の残骸を片付けていく。だが、その中にもう“声”はなかった。




