217 【湯上がりの待ち人】
まいは、脱衣所の鏡の前でドライヤーを手に取り、濡れた髪を乾かし始めた。温泉の湯気がまだ体にまとわりついているようで、ほんのり火照った肌が心地よい。
「ふぅ……やっぱり温泉って最高だなぁ」
温かい風を感じながら、今日一日の出来事を思い返す。楽しかった夕食のこと、コナンのスタンプラリー、そして函館山での夜景。思い返すだけで、自然と頬が緩んだ。
でも——
一番印象に残っているのは、やっぱり謙が転落しかけたあの瞬間。あの光景を思い出すと、胸の奥がぎゅっと締めつけられるようだった。
「……でも、今は楽しい気分でいたいな。」
気持ちを切り替え、髪を乾かし終えると、ゆっくりとドライヤーを置いた。浴衣を整えながら、ふと謙のことが気になる。
「謙、まだいるかなぁ? それとももう部屋に戻っちゃったかな……」
小さくつぶやきながら脱衣所を出る。湯上がりの心地よい疲れが、体の隅々まで広がっているのを感じた。浴場の休憩スペースへ向かい、そっと覗き込む。
そこには、マッサージチェアに深くもたれかかる謙の姿があった。目を閉じ、気持ちよさそうにくつろいでいる。
——待っててくれたんだ。
そのことが分かると、まいは自然と微笑んだ。じんわりとした嬉しさが胸に広がる。
「ふふ……寝ちゃってるのかな?」
少しだけいたずら心が芽生え、足音を忍ばせながら静かに近づく。そして、そっと謙の耳元に口を寄せ、小さく囁いた。
「——お待たせ」
「……おう。ちょっと待ってたら、うとうとしちゃったよぉ。」
謙は目を開け、のんびりとした声で応えた。その表情はどこか眠たげで、温泉の心地よさが抜けきっていない様子だった。
「謙、腰は大丈夫?」
まいが心配そうに覗き込むと、謙はゆっくり体を起こし、軽く腰をさする。痛みはまだ完全には引いていないが、温泉のおかげか、体全体がぽかぽかとしている。
「まぁ、大丈夫だよ。」
「良かったぁ。」
まいはほっとしたように微笑んだ。




