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251 【涙の待合室】


パン! パン!


ガシャン、ガシャン


ガラスが割れる音が耳をつんざいた……



破裂音と同時に、謙は反射的にブレーキを全力で踏み込んだ


キィーーーィ!


ブレーキを踏み込んだ瞬間、車が激しく反応し、タイヤが滑り始めた。


瞬間、タイヤが絶叫を上げ、車体は軋む音をたてて滑りだす。


シートベルトが食い込むほどのG。助手席のまいが、宙に浮いたように前方へ投げ出され、ベルトに弾かれるように戻された。



無我夢中でハンドルを思いきり左に切った。


俺の体はシートに押しつけられ、Gが一気にかかる。視界が歪み、全身が強烈な加速度を感じる。


「キャァーーーーァ」


ガァガァガァガァー


次の瞬間、車が右にスライドし、横滑りを始めた。シートベンチが胸に食い込むほどの圧力がかかり、まいがシートベルトで体を必死に支えているのがわかった。


まいの体が一瞬、宙に浮く。

シートベルトがきしむ音が、車内に響いた


ガァガァガァガァー


タイヤが悲鳴を上げ、車体がきしみを上げながら急旋回する。


「やばい.マジか!」

「っまいっ!」


その衝撃で、まいの身体が大きく浮き、シートベルトに弾かれるように前方へ突き出される。


体が前のめりに弾み、まるでシートベルトが効いていないかのように身体が浮き上がった。


キキィーーーーイッ ガシャーン   


ハンドルを切った勢いでガードレールにぶつかる音が耳をつんざいた。


車体はガードレールへ激突した。金属のぶつかる鈍い音と共に、車がわずかに浮き上がり、揺れながら停止する。


「まい!?」

目の前が一瞬真をっ暗になり、頭がクラクラする中で、まいの無事を必死で確認しようとした。

そして、顔を見ると、目を見開いたまいが、震える手で何とか自分を支えていた。


一瞬の静寂。


バイクは先の方でこちらの様子を伺う様に振り返り見ていた。


息を呑むような衝撃の中、謙の耳には自分の心臓の鼓動だけが、強く、強く響いていた。


命の境界線は、ほんの数秒の判断の中にあった。



「まいっ!」


ハンドルを切った勢いでガードレールにぶつかる音が耳にまだ残っている。 

停止した車のボンネットから煙が上がるほどの衝撃。


謙は反射的にまいに声をかけた


「大丈夫か!?」


「……う、うん……」


か細い声。だがまいの表情は蒼白で、肩が小刻みに震えていた。

震えながらも懸命に「平気、大丈夫だから」と言うその姿に胸が締め付けられた。


後方でキキィィッとタイヤが路面を擦る音。

続いて、重たいドアが勢いよく開く音が響く。


飯塚たちの車が停まり、次の瞬間には飯塚と市川が駆け寄ってきていた。


「高木さん!大丈夫ですか!?」


「大丈夫です。まいも無事です……」


「良かった……」飯塚が安堵の息を吐くと同時に、すぐ叫ぶ。


「市川っ!救急車!!急げ!」


(救急車?……誰か怪我を……?)


謙の脳内に、ふと不安がよぎる。

まいは「大丈夫」と言った。それでも、どこか怪我をしてるのか?


「まい…お前が?どこか怪我してるのか?」


「私は大丈夫でも……」


「痛いのか?どこか打ったのか?」


「ち、違うよ……謙……あなたが……」


「……俺?」


そう言いながら、自分の体を見下ろした瞬間――


ドクッ…と、赤い液体が腕を伝い、シートを染めているのが見えた。


「何だこれ?」


頭の中が整理出来ていなかった。少しずつ理解し出すと

一気に血の気が引くのがわかった。


よく見ると、服が破けていた。右腕のあたりが生々しく裂け、そこから鮮やかな血が流れている。

まるで時間差で襲ってくるように、理解しだしてからジリジリとした焼けるような痛みが襲ってきた。


「っ……!」


「市川!タオルだっ、早く!!」

飯塚が怒鳴るように叫びながら、すでに謙の腕をぎゅっと押さえ込んでいる。


市川が車に駆け戻る。謙の耳には、心臓の音と飯塚の荒い息しか聞こえない。


「大丈夫だ、かすっただけだ傷は浅い……けど、出血が多い。市川しっかり押さえてろ!俺は応援を呼ぶ」


謙は目を見開いたまま、言葉を失っていた。

銃声、血の匂い、まいの震える手――すべてが頭の中で何度も何度も繰り返していた。


もう少し遅れていたら。

あと一瞬判断が鈍っていたら。


(死んでた……)


