144 「橘と篤志、捜査の合間の一幕」
警察署の薄暗い事務室には、朝から緊張感が漂っていた。
窓から差し込む朝日が、乱雑に積み重なった書類の山を照らしている。
電話のベルが鳴り響き、部屋のあちこちからキーボードを叩く音が聞こえる。
その中で、橘は机に肘をつきながら、昨夜の調査報告書をじっと見つめていた。
「橘さん、今朝、身元不明の殺しがあったみたいですね。」
声をかけてきたのは、若手刑事の篤志だった。
手にホチキスを持ちながら、報告書をまとめている最中のようだ。
「そうみたいだなぁ。」
橘は疲れた表情で眉を寄せた。
「そのうちバタバタしだすなぁ。多分、所長も会見するだろうから、係長もそのうちソワソワしだすぞ。」
篤志は頷きながら言った。
「そうなんですね。ちなみに俺らは行かないでいいんですか?」
橘は軽く肩をすくめ、笑みを浮かべた。
「篤志、心配すんな。足りなければ呼ばれるから。だから呼ばれるまでは、自分たちのヤマ、整理していこう。」
「そうですね。了解です。」
篤志は安心したように微笑んだ。
「橘さんの言葉、マジ説得力あるから安心できますよ。」
橘は苦笑しながら椅子にもたれかかった。
「心配すんな、いい加減だから。」
「マジすか?」
篤志は驚いた表情を浮かべたが、すぐに笑い出した。
2人は冗談を言い合いながら、和やかな雰囲気の中で資料をまとめ続けた。
しかし、次第に事務室がざわめき始めた。
「会見が始まったみたいだな。」
橘はちらりと会議室の方を見やった。
扉の向こうからは、所長の声がかすかに聞こえてくる。
記者たちのフラッシュが閃き、ざわめきが徐々に大きくなっていた。
「橘さん、コーヒー買ってきますが、飲みますか?」
篤志が立ち上がり、ポケットから小銭を取り出した。
「悪い、頼む。」
「いつものブラックでいいですよね。」
「あぁ。」
「了解です。」
篤志は軽く手を挙げて部屋を出て行った。
橘は一人になると、机の上の資料に目を戻した。
昨日の湯川の身辺調査の結果をまとめたものだ。
3人の加害者たちが、同じ「ある事」で繋がっていることに気づいた。
それぞれが金に困っていた。
1人は多額の借金を抱えていたが、突然それを完済していた。
1人は返済後、まるで羽目を外すかのように豪遊していた。
もう1人は、返済後に派手な生活を始めていた。
「金が動いている…間違いない。」
橘は眉をひそめ、資料の数字を指でなぞった。
しかし、その先の繋がりが見えない。
一体、誰が、何のために大金を渡したのか。
それを知るためには、彼らから直接話を聞く必要がある。
「…だが、話すわけがないか。」
橘は深くため息をついた。
もし口を割れば、彼らは今の贅沢な生活を失う。
そして、背後にいる人物に狙われる危険もあるだろう。
「やはり、慎重に進めるべきだな…」
そう呟きながら、橘は書類を閉じた。
その時、篤志がコーヒーを手に戻ってきた。
「お待たせしました、ブラックです。」
「おう、サンキュ。」
受け取ったカップからは、温かい湯気と共に、ほろ苦い香りが立ち上っていた。
橘は一口飲み、目を細めた。
その苦味が、思考をさらに深くさせる。
「…さて、どう動くか。」
彼は再び資料に目を落とし、次の一手を考え始めた。
朝の光が、橘の表情を鋭く照らしていた。




