123 「彼女の父親」
焼き鳥の煙がゆらゆらと立ち上る中、橘はジョッキを傾けながら篤志の話を聞いていた。
篤志は、普段ならもっと気軽に飲むタイプだが、今夜は違う。
グラスを手に持ったまま、中の氷をゆっくり回しながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「……実は、前にも言いましたが、彼女のことなんです」
「なんかあったのか?」
橘が軽く眉を上げると、篤志は首を振った。
「いえ、変わりません。ただ、今日聞いた話と彼女のことが重なってしまって……」
「重なった?」
「事件の方はまだまとまってないんですが——亡くなった朝比奈さん、彼女の父親も、彼女が亡くなる1ヶ月前に自殺してるんですよ」
「……なんで?」
「詳しい理由はまだわかりません。ただ、聞いた話では相当厳格な人だったらしくて。門限もめちゃくちゃ厳しかったみたいです」
篤志はジョッキを置き、少し間を置いてから続けた。
「麗子さん自身は、すごく素晴らしい人だったらしいです。部署が違う人にも親切で、相談にも乗ってくれるし、仕事のアドバイスも的確だったって、人事部の人たちがみんな口を揃えて言ってました」
橘は黙って聞いていた。
「でも、そんな彼女も、仕事が終わると慌てて帰ってたらしいんです。理由は、父親が待ってるから」
「待ってる?」
「そうです。時には病院の前で待っていたこともあったらしいです」
篤志は、ふっと息を吐くと、グラスの中の氷をカラリと鳴らした。
「……そこでなんですよ」
「ん?」
「実は、俺の彼女の父親も、麗子さんの父親と似てるんです」
篤志の声が少し低くなった。
「もし俺と彼女が約束してる時、会社の前で待ってたりしたらどうしようって……。ここまで隠密に会ってきて、別に悪いことをしてるわけじゃないのに、なんか罪悪感があるっていうか……」
篤志は困ったように笑いながら、橘を見た。
「先輩、どうしたらいいと思います?」
橘は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「難しいな……。いっそ父親に会って、信用してもらうとか?」
「でも、俺、刑事ですよ?」
篤志は肩をすくめた。
「絶対こう言われますよ。“危険な仕事のやつに娘はやらん” って」
橘は少し考えたあと、ゆっくりと口を開いた。
「でもさ、逆に厳格な人だからこそ、俺たちの仕事を理解してくれるかもしれないぞ」
「え?」
「隠していても、いつかはバレる。嘘をついて誤魔化したとしても、後でバレた時に信頼を失ったら、取り返しがつかない」
橘は静かにジョッキを置いた。
「結婚を考えているなら、正直にぶつかるしかないと思う。堂々と向き合って、お前の覚悟を見せるんだ」
「……正直に、ですか」
「そうだ。まぁ、ダメなら撃沈だけどな」
橘が冗談めかして笑うと、篤志は苦笑しながらジョッキを持ち上げた。
「先輩、それ人ごとですよね!」
「お前の問題だからな」
2人はグラスを軽く合わせると、苦笑しながら一口飲んだ。
それぞれの胸の中に、まだ整理のつかない思いを抱えながら——。