そう思った瞬間、全身から冷や汗が吹き出した。


遠ざかっていくバイク。

止まったまま震えるまい。

自分の腕に流れる、命の赤。

それを目の当たりにして


現実はドラマよりも残酷で、そして容赦がなかった。



サイレンの音が近づいてきて、まもなく救急車が現場に到着した。

急いで駆け寄ってきた救急隊員たちに支えられ、俺とまいはストレッチャーに乗ることなく、自分の足で何とか車を降りた。軽症とはいえ、まいの手は小さく震えていて、目はうつろだった。


俺たちはそのまま救急車に乗せられ、扉が閉まる直前、飯塚さんが近づいて声をかけてきた。


「高木さん、すいませんでした。俺たちがついていながら……

今、署に連絡して緊急配備をかけています。すぐに捜査が動き出すはずです。とりあえず、安心してください。じきに情報も入ると思いますから。」


それでも、彼の表情はどこか申し訳なさそうだった。そして、改めてふと頭を下げるようにして言った。


「……でも、本当にすみませんでした。俺たちがついていて、こんなことに……」


彼が何度も言うその言葉に、何と返していいかわからなかった。

だけど、ただ、この事態を受け入れるしかないのは俺自身充分理解していた、


「……俺は大丈夫ですから。飯塚さんがいたからこれで済んだんですから。ありがとうございます。」


そう答えることしか、今の俺にはできなかった。


救急車が動き出し、車内の揺れに合わせて、まいの体もわずかに揺れる。隣に座る彼女はうつむいたまま、一言も話さなかった。声をかけても反応が薄く、顔は青ざめ、口元は固く閉じられていた。怪我はなかったが、心のダメージはきっと計り知れない。


