171 【ほっと一息、笑顔の時間】
お寿司屋ののテーブルには、大きなジョッキに注がれた生ビールと、彩り鮮やかな刺身の盛り合わせが並んでいた。
まいは一杯目のビールを飲み干したばかりで、すっかり頬を赤く染めている。
「まい、大丈夫かぁ~?」
心配そうに声をかける謙に、まいは上機嫌に笑ってみせた。
「大丈夫だよぉ~!」
「いや、真っ赤だから」
「血行が良いだけだから!」
謙は苦笑しながら、「まあ、ならいいけどさぁ~」と肩をすくめた。
まいは刺身をつまみながら、警察署での出来事を思い出していた。
「今日、どんなこと聞かれたの?」
「んー……最初、めっちゃ緊張した! 犯人扱いされるんじゃないかってドキドキだったよ」
「そんなに?」
「うん。最初に話した係長さんが、めっちゃ頭固そうな感じでさぁ。淡々と質問してきて、まるで私が犯人みたいな雰囲気だったんだよ! すっごいイヤな感じだった」
まいはムスッとした顔でジョッキを持ち上げ、再びゴクゴクとビールを飲んだ。
「へぇ~、そんな感じだったんだ」
「うん。でもその後、橘さんが来たの!」
まいの表情がぱっと明るくなった。
「そしたらさ、全然違う雰囲気になってね。すごくリラックスして話せたんだ」
「純一って、そんなに話しやすいのか?」
「うん、めちゃくちゃ! だってね、純一さん、いきなり『任意同行なんてされたら、そりゃ犯人扱いされたって思うよなぁ~!』って大笑いするんだよ! 私もつられて笑っちゃった」
謙も想像して吹き出した。
「純一らしいな……」
「でね、私、あのこと話しちゃった」
「何を?」
「この前、ダンプカーが突っ込んできたこと」
謙の表情が一瞬、鋭くなる。
「それで純一はなんて?」
「しばらく1人で出歩かない方がいいって。もしあれが故意的なものだったら、危ないからってね」
「……そうか」
「だからね、謙も気をつけてよ?」
「分かった。後で純一にLINEしておくよ」
その時、店員が寿司を運んできた。
「お待たせしました~。おまかせ握り、2人前です!」
「わぁ! おいしそぉ~!」
まいは目を輝かせて手を合わせる。
「謙、早く食べよ、食べよ!」
「慌てないで、ゆっくりなぁ」
謙が笑う間もなく、まいはさっそく寿司を口に放り込み、幸せそうに目を細めた。
(昼間、本当に警察で事情を聞かれていたのか?全然そんな感じしないくらい明るい)
謙はそんなことを思いながら、目の前で楽しそうに寿司を頬張るまいを見て、自然と肩の力が抜けるのを感じた。
「はぁ~、幸せぇ~!」
まいが笑う。
その笑顔に、謙は改めて安心した。
「そういえばさぁ、いろいろあったけど……旅行の話、どうなったの?」
まいが、ビールのジョッキを軽く揺らしながら、じっと謙を見つめる。
「謙、もしかして忘れてる?」
「……今? それ?」
謙は思わず目を見開き、吹き出してしまった。
「だって楽しみなんだもぉ〜ん!」
まいは頬をふくらませながら、箸を置いてテーブルに身を乗り出した。
「ここで決めようよぉ〜!」
「ここで?」
謙が呆れたように言うと、まいはすかさず
「うんっ!」
「じゃあ、この後2軒目行こうか?」と提案すると、
その言葉に、まいの瞳がぱっと輝いた。
「うんっ!」
まいが嬉しそうに頷くと、謙は苦笑しながら釘を刺した。
「まい、だからって慌てて食べるなよ。ちゃんと味わえって」
「わかってるよぉ〜。子供じゃないんだから!」
まいは頬をふくらませ、少しむくれた表情を見せる。
「最近、謙、私のこと子供扱いしすぎだよぉ〜」
「そんなことないって」
「いや、してる。謙は絶対してる!」
まいはしっかりと謙を指さして断言する。
「わかった、だから大人しく食べなさい」
「……わかったってことは、やっぱりしてるってことでしょぉ〜?」
「……こいつ、絶対酔ってるな」
謙は心の中でため息をつきながら、2軒目に行くことを今さらながら少し後悔し始めていた。
食事を終えて店を出ると、夜風がひんやりと心地よかった。
「おい、寒くないか?」
謙が振り返って尋ねると、まいはにこっと笑いながら、何も言わずにそっと謙の腕にしがみついてきた。
「こうしてるから大丈夫だよ」
まいは少し甘えたような瞳で謙を見上げる。
「まい、胸、またあたってるぞ」
そう言うと
「もぉぅ〜、知ってるよぉ〜、わ・ざ・と !」
その仕草があまりにも無防備で、謙は思わず苦笑した。
「まったくぅ…さて、どこ行くかぁ〜」
「謙の行きたいところでいいよぉ〜」
「まい本当に大丈夫か?」
「大丈夫! 心配しないでぇ。今日はいろいろあったけど、今が一番楽しい」
まいの顔には、心から安堵したような笑顔が浮かんでいた。
「仕方ない。じゃあ、もう少し楽しい時間を過ごしに行くかぁ〜」
「うんっ!」
まいは無邪気に笑い、ぎゅっと謙の腕にしがみつく。
「謙、大好きぃ〜!」
その言葉に、謙は照れ隠しのように「はいはい」と言いながら、まいの頭を軽くポンと撫でた。
俺たちの夜はまだ、もう少しだけ続きそうだった。




