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291 【繋がってる、ちゃんと…】


まいは、ようやく差し入れのおにぎりを作り終えた。

特別なおかずはないけれど、今日はこれだけでも気持ちは十分に伝わるはず。

「うん、今回はこれで許してもらおう」

そう呟きながら、小さく微笑んだ。


おにぎりを包み終え、ふと時計に目をやる。

もうすぐ純一が迎えに来る時間だ。

どこか落ち着かない心のまま、キッチンの片付けに手を伸ばそうとしたそのとき――


携帯が不意に鳴った。

優しい音が胸に響く。すぐにメールの通知音だと分かった。


まいは思わず手を止め、心臓が一瞬だけ高鳴る。

(もしかして……謙?)

その予感は的中した。


画面には「謙」の名前。

まいはすぐにスマートフォンを手に取り、急いで画面をタップする。


ずっと、ずっと待っていた連絡。

ほんの数秒の間にも、胸がぎゅっと締めつけられるような、でもどこか温かい感情がこみ上げてくる。


「謙……」

心の中でそっと名前を呼びながら、まいは画面に表示されたメッセージを読み始めた。




まいは、謙からのLINEを開いた瞬間から、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。


最初の数行を読んだあたりで、すでに視界がにじみ、文字が滲んで見えなくなってしまった。

涙が止まらない。

それは寂しさや不安からではなかった。

嬉しさと、安心感と、なによりも謙の真っ直ぐな想いが、まいの心にまっすぐ届いたからだった。


「まい、なんか強くなったね」

その言葉だけで、まいは今までのことがすべて報われたような気がした。

謙はちゃんと見てくれている。

私が変わろうとしていること、前を向こうとしていること、気づいてくれている。

あんな短いメッセージを送っただけなのに、謙はそれをしっかり受け止めて、長い言葉で、まいの不安を全部包み込むように返してくれた。


まいは何度も目元を拭った。けれど、涙はあとからあとから溢れてくる。

気づけば、スマホを胸に抱きしめたまま、小さく「ありがとう…」とつぶやいていた。


「もう心配なんてしていないよ」

まいは心の中でそう思った。

謙は今、会社でちゃんと頑張ってる。自分の足で立って、また前に進もうとしてる。

なら私は、その背中を支えたい。

遠くからでもいい。声が届かなくてもいい。ただ、謙の力になりたい。

――そんな思いが、まいの胸にじんわりと広がっていった。


涙で少しだけ腫れた目をこすりながら、まいはそっと微笑んだ。


「応援しなくちゃね…私も、頑張らなきゃ」


そしてもう一度、謙からのLINEを読み直しながら、まいはその文字のひとつひとつを、まるで宝物のように心に刻み込んでいった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


課長の声がフロアに響いた。


「高木くん、ちょっと」


俺はすぐに顔を上げ、振り返って課長の方へ向かった。どこか柔らかな表情を浮かべている課長を見て、少し緊張が和らいだ気がした。


課長は俺の姿を見るなり、軽く笑みを浮かべてこう言った。


「さっきの挨拶、あれで良かったか?」


その言葉に、胸の奥が熱くなった。あの一言一言が、どれだけ自分の心を支えてくれたか。仲間たちの温かさに触れ、今、自分がここに戻って来られた実感を強く感じていた。


「はい…もう、十分すぎるほどでした。本当に感謝しています。ありがとうございます」


そう答えると、課長は静かに頷き、さらに一歩踏み込むように問いかけてきた。


「で、これからどうするつもりだ?」


俺は一瞬迷ったが、正直に自分の気持ちを伝えることにした。


「少し、パソコンをいじってもいいですか? まずはどこまで出来るか、自分なりにやってみたいんです」


その返答に、課長は少し笑いながら「もちろんだ、好きにしろ」と言ってくれた。


まるで「信じてるぞ」と背中を押してくれるようなその言葉が、何よりありがたかった。


「午後、少しだけデスクで作業をしてから帰ります。帰る時には、改めてご挨拶に伺います」


そう伝えると、課長は一瞬だけ真顔になり、それからまた柔らかい笑みを浮かべてこう言った。


「わかった。高木、おまえはおまえのやりたいようにやってみろ。それが一番いい。……守る人がいるって、最高だよな」


その言葉に、俺の胸の奥にまた何かが深く刻まれた気がした。守りたい人――まいの顔が浮かぶ。


俺は無言で深々と一礼をした。どれだけこの人に支えられてきたか、言葉では表せなかった。


課長は何も言わず、自分のデスクに戻っていった。

背中で語るその姿に、俺はもう一度深く頭を下げた。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「ピンポーン」


