154 「涙の理由と抱きしめた温もり」
さりげなくチャンネルを変えた。
「まい、Netflixでも見ようか?あんまり面白そうなのないからさ」
「うん、なんでもいいよ」
まいの様子が気になる。けれど、今は気づかないふりをしてあげたほうがいい。彼女のためにも、そっとしておこう。
「ごめん、謙」
「何が?」
「えぇ、気がついてないの?」
「うん?」
まいは少し笑って、肩をすくめた。
「本当、そういうとこが謙らしいよね。実は……料理、失敗しちゃった」
「マジか! まいにしちゃ珍しいな」
謙は驚いたが、すぐに笑顔で返す。
「でも、こんなに美味しそうな惣菜があるから大丈夫だよ。気にすんな!」
「うん」
まいの顔が少しほころぶ。さっきの張り詰めた空気が、やっと和らいだ気がした。
「じゃあ、もう一回乾杯しよう?」
「うん、乾杯」
二人はグラスを軽く合わせた。透明な音が部屋に響く。
「まい、ここの惣菜、どれも美味しいなぁ〜」
「ここ、よく買ってるんだ。仕事帰りでも遅くまでやってるから助かるんだよね」
「こんな店が近くにあるなんて、便利でいいなぁ」
お酒を飲みながら、他愛のない会話が続く。まいの笑顔も自然に戻り、安心した。
ふと、謙の目に本棚の写真が映った。小さな額に収められた家族写真。
立ち上がり手に取った。
「まい、これ……家族写真か?」
まいの肩が、わずかに揺れたのを俺はやばいと思った….
「ごめん、気に障った?」
「ううん……別に……」
まいは首を横に振る。その顔は、どこか遠い場所を見つめているようだった。
俺は写真を手に取り、まいの隣に座った。
「これ、お姉さん?」
「うん……」
四人が笑顔で写っている。両親に挟まれて、まいと、まいに似た女性。
「綺麗なお姉さんなんだな」
「うん……」
まいは、俺の顔をうかがっているのが、わかった。
まいは小さく頷くと、そっと謙にもたれかかった。
「……お姉ちゃん、もういないの。事故で死んじゃったんだよ」
「……いつ?」
「もう、前にね……」
まいの瞳に涙が溢れ出した。静かに、ぽつり、ぽつりと頬を伝う。
俺は言葉を失った。
「……俺、記憶があった頃、このこと知ってた?」
「うん、知ってたよ。謙は、私たちのことすごく心配してくれて、いつも、いつも支えてくれてた」
「ごめん……辛いこと、思い出させて」
「違うの……」
まいの声が震えた。
「今朝のニュースの……あの人、お姉ちゃんを殺した人……名前を聞いた瞬間、身体中に鳥肌が立って、動けなくなった」
その時、俺はやっと理解した。さっきのまいの青ざめた顔の理由を。
でも、今の俺は、どう言葉をかけたらいいかわからなかった。
黙って、まいを抱き寄せた。まいは抵抗せず、俺の胸に顔をうずめると、嗚咽を漏らした。肩が震えている。小さく、声を殺して泣いている。
俺は何も言わず、そっと背中をさすった。
彼女が泣き止むまで、このままでいよう。
今は、ただ抱きしめることしかできない。
「……落ち着くまで、ゆっくり泣いていいんだよ」
謙の優しい声が、まいの涙をさらに誘った。
「……謙……」
彼女の震えが少しずつおさまるまで、謙はそっと抱きしめ続けた。




