266 【目覚める決意、揺れる正義】
「……もう関わらないって、言ってたよなぁ?」
純一の声は、静かだが確かに戸惑いを含んでいた。親友としての気持ちと、警察官としての線引きとの間で揺れているのが伝わってくる。
謙はその視線をしっかりと受け止め、真剣な顔でゆっくりと話し出した。
「そのつもりだった。正直、まいとの未来を考えたら、もう危ない橋は渡らない方がいいと思ってた。だけどな、純一……」
一度、深く息を吸って、まっすぐに純一の目を見据える。
「もうそんな悠長なこと、言っていられない状況になったんだよ。俺にはわかった。あいつらの狙いは――まいじゃなくて俺なんだ。奴らが探してるものは、きっと俺の頭の中にある。失われた記憶のどこかに、それが眠ってるんだ。思い出せばいい。でも……その前に、俺が消されるかもしれない」
その言葉には、冗談めかした軽さは一切なかった。
謙の目には、静かだが揺るがぬ決意が純一にも伝わっていた。
「だったら――もう逃げない。起きるのを待つより、こっちから行ってやる。とことん、奴らを引きずり出してやってやるさ」
純一は、すぐには言葉を返せなかった。
目の前にいるのは、親友であり、時に突っ走ってしまう男・謙。
守りたい存在であると同時に、何かに突き動かされてしまう彼の強さも知っている。
彼を止めたい。だが、自分だって本当は、その決意を否定できる立場にはない。ただ、俺は刑事そこだけが決断を鈍らせる。
「……謙」
ようやく絞り出した声は、いつになく低かった。
「少しだけ……考える時間をくれ。俺も警察官だ。頭を冷やして、何が最善かちゃんと判断したい」
謙は静かにうなずいた。
そして小さく笑いながら、軽く肩をすくめる。
「じゃあ、代わりにコーヒーでも淹れようか。うまくはないけどな」
純一は、かすかに笑い返した。
「それでいい。待ってるよ、お前のまずいコーヒー」
そのやり取りの裏には、互いを信じる想いがしっかりと通っていた。
一瞬の静けさの中で、2人の間に緊張と覚悟が同時に流れていた――嵐の前の静けさのように。
「純一、まずいコーヒーが入ったぞ――。」
謙の声は、さっきまでの緊張をわずかに緩めたように聞こえた。硬かった表情も少しだけ和らいで、どこか懐かしい穏やかさがあった。
2人は黙ってテーブル越しに向き合う。
「純一、やっぱり……テーブルとか、勝手に動かしたらまずいよな。警察呼ぶまでは」
謙が静かに聞くと、純一は小さく頷いた。
「まぁな。余計なことはしない方がいい。証拠が消えたら、何もかもが台無しになる。…謙、コーヒー飲み終わったら一回帰る。だからお前は、そのあと警察に連絡しろ。鑑識が入るはずだから、全部終わったらまた俺に知らせてくれ」
「今夜、こんなところで眠れないだろ? うちに来いよ」
謙は一瞬だけ目を伏せ、そしてゆっくり顔を上げて言った。
「……純一、いいのか?」
「当たり前だろ」
その一言が、胸に沁みた。謙は小さく、だがしっかりと頷いた。
「……いつもすまない」
「もう乗りかかった船だよ。お前のために、俺にできる限りのことは全部やる。だから――無茶だけはするなよ」
その言葉に、謙の胸の奥に少しだけ灯がともった。
「わかったよ」
純一はぽつりと呟くように言った。
「今夜、俺のところで……事件のことを話す。俺の知っている限りのことを、すべてな。それでいいか?」
謙は少し驚いたような目をしたが、すぐにその瞳に決意を宿らせた。
「……わかってくれたか」
謙はふっと笑い、純一にマグカップを差し出した。
「ほら。俺のまずいコーヒーだけど、付き合えよ。」
コツンと、2つのマグカップが軽くぶつかる。カラン、という小さな音が、2人の間の空気を少しだけ柔らかくした。
純一が
「久しぶりに――やるか、“最強コンビ”復活ってことで」
「すまん、記憶がなくて……」
そう言って謙が照れくさそうに笑うと、純一も肩を揺らして笑った。
2人は、目を合わせたまま、大きな声で笑い合っていた。
その笑いの裏に、互いにしかわからない、静かな覚悟と信頼が確かに息づいていた。




