183 「2人だけのツボ」
買い物を終えて自宅に戻ると、俺の仕事はいつも通り、皿の用意とコンロのセッティングだけだった。
あとは全部、まいが手際よく準備を進めてくれている。
キッチンでせっせと作業をしているまいの姿を眺めながら、俺はソファに腰を下ろした。
すると、まいがビールを差し出してくれる。
「おっ、サンキュー」
いつもならこのままビールを飲みながら鍋が完成するのを待つのだが、
今夜はなんとなく、手伝いたい気分になった。
「なぁ、なんか手伝おうか?」
そう言いながら立ち上がると、まいは手を止めて、驚いたようにこちらを見る。
「えぇっ⁉︎」
「いや、そんな驚くこと?」
「だって、謙が料理手伝うって……」
まいはしばし呆然としたあと、おでこに手を当てて俺の顔をじっと覗き込んできた。
「……謙、大丈夫?熱でもあるの?」
その反応に思わず吹き出しそうになる。
「おいおい、それは失礼だろぉ? せっかくの俺の善意を台無しにしてぇ〜」
ふざけて言うと、まいはくすくす笑いながら首を振った。
「ううん、ありがとう。でも……気持ちだけで嬉しいよ」
「気持ちだけで……?」
なんだかその「気持ちだけで」がやたらと強調されているように感じる。
「まい、それって遠回しに『手伝わなくていいよ』ってこと?」
「そんなことないよ〜、ちゃんとお礼言ってるでしょ?」
「いやいや、絶対に『気持ちだけで』って強調してたよな?」
お互いにじっと見つめ合った瞬間、なぜか突然ツボに入ってしまった。
「ぷっ……!」
「ふふっ……!」
最初は控えめだった笑いが、次第に大きくなり、ついには大爆笑。
何がそんなに可笑しいのかはわからない。
でも、まいの笑顔につられるように、俺もどんどん笑いが止まらなくなった。
2人で目を合わせながら、ただただ笑う。
それだけなのに、なんだか無性に楽しくて、幸せな気分になった。
こんな風に、何気ない時間を笑い合いながら過ごせること——
それが何よりも幸せだと思えた。
「謙、おまたせぇ!」
まいの明るい声が響き、俺は待ってましたとばかりに椅子を引いた。
「おっしゃ!」
席に着こうとすると、まいが俺の顔を見た途端、また笑いをこらえているのがわかった。
さっきから、何かと笑いのツボに入ってしまっているまい。
「まい、また笑うんでしょ?」
そう言うと、まいは慌てて首を振る。
「そんなことないよ!」
だけど、口元はもう半分笑っている。
「鍋、熱いんだからな。笑いながら食べたら火傷するぞ?」
そう釘を刺すと、まいは「うーん……」と少し考えてから、くすっと笑って立ち上がった。
「やっぱり私も飲もうっと!」
そう言って冷蔵庫からビールを取り出す。
「まい、大丈夫かよ?」
「だって楽しいんだから仕方ないじゃん!」
まいはそう言いながら、満面の笑みを浮かべた。
そんな姿を見たら、俺も思わず笑ってしまう。
「まぁ、いいか!また介抱してやるから、心配すんな!」
そう言いながら、まいのグラスにビールを注ぐ。
グラス越しに目を合わせて——
「乾杯!」
軽くグラスを合わせた瞬間、2人ともまた笑ってしまった。
笑いが絶えない食卓なんて、最高じゃないか。
まいは取り皿に鍋の具を取り分けてくれる。
「まずはスープからね!」
そう言われ、レンゲを手に取り、ふぅふぅと息を吹きかけてから一口。
「……うんまぁ!!」
魚介の旨みがぎゅっと詰まった濃厚な出汁が、口いっぱいに広がる。
「最高に美味い!」
感動したように言うと、まいはぱぁっと顔を輝かせた。
「ふふっ、どんどん食べてね!」
その言葉に、俺はますます箸を進める。
鍋の湯気の向こうに見えるまいの笑顔が、いつも以上にあたたかく感じた。
ただの鍋なのに、ただの食事なのに——
まいと一緒にいるだけで、こんなにも楽しくて、幸せになる。




