278 【事件の全貌に近づく夜】
「謙、他に思い当たることはあるか?」
純一が慎重に問いかけると、謙は少しうつむいてから、ゆっくりと顔を上げて答えた。
「ああ……そうだ?例の殺人事件――あれは、やっぱりこの件と関係してるのか?」
その問いに、純一は一瞬だけ言葉を選ぶように黙り込んだ。そして短く頷きながら、低い声で答えた。
「あぁ……関係してる。間違いなく、すべて同じ線上の事件だ」
その言葉に、謙の表情がこわばった。
「井上が殺されたのも、お前が事故に見せかけて殺されかけたのも、すべてひとつの流れの中にある。偶然なんかじゃない。すべて、同じ闇に繋がってる」
純一の声には、確信に満ちた重みがあった。
「実は今、俺たちが注目してる人物が、あと2人いる。いずれも加害者の人間たちで、今はまだ証拠が足りないが、動きはチェックしてる。こっちからも接触してみたが、タイミングを見て動く予定だ」
謙は静かに頷きながら、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「さっき言った白いワーゲンの男……あいつも関わってる気がする。最初は偶然かと思ってたけど、あまりにも出現のタイミングが一致しすぎてて……もう偶然とは思えない」
その言葉に、純一は頷いた
「多分な。謙の話で確信に変わった。あの男も、間違いなく関係してる。もはやセクハラとか内部不正とか、そんなレベルの話じゃない。これは――組織ぐるみの犯罪だよ」
純一は小さく息を吐いて、はっきりと断言した。
「黒幕は、総合グループの総務部にいる複数の役職者たち。彼らが裏で手を組み、全体を動かしてる。きっと間違いない」
そして、声を少しだけ落として続ける。
「裏金が大量に動いてる。帳簿にも記録されない、表には絶対出ない金が――この事件の背後にある」
「……なんか、疲れたなぁ」
謙はふと、ぽつりと呟いた。
沈んだ声に、さっきまで張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
「仕事の話って、やっぱり重いな。純一は、いつもこんなことばかり考えてるのか?」
そう言って向かいに座る純一の顔を見た。
「頭の中、休まる暇なんてないだろうな……」
純一は苦笑しながら、小さく肩をすくめた。
「まぁ、仕事だからな。
だけど、事件の裏に泣いてる人がいるって思うとさ――放っておけないんだよ。何とかして少しでも、その人たちの苦しみを減らせたらって……結局、それが頭から離れなくてな」
その言葉に、謙は少し黙ってから、静かに口を開いた。
「……やっぱり、根っからの刑事なんだなぁ、純一は。
正直、尊敬するよ」
「いや、そんなことないよ」
純一は照れくさそうに目をそらしたが、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「なんか……明日からやるべきことが、少しずつ見えてきた気がするよ」
謙がぽつりと呟いたその言葉に、純一が
「お前、関わらないって言ってたんじゃなかったか?」
「……言ったさ。でもさ、書類関係のことは、結局俺にしか分からないんだ。俺がやらなきゃ始まらないって思った」
純一は小さく笑ってうなずいた。
「確かに……それはそうだな。お前の目じゃなきゃ、気づけないことも多い」
謙は、少し真剣な表情になり、言葉を続ける。
「その代わり、ひとつだけ頼む。……絶対にまいには内緒でいてくれ。
彼女にはこれ以上、余計な心配をさせたくないんだ」
純一もその想いを理解するように、深く頷いた。
「わかった。絶対に口外しない。……でも、お前も約束しろよ。無理はしない、慎重にな。
調べるのはいいけど、ほどほどにな。ひとりで突っ走るなよ」
「……あぁ、約束する。ありがとう、純一」
しばらく静かに視線を交わしたあと、純一がふっと笑って言った。
「じゃあ……飲み直すか?」
「そうだな」
謙もようやく、少し肩の力を抜いたようにグラスを手に取った。
しかし――
その時の謙はまだ知らなかった。
自ら動き出すことで、事態が想像を超える速度で転がり始め、その歯車は
やがて、自分自身もまた深く危険な渦に巻き込まれていくことになるとは……
静かな夜のその決意が、
新たな“脅威”の引き金になることなど、知る由もなかった……




