172 【静かな夜に浮かぶ疑問】
消えた記憶と愛する人の嘘 172
【静かな夜に浮かぶ疑問】
まいは、上機嫌のまま家に帰るなり、ふわりと俺に抱きついてきた。
「おい、まい……?」
声をかけても、彼女は返事をしない。
もたれかかったまま、完全に眠り込んでいるようだった。
「……仕方ないなぁ」
小さくぼやきながら、俺はまいの体をそっと抱え上げた。
軽い——まいはいつも元気いっぱいだけど、こうして抱き上げると、その小さな体が頼りなく思えてくる。
ゆっくりとベッドまで運び、優しく寝かせる。
掛け布団をかけてやろうとしたとき、まいが何かを呟いた。
寝言か?
耳を近づけると、微かに聞こえてきた。
「……謙、よかった……ほんとよかった……」
「……?」
俺の夢でも見てるのか? それとも、今日の出来事のことを言ってるのか?
何が「よかった」んだろう。
不思議に思いながらも、まいの寝顔を見ていると、自然と微笑んでしまった。
目を閉じたまま、穏やかで無邪気な表情をしている。
今日、警察署であんなに緊張していたのに、今はこんなに安心しきっている。
——よかった。
心の底からそう思えた。
「おやすみ、まい」
そっと額に軽いキスを落とし、彼女を起こさないように静かに部屋を出た。
リビングに戻り、冷蔵庫を開ける。
何か飲もう……そう思って手に取ったのはミネラルウォーターだった。
ソファに腰を下ろし、一口。
冷たい水が喉を潤し、じんわりと体の熱を冷ましてくれる。
「……今日は、いろいろあったなぁ」
独り言のように呟いた。
そういえば、純一にLINEするのを忘れてたな……
でも、もし純一が俺に気づいてくれなかったら……
俺たちは再会していなかったら、今日、まいはどうなっていただろう?
食事をして、楽しく酒を飲んで……そんな当たり前の時間を過ごせただろうか?
きっと、部屋の中で不安なまま、怯えながら過ごしていたかもしれない。
そう思うと、ゾッとした。
もう一口、水を飲む。
冷たさが喉の奥まで染み渡る。
「……そういえば」
まいが言っていた。
純一が『しばらく一人で出歩くな』って言ってた……と。
もし、あの事故が本当に偶然じゃなく、仕組まれたものだったとしたら……
俺は、なぜ狙われた?
俺は、何かを知っている?
純一が言葉を濁した『捜査の関係で詳しくは言えない』という一言が、頭の中に蘇る……
やはり、何かある……。
思い出せない記憶の断片。
最初の事故。
それは、純一と再会するきっかけになった事故……。
俺は、ふと思った。
もし、本当に大事なことなら……俺は何かメモとかに書き残しているんじゃないか?
何かが残っているかもしれない。
明日、部屋を片付けながら探してみるか。
何か見つかれば、それが記憶の糸口になるかもしれない。
俺は、立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
夜の静寂に包まれながら、遠くの街灯の明かりをぼんやりと眺めた。
冷たい夜風が、窓越しにじんわりと伝わる。
「……俺は何を知っているんだろう」
そんな疑問を抱えたまま、夜は静かに深まっていった——。




