185 「捜査の壁」
橘と篤志は、ようやく署に戻ってきた。
「おつかれ!」
橘が軽く肩を叩きながら声をかけると、篤志は深く頷いた。
「篤志、今夜はもう帰れ。」
「いや、大丈夫です。今日のことを少しまとめておこうと思って。」
篤志はまだやる気だったが、橘は苦笑しながら首を振った。
「今夜はもういい。篤志、あまりこん詰めるな。このヤマ、俺たち二人だけじゃ限界があるかもしれない。」
「えぇ?どうしてですか?」
篤志は驚いたように眉をひそめる。
橘は少し黙ったあと、低い声で続けた。
「このまま俺たちだけで動き続ければ、いずれ相手に気づかれる……。そうなったら、証拠を消されるだけじゃ済まない。高木まで狙われる可能性がある。」
篤志の表情が一瞬で強張る。
「だから、しばらくは無理に動かず、これまでの資料を整理して、上に伝えるつもりだ。上が納得するような証拠を揃えて、本格的に動いてもらうしかない。」
橘は悔しそうに拳を握りしめた。
「正直、俺たち二人だけで、あのデカい城を崩すのは難しい……悔しいがな……。」
篤志も歯を食いしばり、拳を握りしめる。
「……俺も悔しいです。」
そう呟いた篤志の声には、悔しさだけが響いた……
篤志は何も言わず、悔しそうに橘に一礼をして扉から出て行った。
背中がどこか重たく見える。
橘はその姿を黙って見送ったあと、深いため息をついた。
篤志だけじゃない。俺も同じだ——悔しい。
彼はデスクに座り直し、机に置かれた資料を睨みつけるように見つめた。
——あの病院の情報管理システム。
俺たちが動いた時、そのシステムを枝が改ざんしたら全ては終わりだ…
そこにすべての鍵があるのは明白だった。だが、俺たちの力だけでは捜査は不可能に近い。個別に動いたところで、証拠を掴む前に先に気づかれ、握り潰されるだけだ。
動くなら、一斉に各グループを同時に押さえ込むしかない。だが、それだけの大規模な捜査を実現するには、今の俺たちの持っている証拠や資料だけでは上を動かすには力が足りない。
——ここまで大きなヤマになるとは思わなかった。
橘はゆっくりと拳を握りしめた。
このまま焦って動いても、証拠を掴むどころか、こちらの存在がバレるだけだ。何より、謙の身に危険が及ぶ可能性がある。
焦りは禁物だ。慎重に、一歩ずつ確実に詰めなければならない。
橘は椅子にもたれかかりながら、何か別の方法はないかと考え始めた。
しばらくすると……ふと、あることが頭をよぎった。
……待てよ。
橘はデスクの上の書類に目を落とし、ゆっくりと指でトントンと叩いた。
そうだ、……
思い当たる方法が、一つだけあった。
ヤマの頂点ばかりを見ていた自分に気がついた。土台から崩す方法が残っていた事に……
それは正攻法とは言えないかもしれない。だが、このまま手をこまねいているよりははるかにマシだ。
橘は小さく笑った。
「……まだ、やれることはある。」
自分の中にわずかに残っていた迷いが、すっと消えていくのを感じた。
このまま終わるつもりはない。
どんな手を使ってでも、このヤマを解決して見せる……。
そう、橘は静かに決意を固めた。




