182 「いつものポジション」
外に出ると、思ったより風が冷たく、夜の空気が肌を刺すようだった。
「まい、大丈夫か?」
そう声をかけると、まいは何も言わずにすっと俺の腕にしがみついてきた。
「これで平気。いつものポジションだからね」
下から俺の顔を見上げて、まいはニッと笑う。
その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
1日中、辛そうにしていたまいの姿はやっぱり見たくなかった。
やっぱり、まいにはいつも明るくいてほしい——そう強く思う。
「謙、今夜は私、お酒パスしてもいい?」
まいがふとそう言い出した。
「もちろん。だって二日酔いだったんだから、今日は休肝日でいいじゃん」
俺は微笑みながら答えたが、まいはすぐに眉を下げて、少し困ったような笑みを浮かべた。
「……やっぱり、この雰囲気だと飲んじゃうかもなぁ」
「え?」
「だってね、謙と一緒に食事したり、お酒飲んだり、こうしてお買い物に行くの、ほんとに楽しいんだよね」
その言葉に、不意を突かれたような気がした。
まいが、こんなにも素直に気持ちを伝えてくれることが、なんだか嬉しくて——
「俺も同じだよ」
気づけば、自然と微笑んでいた。
「まいに怒られても、なんか怒られてる感じしないんだよなぁ」
そう言った瞬間——
パッ
まいが、いきなり俺の腕を離した。
「……謙!」
低い声に、俺は思わず背筋を伸ばす。
「私が真剣に怒ってても、本気にしてないってこと!?」
「ち、違うって!そういう意味じゃなくて!」
俺は慌てて両手を振った。
「まいを見てると、どんな時でも大切に思えるってこと。怒ってる時も、なぜか嫌にならない。むしろ、それすら愛おしいって思えるんだよ」
まいは、少しの間じっと俺を見つめていたが——
「……そっか」
ふっと表情を緩め、くすっと笑った。
「なら、許してあげる」
そう言って、また嬉しそうに俺の腕にしがみついてくる。
俺たちの距離は、こうやって縮まる。
何度だって、こうやって……
スーパーに着くと、やはり寒い夜には鍋が人気らしく、食材コーナーには人が集まっていた。
陳列棚の鍋用食材も、すでにかなり減っている。
「謙、早めに来てよかったねぇ」
まいがカゴを持ちながら、少しホッとしたように言う。
「そうだなぁ、もう少し遅かったらヤバかったかもな」
俺がそう返すと、まいは楽しそうに食材を物色し始めた。
「さて、謙は何がいい?」
「北海道の話もしたし、海鮮もいいかなって思ってたんだけど——」
俺が言いかけた瞬間、まいがパッと顔を上げる。
「魚をたくさん入れちゃおうか!いろんなの!貝とかも!」
……すごい。まったく同じイメージだった。
「まい、決定!今夜は海鮮鍋!」
「よし、決まり!」
まいはニコニコしながら魚介類のコーナーへ向かい、カゴの中に次々と食材を入れ始めた。
「謙は何か入れたいのある?」
「やっぱり……豆腐」
そう言った瞬間、まいの動きがピタッと止まった。
そして、じーっと俺を睨む。
「……謙、ふざけてるでしょぉ?」
その口調は呆れたようなものだったが、完全に怒っているわけではない。
「え?マジで言ってるんだけど?」
俺が真剣な顔で返すと、まいは一瞬ポカンとしたあと、思わず吹き出した。
「もう、謙ってば本当にズレてるんだから!」
そう言いながらも、まいの表情はとても楽しそうだった。
呆れながらも笑顔を浮かべているのが、何ともまいらしい。
そして、俺の意見が参考にならないと判断したのか——
「じゃあ、私が全部決める!」
そう宣言すると、まいは自らの直感に従い、どんどん食材をカゴに入れていった。
その様子を見ながら、俺はつい笑ってしまう。
——こんな風に、まいが楽しそうにしている時間が、何よりも愛おしい。