こんな状況で、俺にできることは一つだけ。

――せめて、俺が明るくいること。

たとえ無理にでも、何気ない会話で彼女の気を紛らわせることが、今の俺にできる最善だった。


「なぁ、まい……。今夜はホテルでゆっくりするんだよなぁ?忘れてる?」


ぎこちない冗談を言いながら、俺は微笑んだ。まいがほんの少しでも笑ってくれたら、それでいい。

俺の右腕の痛みは強くなってきていたけれど、それでも、まいが隣にいる、無事でいてくれた。この現実だけが、今の俺を支えてくれていた。



病院に到着してすぐ、俺は処置室に運ばれた。

医師からは、右腕の傷は皮下の血管が損傷していたものの、神経には触れていないとのこと。

縫合手術を受けたが、麻痺や後遺症の心配はないという。

ひとまず安心したが、心のどこかでは、このあとの展開――警察署での聴取や報告――を思い、少しだけ気が重くなっていた。


治療を終えて処置室のカーテンをくぐると、すぐそこにまいの姿があった。

彼女はベンチに腰かけ、背筋を伸ばしたまま固まっていた。

そのすぐそばには、付き添うように立つ制服警官の姿もあったが、まいの視線はただ一つ、処置室の中から出てきた俺を見つめていた。


俺と目が合った瞬間、彼女の瞳がみるみる潤み始めた。

こらえきれなかったのだろう。滲んだ涙が一筋、彼女の頬を伝って落ちた。


「謙……本当に、本当に大丈夫なの?」


その声は震えていて、今にも崩れてしまいそうだった。


「大丈夫、大丈夫。ただのかすり傷だよ。ちょっと縫っただけでさ。ほら、俺って昔からちょっと大げさに扱われちゃうタイプだからさ。警察絡むと特にな」


できるだけ軽く、冗談まじりに笑って見せた。

心配させないように――そう思ったからだ。


だが、それは逆効果だった。


「……っ!」


まいは言葉も発せないまま、立ち上がると一歩、二歩と近づき、次の瞬間には俺の胸に顔を埋めていた。

その小さな肩が震えているのがわかる。

彼女の腕が、ぎゅっと俺の背中に回される。


「謙……純一さんにお願いしょ……。私、怖いよぉ……。謙が……いなくなっちゃったら……」


その声はかすれ、震え、途中から言葉にならなくなっていった。

ただ、嗚咽とともに絞り出されるような涙が、俺の胸元に静かに染み込んでくる。


俺は、そっとまいの背中に手を回し、傷の痛みも忘れるほど優しく抱きしめた。

今この瞬間、彼女の不安を全部受け止めることが、自分にできる唯一のことだった。


「……ごめんな。もう、大丈夫だから。俺は、ここにいるから」


静かに、そうささやいた。




治療を終えた俺とまいは、付き添ってくれた警察官とともに、近くの警察署へ向かった。

犯人はまだ捕まっていない。あの発砲事件の被害届を提出し、現場での状況を詳しく説明するためだった。


少し緊張感のある待合スペースでしばらく待っていると、見慣れた二人が姿を現した。

飯塚さんと市川さんだった。


「高木さん、大丈夫ですか?」

そう言いながら、飯塚さんは俺の腕に目をやった。包帯が巻かれた部分に一瞬だけ険しい表情を浮かべたが、すぐに柔らかい声に戻った。


「これぐらい、大丈夫ですよ。命に別状ないですから」


なるべく明るく返したつもりだったが、飯塚さんの表情はまだ曇ったままだ。

すると今度は、市川さんが一歩前に出てきた。


「レンタカーについてですが、こちらで一時的に預かって詳しく調べさせていただきます。被弾の痕跡や、その他証拠がないか調べる必要がありますので。手続きはこちらですべて責任を持って行いますから、ご安心ください」


そう言ってから、市川さんは一度視線を下げ、何かの袋をそっと取り出した。

それをまいのほうへと差し出す。


「それと……これ、車内に残っていたんです。きっと大切なものだと思って」


手のひらに乗っていたのは、まいがこの旅の初めに俺へプレゼントしてくれた、あの風鈴だった。

小さな音色が、ほんの少しだけ鳴った気がした。


まいはその風鈴を見た瞬間、何かが決壊したように目に涙を浮かべ、堪えきれずにぽろぽろと泣き出してしまった。


「ありがとう……ございます……」


泣きながらそう口にするまいの姿に、市川さんは完全に動揺してしまい、困ったように飯塚さんのほうへと視線を向けた。

まるで「助けてください」とでも言いたげなその表情に、俺は申し訳なく思った。


「市川さん、ありがとうございます。本当に助かります」


俺が丁寧に市川さんに頭を下げてお礼を言うと、ようやくその場の空気が少しだけ和らいだ。

飯塚さんもふっと笑みを浮かべ、俺に向き直った。


「高木さん、もう少しだけお付き合い願えますか? 調書の作成、あと少しですから。我々もいるので多分すぐ終わります」


「はい。わかりました」


まいの肩にそっと手を添えて、俺は頷いた。

それから、署内の一室へと移動し、飯塚さんと市川さんの立ち会いのもと、事件当時の詳細を一つひとつ思い出しながら調書を作成した。


どの瞬間もまだ記憶に鮮明で、手が震えるほどだったが、隣にまいがいてくれたことで、なんとか冷静を保つことができた。

まいも同様に事情聴取を受け、静かに、時に言葉を詰まらせながらも最後までしっかり答えていた。


すべてが終わった頃には、外はすっかり日が暮れていた。


「高木さん、まいさん。今夜はホテルまでお送りします。明日も、我々でお迎えにあがりますので、今日はとにかくゆっくり休んでください」

飯塚さんがそう言って、俺たちを車に乗せた。


ホテルの玄関前に着くと、飯塚さんは窓越しにもう一度振り返って言った。


「何かあれば、すぐに連絡してください。今夜は署に詰めてますから。まいさん絶対に、一人にしませんから安心して下さいね」


その言葉に、俺とまいは思わず背筋が伸びる思いだった。


「ありがとうございます。本当に……お世話になります」


深く頭を下げると、飯塚さんたちは手を軽く上げて別れを告げ、再び警察車両を走らせていった。


夜のホテルのロビーに入ると、まいがそっと俺の腕に触れた。

そこには、不安の色もまだ残っていたが、少しだけ、安心の光も混じっていた。


「大丈夫だよ、まい。今夜は、ゆっくり休もう」


そう言って、俺は彼女の手をそっと握りしめた。



あの風鈴の小さな音色が、どこかでまた響いた様な気がした。


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