玄関のチャイムが鳴った。


――来た。きっと純一さんだ。


まいは心を整える暇もなく、急いで玄関へと向かい、扉を開けた。そこには、変わらぬ穏やかな笑みをたたえた純一の姿があった。


「用意できた?」


優しい口調で純一が問いかける。


「はい、大丈夫です。本当に…何から何まで、ありがとうございます」


まいは深く頭を下げながら、心からの感謝を込めて言った。何もかも任せきりでいることが申し訳なく、でもどうしても頼ってしまう自分がいた。


そんなまいの様子を察したように、純一は少し困ったように笑いながら言った。


「まいちゃん、気にすんなって。前にも言ったけどさ、俺たちは“友達”だろ?」


その言葉に、まいの胸がじんわりとあたたかくなった。大人になってから、こんなふうに言ってくれる人がいることが、心から嬉しかった。


「……はい」


少し照れながら、まいは頷いた。


「よし、じゃあ行こうか」


「はい、お願いします」


そう言って、まいは準備していた荷物を手に持ち、玄関を出た。車までの道を歩き出したそのとき、純一が驚いたようにまいの荷物を見て声を上げた。


「ちょ、まいちゃん…その荷物、なに? 旅行でも行くのかと思ったぞ」


まいは少し恥ずかしそうに笑って、抱えていた包みを差し出した。


「これは…差し入れなんです。おにぎりだけなんですけど…よかったら、みなさんで食べてください」


差し出された包みを受け取った純一は、思わず驚いた。

そこには、まいなりの感謝の気持ちがぎっしりと詰まっていた。


「まいちゃん、ありがとう」


差し入れを受け取った純一は、包みを両手で大切そうに持ちながら、にこりと微笑んだ。


「でもさ、そんなに気を使わなくてもよかったのに。とはいえ…正直、めっちゃ嬉しいよ。まいちゃんのおにぎり、すごく楽しみだ。きっと仲間たちも喜ぶと思う。ありがとうな」


その言葉に、まいは少し照れくさそうにうつむきながらも、純一の喜ぶ顔を見て心がじんわりとあたたかくなった。自分にできることは小さなことかもしれない。でも、こうして誰かが喜んでくれるなら、それだけで十分だと思えた。


二人は車に乗り込み、純一が静かにエンジンをかけた。エアコンの風とともに、車内には落ち着いた空気が流れ始める。


ふと、運転席の純一が助手席のまいに視線を向けて、優しく声をかけた。


「まいちゃん……なんか、すごく嬉しそうだね。表情がいつもと違うよ。なにか、あった?」


その問いかけに、まいは少し驚いたように純一を見つめ、それからゆっくりと頷いた。


「……実はさっき、謙からLINEが来たんです」


そう言った瞬間、まいの声が少し震えた。けれど、その顔には確かに嬉しさが滲んでいた。


「読む途中から涙が止まらなくなっちゃって……」


まいは言葉を選びながら、手のひらでそっと目元を押さえる仕草をした。


「たった二日だったけど、すごく大きな変化があって。私の気持ちも、謙の気持ちも…全部がぎゅっと詰まってて。すごく温かくて……安心して、嬉しくて……」


その言葉に、純一はしばらく黙っていたが、そっと片手でまいの肩に触れ、小さく笑って言った。


「そっか。…繋がってるんだな。ちゃんと、心が……良かったなぁ」


そのひと言に、まいはまた涙が溢れそうになった。



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