218 【湯上がりの乾杯】
「謙、じゃあ部屋に戻ろうかぁ。」
「うん。」
温泉で体の芯から温まり、二人はほんのり火照った頬のまま並んで歩き出す。館内は静かで、どこか心地よい湯冷めの時間が流れていた。
湯上がりのポカポカとした余韻に包まれながら、謙はそっとまいの肩に手を添えた。まいも自然に寄り添い、二人の歩幅はぴたりと揃う。
「なんか、眠くなっちゃうねぇ。」
まいが小さく笑う。
「温泉入ったしなぁ。布団に入ったら、すぐ寝ちまいそうだ。」
そんな他愛のない会話を交わしながら、二人は部屋へと戻った。
部屋の扉を開けると、先ほどまでのしっとりとした湯気の余韻とは違い、ひんやりとした空気が肌を包む。気持ちがすっと引き締まる感覚。
「よし、とりあえず荷物整理するね。」
まいはさっと動き始め、手際よく荷物を片付けていく。
一方、謙は窓際の椅子に腰を下ろし、外の景色に目を向けた。
「まい、やっぱりここのホテル当たりだなぁ。食事もうまかったし、温泉も最高だった。」
「ふふっ、良かった。謙が満足そうで嬉しいよ。」
まいは荷物の整理を終えると、冷蔵庫の中からキンと冷えた缶ビールを取り出した。そして、静かに謙の隣に腰を下ろし、缶をトンと合わせる。
「乾杯しようか?」
「おう。」
プシュッと心地よい音が響き、冷たい泡が缶のふちから溢れそうになる。
「謙、今日もいろいろありがとう。1日本当に楽しかったよ。」
「こちらこそ。まいのおかげで、最高の一日だった。」
二人はそっと缶を合わせ、ゆっくりと口に運んだ。
のどを通る冷たさが、湯上がりの火照った体に染み渡る。
「……くぅ〜、やっぱり風呂上がりのビールは最高だなぁ。」
「ねっ! これがあるから、温泉旅行はやめられないんだよねぇ。」
「謙、何か食べる?」
まいがビールを片手に微笑みながら尋ねる。
「うーん、なんかちょっとつまもうかなぁ。」
「ちょっと待っててね。」
まいは立ち上がると、荷物の中から先ほどコンビニで買ったおつまみの袋を取り出し、テーブルに持ってきた。
「謙、何食べたい?」
「何があるの?」
「えっとね、サーモンの燻製でしょ、それからポテトチップス、チョコ、チーズ……そんなとこかなぁ。」
まいはそう言いながら、テーブルの上にひとつひとつ並べていく。その仕草がどこか丁寧で、なんだか微笑ましい。
「結構いろいろ買ったんだな。」
「うん、ちょっと選べるくらいあったほうが楽しいかなぁって思って。」
そう言って、まいは袋を開け始めた。カサカサと包装が開く音が響く。サーモンの燻製の香ばしい匂いがふわりと漂い、食欲をそそる。
謙はそんなまいの様子をぼんやりと眺めていた。浴衣姿でおつまみを並べる彼女の姿は、どこか家庭的で、穏やかな時間を感じさせた。
ふと視線に気づいたのか、まいがくるりとこちらを向き、優しく微笑む。
「なぁ〜に?」
「……別に。」
少し照れくさくなって、そっけなく答えると、まいはクスッと笑った。
「ふふっ、食べさせてあげようか?」
そう言いながら、燻製サーモンのひとかけをつまみ、こちらへ差し出してくる。
「いや、大丈夫だよ。」
軽く手を振ると、まいはそのまま微笑みながら自分の口に運んだ。
「ふふっ、おいしいよ。」
そう言って、幸せそうにサーモンをかみしめるまいを見ていると、なんだか自然と笑みがこぼれた。
夜の静かな空間に、二人だけのゆったりとした時間が流れていた。




