119 「橘の執念」
橘は、加害者の身辺調査を一人ずつ丁寧に進めていこうと考えていた。
決して焦らず、時間がかかってもいい——必ず事件のピースを見つけ出す。
その強い意志を胸に、手当たり次第に情報を集めていた。
井上が足を運びそうな場所を一軒一軒、地道に回る。
繁華街の居酒屋、バー、パチンコ店、そして個人経営の飲食店——どこも手がかりなし。
「くそっ……」
手元のメモを見つめながら、橘はわずかに息を吐く。
もう何件目だろうか。
——ダメ元で、次はこの焼き鳥屋を当たってみるか。
そう思い、目の前の 「炭火やきとり たつみ」 と書かれた店の暖簾をくぐった。
まだ準備中のようで、店内には静かな空気が漂っている。
「ガラガラ……」
引き戸を開けると、奥の厨房から店主らしき男が顔を出した。
50代半ばだろうか、無骨な雰囲気のある男性だった。
「ごめんね、まだ準備中なんだ。営業は5時からだから、またよろしくお願いします」
店主は申し訳なさそうに言ったが、橘はポケットから警察手帳を取り出し、静かに告げた。
「いえ、違うんです。すみません、警察です」
その言葉を聞いた瞬間、店主の表情が一変した。
目を大きく見開き、驚いたようにカウンター越しに顔を出して
「警察……? 何かあったんですか?」
「いえ、事件というわけではないのですが、少しお聞きしたいことがありまして」
橘は落ち着いた口調で言いながら、手帳を閉じ、ジャケットの内ポケットに戻した。
店主はしばらく橘の顔をじっと見ていたが、やがて店の奥からゆっくりと出てきた。
「……なんだか、物騒だね。俺にわかることなら、話すけど……」
「ありがとうございます。実は、この男性なのですが——」
そう言って、橘は井上の顔写真を見せた。
店主は写真を覗き込んだ瞬間、すぐに「あぁ」と小さく声を漏らした。
「井上さんね。よく来ますよ」
橘の目がわずかに鋭くなる。
「そうですか。井上さんについて、何かご存じのことがあれば、どんな些細なことでも構いませんので教えていただけますか?」
そう促すと、店主は少し周囲を気にするように視線を動かした。
「……刑事さん、俺が言ったなんて、絶対に言わないでくれますか?」
「ええ、もちろんです。決して他言はしませんので、ご安心ください」
橘が低く穏やかな声で保証すると、店主はふっと息をつき、店の入り口へと歩いていった。
そして、店の扉をそっと閉めると、カチリと鍵をかける。
「こっちに座ってくれ、刑事さん」
その言葉とともに、店主は真剣な表情でカウンターの椅子を示した。
橘は無言で頷き、静かに腰を下ろした。
店内に広がる炭の香ばしい匂いの中で、これから語られる話がどれほどの意味を持つのか、橘はじっと店主の口を開くのを待った。




